教集20 春季大祭御教え 昭和二十八年三月二十三日(3)

▽前節から続く▽

 また『結核信仰療法』のほうも問題にならざるを得ないと思います。これをお医者なり、あるいはそういうことに関係のある学者などの専門的の人が見たら、黙ってはいられないと思います。「医学が結核を作る」ということでも、仮に政府の当局者が見たらたいへんなことになります。とにかく結核は医学によって解決しようとして、いろいろな手段を尽くし、法律まで出してやっており、たいへんなものですが、それがかえって結核を作るものだということを、天下に発表したとすると、黙ってはいられないです。しかしそれを突っ込んでくることはできないのです。と言って黙っていると黙認したことになります。それから「結核は感染しない」ということも、結核は感染するという建前で、消毒だとかなんだとか、いろいろやって大騒ぎをやってますが、それを感染しないとなると、当局のやり方をぜんぜん叩きつけたようなやり方ですから、これもなんとか先方で言わなければ認めたことになりますから、そうなると変なことになります。だからとにかく、これからあっちのほうの人たちが首をひねって相談をしたり、溜息をついているのではもう追いつかないので、なんとかしてやっつけたいが、それはちょっと難しいのです。なぜ難しいかというと、私のほうで書いてある本には、少しばかりも突っ込むところがないのです。とにかく横綱の前で、子供が前から取り組んで来るようなものですから、先方に勝ち目はないのです。そうかといってこれを黙っていると、当局や専門家の面目<めんぼく>にかかわるし、そうしてまた問題はたいへんな問題です。考えてみれば実際大きな問題です。こんな無鉄砲……では変ですが、こんな大胆なことをした人はいままでにないでしょう。そうかといって、こっちは理論と実際との両方で行くのです。実際はこうだ、結核菌という物の根本はこうだ、こういう物から発生していると言っているのです。つまり先方は菌だけを発見して大騒ぎをしますが、こっちは菌の根元をうち開けてありますから、喧嘩のしようがないのです。先方に勝ち目はないのです。だから正面きってぶつかってくるということはできますまい。そこで黙っているということもできないというジレンマに陥るでしょう。彼らのほうはどういう態度に出てくるかということが、興味あることです。それで最後には病院に行って、私が片端<かたはし>から浄霊をやってやるとか、医者との質疑応答でも、たくさん集めて疑問に思う所はどんどんこっちで教えてやります。そうすると、先方ではどうにもしようがなくなると思います。それでやっつけられないとすればカブトをぬぐよりないのです。カブトをぬぐというと、医学のほうの法規を急に改正することはできないが、本当にやれば「医学禁止法案」というものを作らなければならないのです。そうすると、今日の再軍備問題によって、憲法を改正しなければできないというより、もっと大きな問題になるだろうと思います。やはり医学を禁止するということは、憲法改正にまで行くかも分かりません。結局はどうしてもそこに行かなければ追いつきません。しかしこれは、あえて私がやるわけではなく、神様がやるのですが、神様はどういうような結末をつけるかということが、大いに興味ある問題で、私もいまから楽しみにしてます。

 それからもう一つの農業革命の自然栽培も大きな問題になります。しかしこのほうは簡単です。肥料をやらないということだけで、なんでもない話です。ただ、それが分かって実行するというだけのことですから、医学のほうとは比較にはなりません。これは殊によると、数年ならずしてそういう世論になってしまうかも分かりません。そうしたら、これだけでもたいへんな問題であるし、また救世教というものが、いかに本当に救う宗教であるかということが分かるのです。そうして、この肥料問題はひとり日本ばかりでなく、世界的のものです。よく調べてみると、肥料をたくさん使うのは日本が一番だそうです。ロクでもないことで一番のことが日本にはたくさんあります。そうでしょう、日本は糞尿というものがあるが、外国にはなかったでしょうから、ほかは世界並でしょうが、糞尿だけが日本は多くなるから、世界一になるわけです。それから薬も世界一だそうです。アメリカはあんなに薬で大騒ぎをやっているが、日本のほうがずっと多いそうです。それはアメリカには漢方薬がないのです。これも肥料と同じで倍になります。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p99~100」 昭和28年03月23日