教集24 昭和二十八年七月十六日(1)

 浄霊の原理を分からせるために、黴菌から説くと一番分かりよいのです。つまり霊の曇りというものは、黴菌の元ですから、黴菌の元というものをだんだん細かく考えるとよく分かります。それを簡単に書きました。

(御論文『医学革命の書』「科学で病気は治らない」朗読)〔「著述篇」第一一巻二〇六-二一〇頁〕

 いまの医学というものは顕微鏡医学です。顕微鏡で微生物を発見し、それによって医学の一種の革命的のものになったわけです。ところが微生物というものはどこまでも小さいのです。私は昔から「黴菌というのは大きな物だ、大粒な物だ」とよく言いましたが、いま顕微鏡で一生懸命になっているのは大粒の物で、まだまだ小さな物があります。本当から言うと無限なので、教えられないものです。ですから顕微鏡がこれから進歩して、いまの二〇万倍から三〇万倍、五〇万倍となるでしょうが、そういうことはごく手前のことです。本当は無限なのです。というのは、世界というものを考えてみると、大きく言えば大空がどこまで行っても限りがないのと同じなのです。だから「至大無外、至小無内」という言葉がありますが、小さいのも無限なのです。それが真理ですから、そう考えてみれば、顕微鏡などというのは、他のことには役に立ちますが、人間の生命を扱うべき病気に対しては、なんにもなりません。なんとなれば無限を見ようとしてもそれはできないことです。ちょうど大空の壁を見ようとするのと同じようなものです。大空に塀がありやしないかと思って見るようなものです。医学が顕微鏡を捨てるようになれば、少しは進歩するのですが、それをなんにもならない顕微鏡にこだわって、それをたいしたものと思ってますから、いま読んだとおり滑稽なものです。そこで、黴菌は粒子ですが、何億万倍、何十億万倍と、どこまで行っても分からないくらいなものですから無限ですが、その無限なるもの、一つの気体みたいなもので、空気は割に粗いものですが、空気よりもっと細かいもので、霊気です。それで霊気というものは無限なものです。そこで無限の病菌というものは、曇りで、悪いもので、毒素ですが、無限な毒素です。そうするとこっちでそれを治すということは、ここ(掌)から出るやはり無限なる力をもっているもので焼くのです。昨夜読んだお蔭話の中に、レントゲンがどうしても写らないのです。空洞かなにかがあった人ですが、それがはっきりしないと勤務に困るので、はっきり写してもらおうと思って御守りをとって写してもらったらはっきり写ったのです。御守りをかけている間はいくどやっても駄目なのです。そうすると御守りから出る光はレントゲンより強いわけです。この前にもそういうことがあって、今度は三度目ですが、御守りの光によって遮られるというわけですが、それはレントゲンから出る光よりか御守りから発する光のほうが強いわけです。ところがレントゲンはなんでも通すという強い光ですが、それが通さないということになると、御守りから出る光のほうがずっと強いわけです。そうすると無限の毒素を焼き尽くすということに不思議はありません。これは科学的説明ですが、科学的といっても神霊科学ですから、いまの科学よりずっと上の進んだ上等のものです。ですからこの神霊科学が分かれば、いまの科学というものは非常に幼稚なもので、幼稚園程度です。神霊科学は無限なのですから、唯物医学はもっと低いことになります。この原理がだんだん世界に知れたら、それはたいへんなセンセーションを起すわけです。

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p」 昭和28年07月16日