教集23 昭和二十八年六月六日(4)

 それから、いままでもそうでしたが、これからは信仰の話をしても分からない人は、あんまり追いかけないほうがよいです。追い放したほうがよいです。というのは救世教はすばらしいものだ、神様はたいしたものだと言うが、それには違いないが、今度の最後の審判というものは、審判は善悪の裁きだが、ふつうは一人でも多く、ほとんど世界人類が救われるように思いがちですが、救われる人はごく少ないので、あとはみんな駄目になる、滅びるのです。それをよく分かっていなければならない。だから少し話して分からない人は放してしまったほうがよいです。それは閻魔の帳のほうではチャンと消してあるのです。かえってそのほうが楽で、そのために救われるべきほうの人が遅れたりするからいけないのです。ですからそうしたほうが非常に楽で、救われるべき人が早く救われます。そのことを書きました。

(御論文「最後の審判とは何か」朗読)〔「著述篇」第一一巻五一九-五二〇〕

「『御教え集』二十三号、岡田茂吉全集講話篇第十巻」 昭和28年06月06日