教集23 昭和二十八年六月七日(2)

 それから四日にラジオの「社会の窓」でだいぶでたらめを言いましたが、だんだん救世教が発展するに従って邪神界のほうはたいへんなのです。大恐慌を来しているのです。どうせ邪神のほうでは、自分のほうは駄目ということは分かっているのですが、一日でも寿命を延ばしたいというので足掻いているのです。最後の足掻きです。それで以前は大新聞などを大いに動かしてさんざん悪口言ったり、いろいろしましたが、これでも駄目なのです。それから役人を動かして、救世教をやっつけてやろうという裁判の事件ですが、これでもやっつけられないので、今度はラジオを使ったわけです。これでもう他には使う道具がないから、おしまいでしょう。それで今度の問題は九州の鹿児島県ですが、九州は西ですからもうおしまいなのです。「西の海へ捨ててしまう」というようなことをよく言います。それで西のほうは、月も太陽も引っ込むほうで、出るほうではないのです。しかも鹿児島はごく西の果てです。また鹿児島という所は、日本ではたいへんな意味があるのです。日本の国で一番先に開けたのは鹿児島です。それは日本の紀元以前の一番最初です。それから明治維新も、とにかく薩摩が元だったのです。それから日の丸の国旗を作ったのは鹿児島の島津藩です。それから日本で金を取り始めたのもやはり薩摩なのです。ですから薩摩というものが日本の入口であり出口であるわけです。そういうようで西の果てですから、あれでおしまいなわけです。それでいよいよミロクの世が始まるのです。ですから私は今度のNHKの放送について、やっつけてやろうと思って原稿を書いたのですが、神様のほうから止められたのです。その書いた原稿をちょっと読ませてみます。

(御論文「ジャーナリストに愬う」朗読)〔「著述篇」第一一巻五三三-五三七頁〕

 それからこのことに限りませんが、いまのジャーナリストという人たちが、感情的に新宗教というものに反感を持っているのです。だからこれらもその組です。とにかく「救世教なんかは非科学的のことを唱えて、そうして人心を惑わし、半文化的のことをやっている、実にけしからん。こんなものはやっつけてやったほうが国家社会のためだ」という考え方になっているのでしょう。だから自分では非常に良いことと思っているのです。こんな新宗教に惑わされていてはいけないから大いに警告するというので、良いつもりでやっているのです。これも無理がない点もあります。というのは新宗教がずいぶんでき、いまもできつつありますが、それは遠慮なく言えば実に低級なものが多いです。だから仮に私がジャーナリストとして、救世教というものを知らないとしたら、新宗教で信者になろうと思うのは一つもありません。ですから、自分でやっていておかしな話ですが、もし救世教なるものがないとしたら、私は無信仰者であったに違いないです。それで大いに新宗教を非難攻撃したに違いありません。だから救世教も世間一般の新宗教と同じようなものだと決めてしまうのは、これも無理はありません。ただ救世教というものは、ぜんぜん違っているということの認識がまだできないのです。認識ができないということは、研究しようとしないのです。研究しようとしないのは、やはり他の新宗教の有様を見て決めてしまうのです。

 だから自分を離れて公平に見れば、このラジオの放送もさほど咎める気にはなりません。ならないから気張るわけにもゆかないのです。ただ今後こういうことがあると、やはり影響しますから、そういうことのないようにと思って、名誉毀損で告訴までしてやろうと思ったのです。ところが神様のほうから、「そんなことをやってもぜんぜんなんにもならない、それどころではない、これから一五日を契機としてミロクの世の建設が始まるのだから、どんな邪魔者でも取り払われるから、そんな問題にする必要はない」というわけだったのです。それでまたいっぽう人間的に考えてみると、やっぱりNHKの感情を害すると、お祭りのときの余興にもやっばり影響します。「二十の扉」をという場合に、いやそんなもの止したほうがよいというようになりますから、ここで泣き寝入りしたほうがよいですから、そうするつもりです。

「『御教え集』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年06月07日