それで力ですが、その力というのは神力、神の力です。この神力というものは、いままで出なかったのです。いままでの宗教でも、いっさいは月の力ですから仏力です。仏力というのは、つまり月の光ですからして、非常に弱いのです。それでお釈迦さんが言った「この世は仮の娑婆だ」ということは、たしかにそうです。仮だったのです。ですからいままでの医学なり文化というものは、本当のものが出るまでの間に合わせだということを書きましたが、それはそういうわけなのです。そこですっかり精算して、そうして本当の仮でない永遠の世界、永遠に真の行なわれる所、それが地上天国なのです。それで真善美がチャンと行なわれるということになるのです。ここの美術館というのは、地上天国の真善美のうちの美の型です。ところがいままであらゆる宗教は、真を説き善を説いたけれども、美だけは、これは説くのでなく形に現わすべきものですが、形で現わせなかったのです。お釈迦さんなどは祇園精舎を作ったというが、これは宗教的建物です。しかしこれもたいしたものです。それをまねしたのが聖徳太子です。法隆寺というのは、つまり日本の祇園精舎です。ところがキリストはなにも作らなかったのです。もっとも、もっと寿命があったら作ったでしょうが、早死にしたのです。三三というのですから、これからというときです。そういうようで、美を作るということは、「宗教は芸術なり」ということを言うくらいですから、そうは思っていたでしょうが、この、美を作るということが一番難しかったのです。それでとにかく日本では、聖徳太子があれだけのものを奈良の都市に残してますが、あれだけのものを作ったということは偉大なものに違いありません。だいたい日本における美術の始まりというのは仏教美術ですが、仏教美術は聖徳太子が作ったのですから、やはり美としての神様です。
「『御教え集』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年06月17日