教集23 昭和二十八年六月十五日箱根地上天国完成記念祭御教え(2)

▽前節から続く▽

 それで、「力」ということについて話をしますが、いままでの世界は本当の力というものが出なかったのです。力といっても、それはいろいろあります。人間の力の「腕力」。それから兇器を使ったりして大いに暴れるのは「暴力」。それから馬の力の「馬力」。それからいまは「機械力」で、これが非常な活動をして世界的にいろんな文化を進歩させていますが、これも結構です。ところが現代の宗教のような力は「微力」と言います。はなはだ弱い力です。それから人間を大いに自由にしているのが「政治力」。それから「金力」ですが、この「金力」というのがなかなか恐ろしいものです。この金力を善が握れば結構ですが、いままでの金力は悪のほうが多いのです。善もありますが悪のほうが量が多かったのです。この金力に私などもずいぶんいじめられました。それからいろいろ問題にされたり裁判所に引っ張られたり、言論機関が大いに圧迫したりするのは「権力」。それから「経済力」というこれも、いままでは良いほうより悪いほうに使ったほうが多いです。そこで「金力」は「経済力」に付随してますが、「金力」というのは、たいへんな力を持っているのです。ソ連が共産主義によって世界の覇権を握ろうとし、朝鮮戦争を起して、それをアメリカがくい止めましたが、アメリカのなんの力がくい止めたかというと「金力」です。それは他にもいろいろありますが、そのもっとも根本的力と言いますか、それは「金力」で止めていたと言うか、「金力」で平和を維持したというわけです。だからいままでの世界では「金力」が一番力があったわけです。それから戦争をやるのは「戦力」。その戦力を行使すると「破壊力」。それからまた文化の力というものには、学問の力の「学力」。その学んだ結果の智恵の「智力」。智恵にもいろいろありますが、これは前にも言ったから、いまは言いません。それから「智力」を応用して考える「思考力」。それから「筆力」。筆の力ですが、これがまた恐ろしいのです。いまの世界は「金力」が主で、「筆力」がその次と言ってもよいと思います。それから「宣伝力」。これもたいへんな力があるものです。それから引く力の「引力」。押さえる「圧力」。まだまだたくさんありますが、だいたいそのくらいで分かると思います。ただ、いままでなかったのは神の力の、「神力」です。ぜんぜんないことはないが、薄かったのです。強く発揮ができなかったのです。というのは夜の世界のため、つまり月の光は、光からいっても太陽の六十分の一ですから、よほど弱かったのです。それがいよいよ時期が来て、今度は火の力、太陽の力になってきたのです。それが昼間の世界というのです。それで浄霊して病気が治るということは、太陽の力だからです。いままでは、救世教のように病気を治すという力はなかったのです。というのは月の力だからして、見らるるとおり、本当に病気を治す力はないし、それからまた病気というものの根本はなにかということも発見されていなかったということは、力もないし光も薄いから、つまり見得ることができなかったのです。

 それが根本だから、それが分かれば浄霊で病気が治るということは、わけなく分かるわけです。それで救世教の信者はキリストと同じような奇蹟は毎日のようにやっているということだけでも、その力たるやたいへんなものです。それでいままでは、宗教が本当に救うことはできなかったのです。現在救われているのは各宗の教団のほうです。仏教にしても、仏教がその信者を救っているのではなくて、その本尊が信者から救われているのです。これは別に悪口を言うわけではないので、事実を言っているのです。というのは、闇の世ですと月の光だけでも結構なのです。だから闇の夜道を歩いている人は、月の光によって、とにかく安全に歩けるというわけです。そこにだんだん太陽が出てくると、月の光は薄れてき、ついにはなくなるというようなわけですから、そこで霊界では非常に明るくなってきているから、月の光というものがもう駄目になったというわけで、それが現われているわけです。だからして結局火の力を行使することは、私という者が出て、初めてその力を与えられたのです。つまり「力」です。ところが「力」というものと「光」というものとは同じなのです。つまり「火」と「水」の密合したものが「光」でありまた「力」なのです。だから「力」という字はよくできてます。経と緯、火と水が十の字に組むのです。そうするとそこにズーッと曲線がつながって、跳ね返ってますが、とにかく文字というものは神様が造ったのですが、実によくできてます。ですから文字と言霊<ことたま>が分かれば、宇宙のいろいろな神秘は分かるわけです。私はそういったことを書こうと思ってますが、どうしても書けないのです。やっぱり神様はどうしても、それを分からしてはいけないことがあるとみえます。そこで経が先で緯が来て結ばり、曲がって、跳ね返っているが、これは左進右退のリズムが現われてます。ですからさっき言ったとおり、この地上天国の模型が中心になって、左進右退的活動が始まるということは、これが真の力なのであります。つまり救世教というものは力の宗教と言ってもよいのです。この力が本当の神力です。経緯結んだ火と水の力です。「カ」は「火」で、「ミ」は「水」ですから、「カミ」の力です。この力を行使したという人は世界肇まって以来ないのです。それで言霊から言うと「シン」の言霊返し<たまがえし>は「ス」になりますから「神力」は「主の力」<すのちから>とも言えます。それでいつも<ス>は○<マル>にヽ<チヨン>と書きますが、チョンが火で、丸が水になります。太陽の黒点はチョンになります。学者はあの黒点を研究してますが、それはいま言ったことなのですから、こっちは別に研究の必要はありません。この太陽の黒点のチョンがたいへんなものです。つまり宇宙の魂です。果物なら種です。それでいままでの世界はチョンがなかったのです。丸だけだったのです。要するに空<から>だったのです。それでいよいよ私が世界にチョンを入れるわけです。この神仙郷はチョンなのです。ヽ<ポチ>なのです。その意味において非常に重要なわけなのです。その始まりの今日は非常な意味があります。

 それから六月一五日というのは天照大御神様の誕生日になりますが、誕生日ということは日が出るわけです。これは私の本にあります。前に房州の日本寺<にほんじ>に行ったときが昭和六年六月一五日ですが、これがつまり日本の日の出になるわけです。そしてそれが世界の黎明です。そのときもいろいろな神秘なことがありました。それから三月と三日たった九月一八日に満州事変が起りましたが、この満州事変ということがたいへんな意味があるのですが、これについてもそのうちに書きます。それから日本寺という寺の名前も、これは日の本で、あそこから日が出たのですから、寺の名前も、日本寺となっており、この名前はほかにありません。おまけに乾坤山<けんこんざん>というのですが、乾坤という文字は「天地」ということですから、あの寺というのはたいへんな意味だったのです。そこで非常に神秘なことがありました。これはまだ書いてありませんが、もうそろそろ書いてよい時期ですから、もうじき書きます。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p287~290」 昭和28年06月15日