〔 質問者 〕資格者といたしまして、人を救うこと、信仰の向上を図ること、御奉仕とをいかような順序に考えましたらよろしいものでございましょうか。また金銭物質の御奉仕の意義、方法につきましてお伺い申し上げます。
【 明主様 】 恐ろしい質問だね。それは、どっちが肝腎だということを考えるそのことが間違ってます。そういうことは考えないのが本当です。というのは、神様はその人の使命、その人に与えられた能力によって人を救う御用をする人もあるし、お金の御用をする人もあるのです。向上は全般ですが、各々その使命があるのです。というのは、そういう事情になってくるのが使命ですから、そうなったらそうすればよいのです。金が集まってきて、人を浄霊するよりもというのは、そういう使命があるのです。また金がない、信者をたくさん作るというのは、そういう使命があるのです。それは周囲の事情がそうなってきますから、ただ素直にそのままを考えて進んで行けばよいのです。それから向上ということは、一番のことは智慧証覚です。いろんなことが分かることです。分かるといっても間違った分かり方ではいけません。その標準は御神書です。御神書に書いてあることがだいたい「なるほど」と思えれば、それは智慧証覚がだいぶ上がっているのです。「どうも分からない」というのもあるし、そのときはなるほどと思っても、家に帰れば忘れるというのもあります。いろんなことがフッと分かるのは智慧証覚が向上しているのです。病状をみて、この人はこの病気だということを当てれるのは、よほど智慧証覚が上がってなければならないです。だから以前は五つ分かったが、このごろは六つ分かる、七つ分かるというのなら智慧証覚が向上しているのです。
「『御垂示録』二十二号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p168~p」 昭和28年07月01日