教集19 昭和二十八年三月七日(2) 

▽前節から続く▽

 それから『アメリカを救う』の本もだいぶ売れるようで、まだ売れているようです。つまりある程度売れたのはベストセラーとして……やっぱりベストセラーというのは、本の売りさばき元によって違うようですが……勿論売れ口の良い、良く売れた本ということには、ああいった商売人のほうでも認めてきたようです。もっとも有名な作家の書いたものなら、これは売れるに決まってますが、私らは素人ですし、しかも新宗教の教主などが書いて出した本とすれば、たいしてそういった世間的には注目されないわけですが、ただ『アメリカを救う』という標題がいいのです。それからこれが一番の魅力でしょう。戦後日本人がなんでもアメリカの物ならいいというように、一種のあこがれを持っていたアメリカです。なんでもアメリカにはかなわない。日本の文化は戦争のために少なくとも一〇年は遅れていると言ってます。中には三〇年も遅れていると言っている人があります。それほど日本は負けているわけです。そうして非常な打撃を受けて、大怪我をして、ふつうまだやっと物につかまってヒョロヒョロ歩けるくらいの日本が、「アメリカを救う」と言うのですから、意外に思うわけです。ですから意表に出たわけです。それが魅力になるわけです。それから本屋に並んでいると表紙の図案が魅力になっているようです。また、病人とか医者とか薬屋とか、病気に関係のある人は、ちょっと買ってみようという気になるわけです。そういうようですからあんがい売れたわけです。

 それで今度は自然栽培のことも出します。これはいずれいろんな計画は話します。

 それから『結核信仰療法』も本はできてますから、近日中に新聞広告をして売り出します。これはあるいは『アメリカを救う』よりも良く売れるかと思ってます。というのは、結核患者は長いですし、医者の言うことを聞いたり療養所にはいったりいろいろしても、どうしてもなおらないですから、煩悶懊悩<はんもんおうのう>して「もう医者では駄目だ、なにかほかにないか」という人がたくさんありますから、「このうえはもう信仰をするよりない」ということになる。医者ではどうしてもなおらないということになれば、まず信仰ということが頭に浮かびます。そうなって、なにを信仰しようかということになると、不動様や観音様といっても、絶対安静ですからお参りに行くわけにもいかないのです。そこで古い先祖からの宗教もあるが、これでは病気がなおるほどの御利益がない。天理教とかいろいろな新宗教などをみても、これならなおるというものもちょっと見出せない。そうすると「救世教という奴はだいぶ病気がなおるということをときどき聞くが、どんなものかな」と思っているところに『結核信仰療法』となると、それでは読んでみようということになって、どうしても買うということになります。ですからあれはそうとう読まれるだろうと思ってます。それで項目の一番目に「医学が結核を作る」というのがあります。それから「結核は感染しない」ともあります。そこでどうしてもちょっと見たくなります。「医学が結核を作る」というと、医者を信じてこれほどやっていてなおらないのだから、これはあるいはそうかもしれないということになります。そうしてだいたいお医者が見ずにはいられないと思います。「とんでもないことを言う、もしか間違っていたらうんとやっつけなければならない。救世教というのは生意気な奴だ、宗教のくせにして医学のほうにはいって、医学が病気を作るなんてとんでもない」ということになったらいいのです。そうして質問してくるのを、こっちは待っているのですが、おそらくその勇気はないと思います。

▽次節に続く▽

「『御教え集』二十号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p72~74」 昭和28年03月07日