教集21 昭和二十八年四月十日(1)

四月十日

 今日は時間があんまりありませんから、ごく簡単に話します。しかし今日の話はあなた方ばかりでなく、世界中が非常に聞きたい話なのです。だからここで話すのは惜しい気がしますが、まだ世界中に放送するまでになっておりませんから、言霊<ことたま>の霊で聞かせるわけです。

 というのは、今度スターリンが死んだら、共産主義なるものはいったいどうなるかということです。これほど全人類が関心を持っている事柄はありますまい。その予言と言いますか、このことについて話したいと思います。これはいまからちょうど三年前に神様から型で知らされてあるのです。これは信者の人は良く考えれば分かりますが、つまり昭和二五年一月にその型が出ているのです。それが分かると共産主義の将来というものは良く分かります。ではいったいどうなるかと言いますと、共産主義というものはあれまでに世界的に、とにかく勢力を作ったのです。ですから共産主義なるものはスターリンが最後に、とにかくあれまでにしたわけです。そこでスターリンが没落すると、あとは、簡単に言えば他愛なく消滅して行くのです。そうするとアメリカはどうなるかということが問題になります。ところが共産主義がなくなるとすれば、力が弱るとして、アメリカは目的どおりになりますから、非常に結構なようですが、なかなか、それどころではないのです。それはアメリカにもたいへんなことがあるのです。そこでアメリカの資本主義、いまの民主主義がますます発達するかというと、そうは行きません。アメリカの思想およびやり方に対して一大変化が来ます。これも神様はちゃんと型で示してありますが、いまははっきり言えません。まだ覚りで行くよりしかたがありません。そこで、共産主義がなくなり、資本主義がなくなり、では世界はどういう思想、主義になるかと言うと、それがつまり資本主義にあらず共産主義にあらずという、言わば中性思想です。資本主義にしろ共産主義にしろ唯物思想ですから、物そのものによって自分の主義の時代思想を得ようとしたわけです。ところがどちらも、唯物思想では間違っているということにだんだん気がついていくのです。というのは唯神思想です。唯神思想というのは、根本的に言えば神様は在るという思想と言うか、信念と言いますか、そういうような古くして新しいものです。そういう思想が生まれるのです。そこでつまり私が以前から言っている唯神唯物両方の思想が調和したものです。これがコントロールされた思想です。それがだんだん勃興して行くのです。そうしてその思想の指導者が救世教なのです。つまり早く言えばメシヤ思想です。というのは、いつも言っているとおり、伊都能売<いづのめ>です。伊都能売思想です。つまり右によらず、左によらず、十<むすび>の字です。経緯<たてよこ>結んだ、そういう思想が生まれるのです。だから世界のそういった思想は国内的にも無論そうなのです。いま選挙で大騒ぎをやっている、その政党の考え方をみると、右か左のどっちかになっている、これが間違いである。単に右とか左とか言うが、左の中にも右、左があり、右の中に右、左があるというように、なんでも偏りたがるのです。だからうまく行かないのです。つまり両手で持てば物はうまく持てるのです。それを片手ずつで持とうとするから、本当の役にならないのです。ちょうど歩くのにも片足だから飛んで歩くようなわけです。互い違いに行かないから、どうしてもうまく歩けるはずがありません。だから転んだり突き当たったり、怪我したりするのです。つまりソ連は共産主義は間違っているということに気がつき、アメリカは資本主義はいけないということに気がついて、そこでどちらにも偏らないようになるのです。そこに気がつくように、救世教がそういう主義を吹き込むのですから、とても重任を負っているのです。最近発行した『アメリカを救う』の本も、その先触れみたいなものです。それにはなんと言っても人間の健康ですから、まずそれをアメリカに教えるために、いま樋口さんがアメリカに行って準備してますが、来月にはロサンゼルスに支部ができますから、それを中心にしていよいよアメリカを指導するのです。そういう仕事にかかるわけです。だから考えれば非常に大きな仕事です。やはりそれは、私がいつも言う「文明の創造」です。いままではビッコの文明であったのを、両足揃えて歩ける文明にするというわけです。簡単ですが、この話はそのくらいにしておきます。今度京都に来たのは嵯峨のいろいろなこれからの造営や経営についての設計をやるわけです。しかし急にということはないが、ボツリボツリとやって行くつもりです。箱根はだいたいできましたが、熱海はこれからやらなければならないので、この京都のほうもいろいろ準備がありますから、それに土地もまだ面倒なと言っても、悪性の面倒ではなく、今度あそこに救世教ができるので、まわりの地価が上がるだろうと、金儲けに余念のない人が、あそこにいろいろなことをやっている、ということを言っていますが、そうなると非常にやり難いので、そういう点も考えてやらなければならないと思います。