教集24 昭和二十八年七月六日(1)

 今度の九州の水害はどういうわけかというと、やっぱり浄化作用ですが、つまり土を肥毒で穢してしまったから、これ以上穢すと作物ができなくなってしまうのです。そこでちょっとやそっとの雨くらいでは追いつかないから大水を出して肥毒を流したのです。一時はああして作物に影響するようですが、あれだけ浄めたので当分は作物ができるわけです。だから肥毒をやらないようになれば水害はずっと減ります。しかし水害がなくなることはありません。というのは、やっぱり悪い了簡を持っているから、田畑の売買の場合に金に不正な分子があるとその浄化が起りますから、その分だけは儲けさせないようにするわけです。とにかくすべていまのいろいろなやり方は、霊を無視して体ばかりを目標にしているから、護岸工事とか川を修整して深くするというような、つまりオッツケ仕事だけです。やはり医学と同じで、熱が出ると氷で冷やすということと同じで、つまり霊を無視しているから根本的の方法は知らないわけです。それで都会は都会で近年火事が非常に多いのです。いまは陽気がよくなったからよいが、寒い時分に非常に多いということは、焼けるような家はみんな不純な金、金の霊が穢れているから、そこでそれがだんだん年限がたっに従って穢れに利子がついてゆきますから、だんだん穢れが多くなるから、ある程度までゆくとどうしても焼いてしまわなければならないような規則があるのです。それは神の律法といって、神様のほうの法律です。人間のほうの法律はいくらでもくぐることはできるでしょうが、神様のほうの法律は逃れることはできないのです。ですから都会は火の浄化、農村は水の浄化というわけです。今度の田畑の水害などは何十万町歩というようなことを言ってましたからたいへんなものです。そこにもっていって水に流されて溺死した者もそうとうあります。行方不明というのは結局みんな死んだのでしょう。死者が六百いくらですから、結局千人以上は死んだのです。そういう人はなにかというと、やっぱり罪を重ねているから、その人の霊が穣れきっているためで、どうしてもそういう命にかかわるような、水なら水に呑まれてしまうわけです。死ぬだけの資格を持っているわけです。命を保つだけの条件がなくなっているのですから、これは致し方ありません。それから家が押し流されたり、潰されたりしますが、これも家というものの霊が穢れているから、浄化のときの膿や毒血みたいなもので、どうしても滅びなければならないわけです。それから、よく山林の火事などがありますが、そういうことも最初買うときに、山の木を買うとき、あるいは山を買うときに(だいたい山のほうが多いでしょうが)不正の金で買うためです。それも信仰にでもはいって大いに浄化すればよいが、そういうことはないからますます溜まるばかりです。それで厄介なことには、善いことでも悪いことでも、時がたつに従って利子がつくのです。だから利子がだんだん溜まって元金より多くなると、人間界でも破産し身代限りするようなもので、やっぱり山の身代限りです。そうすると燃えてしまうのです。それで燃えるにも、燃やそうと思って燃やすのではないから、つまらないことで火事になってます。煙草の吸殻が一番多いとされてますが、煙草の吸殻を道端に捨てて、それが枯れ草について拡がるのですが、あんなに拡がるということは常識で考えてもあり得べからざることです。ところがそれが威勢よく燃えてゆくのです。それはそこの浄化をするために、霊界での役目があって、山のそういった役目、つまり浄化係で、これはみんな龍神がやってます。火龍といって火を扱う龍神です。それが人間にちょっとやって、枯れ草に火がつくと、龍神がドンドン燃やすのです。そうして火の粉を出して枯れ草にドンドンつけるのです。それはみんな龍神がやってますが、それが龍神の役目なのです。今度の水害は、同じ龍神でも水のほうの水龍です。不思議なことに水が来ないという所があります。低い所に水が来なくて高い所に水が行くということがよくあります。それから門司の山津波にしても、それから関門トンネルの中に泥と水がウンとはいって行ってしまうということも、あり得べきことではないのです。トンネルを作るときに、そういうことがあってはいけないからと、入口もチャンと高い所に作ったに違いないでしょうが、それが高い所に水がはいって行くということは実に不思議ですが、それはみんな浄化係の龍神がやるのです。そうしてその龍神の指図をするのが祓戸四柱神という浄化の神様です。要するに結局神を無視したその罰で、致し方ありません。それでミロクの世になればそういうことがないということは、そういう磯れを作らないからです。人間は悪人のほうがずっと少なくなるから、そういう浄化の必要がないから、そういった天災地変がなくなるということになります。天災地変というものは自然現象ではなくて人為的現象です。人間が作るものです。結局世界のあらゆることはみんな人間が作ったり壊したりしているわけです。それを「天を怨み地を呪い」という言葉がありますが、たいへんな間違いです。「自分を怨み自分を呪う」のが本当なのです。責任はすべて人間にあるのです。だからああいう天災地変も本当に大乗的に言えば、あれできれいになるのですから結構なのです。そのもっとも激しいのが戦争です。戦争で焼けたり破壊されたりするのもみんな浄化作用です。それでヨーロッパなどは不燃焼建築といって、焼けないように造ったと喜んでいると、別の方法で壊されるのです。ロンドンは焼ける都会ではないのだそうです。ロンドンの家というのは一〇〇年以上の家というのがたくさんあるのです。それで大いにいばっていると、今度は爆弾で壊されたということになります。

「『御教え集』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p16」 昭和28年07月06日