教集20 春季大祭御教え 昭和二十八年三月二十三日(1)

春季大祭御教え

三月二三日

 今日はずいぶん大勢ですね。人間というものはよく融通がつくものと思います。やっぱり弾力性があるのでしょう。

 今日はお祭りですから簡単にお話しします。

 いまさら言うまでもありませんが、救世教というものは、つまり大きな革命運動です。一口に言うと世界文化の革命です。いろんな間違った文化を革命するのです。つまり間違った文化のためにいろいろな悩み苦しみが満ち満ちているので、そのためによけいなことをして、よけいな金を使ったり骨を折ったりして苦しんで、世の中を悪くするので、いまの文化は要するに愚<おろ>かです。吉田さんが「馬鹿野郎」と言ったのは、いまの文化を言ったと言っても良いです。たしかに「馬鹿野郎の世界」です。しかしこっちが言うのは吉田さんより大きいのです。実に世界中が馬鹿野郎になってます。それをもっと利巧になるように引き上げるという、これが救世教です。

 救世教と言うと宗教ですが、引き上げるための宗教的の一種の手段です。宗教という手段でやるというのが一番良いことと、また、いままでにない革命ですから、それよりほかに方法がないわけです。だから宗教的にやるよりほかにやりようがないのです。ですから救世教としては、宗教というものを利用し、一つの手段としているのです。従ってミロクの世になれば宗教というものはなくなるのです。というのは、宗教の必要がないからです。つまり医学がなくなるのと同じことです。だからそれまでの救世教です。悪い世の中だから救うというので「救世」ですが、良い世の中ならば救う必要はないのです。それはまた形が違うわけです。良い世の中をいっそう良い世の中にするというわけです。いまの世の中は、実は良いと思ってやっていることが逆になっているわけです。薬をのんで病気を良くしようということが、反対に薬で病気を悪くするということになるので、どんなことにもそういうことがあります。この間違えているというその根本はなにかと言うと、霊を認めなかったことです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十号、19530415、19530323、岡田茂吉全集講話篇第十巻p96~97」 昭和28年03月23日