それで本当の目的は、神様のほうから言うと京都、奈良は仏教の根拠地、仏教の元ということになっているのです。それで、もういよいよ仏滅の時になってきたので、仏に関係のあるいろいろな昔からの、何々上人とか何々大師とか何々禅師という偉い坊さんたちが霊界において、仏滅の来たことがよく分かってきて、最近に至ってはほとんど分かったくらいです。そこでだいたい仏様というものは神様の化身でありますから、仏の世がすんだので神様のほうに戻りたいのです。そうして救世教のために働きたいと思うのです。という希望をみんな持ち始めたわけです。そのために気持ちは急いでいるのですが、すぐに救世教の仕事はできないことなのです。というのは、いままで長い間に間違ったことをやったり、教えてきたのです。しかし間違ったことと言っても、べつに悪いのではないのです。なにしろ夜の世界であったためにはっきり分からなかったので、つい間違いを教えてきたのです。そのために救われる人もあるが、しかしそのためにかえって悪い結果を及ぼしたという点も大いにあります。一方で良いことをしながら、一方で罪を作っていたのです。それでその罪のほうを浄めて、なくしてしまわなければ、本当の神様になって働くことができないというわけで、昔からの偉い坊さんたちの罪を浄霊しなければならないのです。なにしろたくさんありますから、そこでそういう人たちを浄めて神様にして、大いに働くようにしてあげるという、そのために嵯峨に一つの地上天国のようなものを造るのです。そのやり方はいろいろありますが、仏教美術というものは、ただ美術的にばかりで見るということは、唯物的で本当ではありません。各お寺にいろいろな仏様の像がありますが、その像にそれぞれの霊がはいっているのです。だからただの彫刻ではなくて、やはり生きているのです。そうして大勢が拝むといういままでのやり方は、それで良かったのです。その仏様たちがはいる肉体のようなもので、これは京都、奈良にたくさんあります。ですからその魂を浄めてやると、その仏像から抜け出て神様として働けるようになるのです。ですからそういう仕事をしてやらなければならないのです。そこでいずれ仏教美術館も造りますが、そういうように魂を抜けさせれば、あとは美術品として鑑賞しても良いわけです。ですから本当はいま仏像や仏画を美術品扱いするということは、はなはだもったいないのです。むしろそういう仏様の霊はつらいのです。ですから今度解決してやれば、美術品として扱いますから非常に結構なのです。そういうわけで、だんだんそういうような経綸に基づいて、そして進んで行くのです。それについて仏滅の清算をすまして、多くの仏様を救わなければならない、救い上げるのです。今度私は四月八日、つまりお釈迦さんの誕生日に来たわけですが、これは特に選んだ日ではなく、神様のほうではそういうように順序をつけてあるのです。というのは、やはりいま、いろんな坊さんたちはお釈迦さんの弟子ですから、それに対しては、やはりお釈迦さんが救う責任がありますから、そこで私はお釈迦さんの代理にもなるわけです。それからもう一つは、あそこに向かって、左が釈迦堂で右が法然院の阿弥陀如来の本元になりますが、そこで私の住居はちょうどその真ん中です。ここが観音様がおられる所になるわけです。そこで観音、釈迦、阿弥陀と、これが三位一体になるわけです。それから箱根、熱海、京都というのは、五、六、七で、やはり三位一体です。七が京都であり、お釈迦さんであり、それから桜の花になるわけですから、花の日で、花祭りを四月八日に決めましたが、これもたいへん大きな意味があるのです。だいたいそういうような目的で来たのです。

 それからいずれはキリスト教も救わなければならないのです。仏教を救い、キリスト教を救いますが、キリスト教はだいたいカトリックです。アメリカははとんどカトリックで、これが牛耳っているようなものです。神様はそれを救うべく、これからいろいろな経綸があるわけです。しかしキリスト教は世界中に拡がっていてたいへんなようですが、これは割合に簡単で、仏教より楽です。そう言うと変に思うでしょうが、それはいずれ分かります。共産主義がなくなり、資本主義がなくなり、仏教がなくなり、キリスト教がなくなるということになり、そうして本当の理想的な文明が現われるということになります。あまり一遍に大きなことを言うので見当がつかないでしょうが、そう一遍に簡単に行くものではありませんが、そういう大経綸です。世界の大経綸がそういう進路で進んで行くということを知っていると、これからの世界の変化ということも良く分かります。本当言うと、勿論日本もそうですが、世界はこれから大変化が始まるのです。今度のスターリンの死というのは、そういう点にも関係があるのです。時間がありませんから、このくらいにしておきます。

△御講話おわり△

「『御教え集』二十一号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p156~」 昭和28年04月10日