教集20 昭和二十八年三月十七日(3)

▽前節から続く▽

 それから宗教的の話ではないが、私は花を生けるのが好きで、始終各部屋みんな私が生けるのです。それでお茶の先生が来て、家内始め女中などに教えてますが、その都度、茶席の花を私が生けますが、私の生け方はあくまで自然なのです。いまの花は、特に近来おかしいことには、ペンキを塗ったり変なことをしてますが、これはピカソあたりの影響を受けたのでしょう。まだ、そう、はやりもしないでしょうが、だいぶ、はやりそうにみえているのです。それも一時的のことと思いますが、そういうようで、なにしろ花の生け方の革命と言うとおおげさですが、革命的に知らしたいと思ってます。それで私が生けたものを写真にとろうと思ってます。一昨日、一〇ばかり初めて写させて、最初は天然色の幻灯で写して、全国的に支部などで写させるようにするつもりです。それで私の生け方は早いのです。一〇ぐらいの花は一時間半ばかりで生けたのです。それも、その間に庭を探して枝を切ったりしたのです。だいたい原則としては、私のは五分以内です。それで早く生けたほど良いのです。そうすると花が生きているのです。これはいじくるほど良いとしてますが、そうではないのです。やはりこれは作物に肥料をやるのと同じで、自然を無視するからです。それで一番気に入った花は、たいてい一分か二分で生かったものです。それは花を生ける前に、花器をおいて、その花器と花が合うように見きわめて、枝の長さを切ってパッと生けるのです。それは最初からそうは行かないが、その気持ちでやると良い花ができます。そういうようにして生かったものは実に良いです。自然ですから花が生きているのです。そういうようにして生けたのを、今度幻灯で写しますから見れば分かります。なるほどこういう生け方が一番良いということが分かります。これも一つの真理の具現です。私はなんでも趣味があるのと、徹底して研究する主義ですが、あれもよく見ますと、生けてから、まずいと思ったり、まずい枝があるが、一晩おくか数時間おくと、それがちゃんと気に入るようになってくるのです。これはいじくった物では駄目だと思います。花は生きているから、自分で体を調<ととの>える働きが出てくるのです。それをいじくられると、その働きが出なくなるのです。こういうものを見ても、生きているのですから、そこがおもしろいと思います。これは花ばかりでなく、木でも実にたいしたものです。箱根の庭の木なども全部私が切るのですが、少し切り損なったり、切り過ぎたというときもほうっておくと、木自身で形を良くするのです。それから場所によって、岩やなにかの関係で表が見せられないで、横とかで格好が悪いのです。そうするといつかしら、前から見ても格好が悪くないように、自然に自身で調えるのです。これはおもしろいと思いますが、たしかに生きているのです。それから松の木なども、上の枝をつめるということは良くないのです。おもしろくないのです。それでいま碧雲荘<へきうんそう>にある枝を切ったのですが、そうすると、松の木はどうするかと思っていると、その切り口が少しも見えないように枝が被<かぶ>さってきてます。そういうようで、生け花もちゃんと自分でなおります。この生け方を研究すると良いです。第一早いです。だから憶劫<おっくう>でなくて良いです。いままでの生け方は時間がかかるから憶劫です。それから季節外れな物を高い金を出して買うということは、およそ馬鹿気たことです。その花の、人間で言えば一番油の乗りきったところを狙って用いるのです。それが一番良いのです。それからもう一つは、できるだけ花を使わないことです。これは私の一流ですが、私は実に花は少ないのです。ふつう一杯くらいのを、私は三杯くらいに分けてやります。できるだけ不必要な花や枝を使わないほうが効果が大きいのです。だから少な過ぎると言う人がありますが、そういうのが良いのです。ですからいろんな物を混ぜますが、それはおもしろくありません。やっぱり花で絵を画くことと同じなのです。そういうことは花の先生は教えません。もっとも花の先生も知らないからしようがありません。それで部屋の床の大きさから壁の色に合わなければなりません。厳密に言うとそういうことになります。それから掛物にも、書もあるし絵もありますし、古い物もあるし新しい物もあります。それでおもしろいのは、古い掛物に新しい花器では合わないのです。それから掛物が渋い物には、花器や花も渋い物をやるのです。そうするとたいへん贅沢になりますが、そういうことはないので、花器でも安い物で良いのです。それは使いようによるのです。それこそドンブリの大きな深い物があったらそれで結構使えます。もっともこれは勅使河原<てしがわら>でやってます。そういうようでなんでもかまわないのです。それから花も、あえて花屋で買わなくても、自分の家の庭にあるのでもなんでも良いのです。それで私が好んで使うのは竹です。これは花屋では使いません。これは枯れやすいというのですが、そんなことはないので一週間ぐらいは大丈夫です。それで竹を切ってからパッとやると大丈夫です。もっとも私のは指から霊が出るからで、その関係もあります。それで竹でも切ってからパッと生けると良いのですが、いじくるから駄目なのです。竹などはどこにでもありますからいいです。それから熊笹を使いますが、これがまた良いのです。これを五、六枚やって花を少しやれば実に良いです。そういう話はいくらでもありますが、時間がないからこのくらいにしておきます。

△御講話おわり△

「『御教え集』二十号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p94~96」 昭和28年03月17日