教集24 昭和二十八年七月六日(6)

 病気などは特にそうですが、急所の発見ということが一番肝腎なのです。それからこの前も言ったとおり、理屈に合わないことはいけないと言ったが、いくら一生懸命にやっても、その人を浄霊すべき条件が理屈に合わないと、いくら一生懸命にやっても治らないのです。これはこの前話したからだいたい分かっているでしょうが、その理屈に合わないことという一つの条件というのは、神様のことを知った人とぜんぜん知らない人とはたいへん違うのです。知らない人はたいへん無礼なことをしても、これは知らないから許されます。ところが信仰にはいってそうとうたって、知っているはずのところの人が、理屈に合わないとお蔭がないわけです。そういうこともよく考えるべきことです。やってみて、どうしても思うようにゆかないということは、自分の浄霊の霊力が弱いのだろうとかいろんなことを思うが、そういうことはごく少ないので、本当は急所を外れていることと条件が理屈に合わないことが一番多いのだから、そういうことに気がつくようにならなければならないです。それはその人の智慧証覚です。だからまず智慧証覚を磨くということが一番肝腎です。智慧証寛が磨けると急所の発見が早いのです。これはなにごとにも非常に関係があります。だから信仰に関係のないことで、大きく言えば政治、経済のことでもそうです。偉い人がいろいろやってますが急所を外れていることが非常に多いのです。たとえば今度の木村保安庁長官などがさかんに言われていることなども、最初にちょっと急所を打てばそれですんでしまうことです。それは謝罪すればよかったのです。「たしかに自分が悪かった、謝罪して取り消す」と、それでよいのです。それをしないでごまかそうとしたのです。そうしていろんなことを言ったから他の人の感情を害したのです。それでいまもってやっつけなければ承知しないような具合になっているのです。吉田首相の馬鹿野郎問題もそうです。「自分はあのとき実に不用意にああいうことを言って悪かった」と謝罪すればよいのです。それをどこまでも覆い隠そうとするのですが、大勢の前で天下の公道で言ったことはしょうがないので、あやまるよりしようがないのです。それをグズグズしていたものですから、解散になって選挙までやったのです。そのために多数党で勝つべきだったが落ちてしまったということなども惜しいことですが、どうも急所を見ることを知らないのです。ということは智慧証覚が働かないからです。ということは、簡単に言えば頭が悪いということです。ということは、頭に薬毒が溜まっているということです。これは日本の政治家ばかりではありません。世界の堂々たる政治家でもずいぶん急所を外れているのがあります。アイゼンハウアーは割合に急所を外れていないが、それでも少しまずい点があります。今度の朝鮮でのことで李承晩が怒ってああいうひどいことをしても、アメリカのほうでウンとやることができないのです。というのは、トルーマンのときに「中共を侵略国とみなす」という国連の一つの宣言が非常にきいているのです。なにかと言えば李承晩はあれを持ち出すのです。アメリカは侵略国と宣言していて、それと妥協しているということは非常に間違っていると言っていばるのですが、あれをアイゼンハウアーが一言言えばよいのです。すなわち「前に中共は侵略者とみなした、ということは事実だが、その後世界の情勢が非常に戦争を嫌うということと、中共がスターリン歿後平和的に転換した。だから以前はスターリンの意志であって、これは跡を継いだ人の意志ではない」ということを宣言すればよいのですが、それをやらないのです。どうも急所を言わないのですが、おかしいと思います。それから日本の再軍備に対する憲法改正も、肝腎なことを言わないのです。その肝腎なことを言えばよいのです。「あの憲法をやったときにはソ連が侵略行為をしてなかったという情勢によってあの憲法ができた。ところがソ連のやり方が変わって、中共をおだててああいう侵略をするということによって、はじめて日本も考えなければならない。だから憲法改正も必要だが、それをやろうとしても、まだ日本の世論が、特に選挙権をたくさん持っている婦人のほうが理解してない、だからいま憲法改正をしても、国民投票の場合に成り立たない。政府はそれが熟するまで待つ方針だ」と言えばそれでよいのです。その肝腎なことを言わないのです。そうして急所を外れたことばかりを言っているから、年中ゴタゴタしているのです。

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年07月06日