〔 質問者 〕明主様御礼申し上げます。このたび明主様より「自然農法普及会」に関しましての御構想と御垂示をいただきまして、本部といたしましてもいろいろ考えましたが、まだ細かい点はできておりません。大綱をたてまして、本日各地より熱意ある方たちに集まっていただき打ち合わせ会をいたしましたが、特に本日の特別御面会にも列席させていただいております。
【 明主様 】結構です。
〔 質問者 〕昨日の理事会と会長会議にて提案させていただきましたが、このたびの自然農法普及会は熱意をもって燃え上がってきましたが、それと相呼応しまして、小田原から埼玉、千葉という東京近傍の土地で教団経営の模範農場をやらしていただいてはと思います。そうしてそれをできるだけ識者に宣伝させて関心を高めて、初年度でこの程度だということを見せ、また四年五年とやっている地方に連絡をとり、そのほうも見学させるという方法はいかがなものでございましょうか。
【 明主様 】結構です。それならば、野菜から柑橘類、果実と、あらゆるものをやるといいです。
〔 質問者 〕農業家とタイアップしていきますと、それほど経費もかからずにやれると思います。
【 明主様 】経費がかからないどころか、あべこべに儲かります。
〔 質問者 〕各地で非常に自然栽培がさかんになってきておりますので、東京で野菜、果実などの販売所を設けて宣伝してはいかがかと思います。
【 明主様 】それは結構です。私はこの販売は前から思っていたが、二、三年前から清浄野菜というのが売り出されてますが、これは人糞尿は使わないのですが、化学肥料を使うのです。いろんな害虫は人糞のためだからこれは使わないが、化学肥料はそうではないというのです。そういうのを売っている所があるそうです。ですからこっちは自然農法でやるとすると、これは本当の清浄野菜です。とにかく自然農法とか無肥料栽培を看板にして街頭に出るということは非常に良いと思います。
〔 質問者 〕また農事関係、政治関係者にその米、麦の展示会を開き、試食会をやるということも考えております。よろしくお願い申し上げます。
【 明主様 】それは大いに儲かるでしょう。やはり儲かることは続きます。土地ですが、それは便利な所がいいです。そうするとほうぼうから来ます。交通が不便で行くのに時間がかかると、なかなか行きにくいものです。
〔 質問者 〕それに小田原か東京辺ですと、明主様にご覧いただくこともできますから。
【 明主様 】結構ですから大いにやってください。土地は最初から客土をすると良いです。肥毒のある土を、ないのと入れ換えるのです。それから種も全国で無肥料栽培を一番長くやっていた所の種をもらってくるのです。そうすると初年度からどんどんいって、すばらしい成績になります。そういうのを、東京付近にしても、一ヵ所でなく何ヵ所も作っていいです。そのつもりでやれば神様がいい所を見つけてくれます。それは神様のほうでちゃんと用意されます。自然農法のほうだとそういうようで簡単ですが、病気のほうはなかなかそうはいかないのです。
〔 質問者 〕和歌山県のほうでは、蜜柑には一ヵ年に反当り一万五〇〇〇円の肥料を入れておりますが、樹齢はだいたい三〇年から五〇年となっておりますので、肥毒のためにそうとう痛んでおりますが、昨年私がまいりまして、一寸平均に草を置きましたら、たいへんお蔭をいただきましたが、虫害が非常にございます。
【 明主様 】それは肥毒が残っているからで、しようがありません。
〔 質問者 〕一時消毒薬をやりますことはいかがでございましょうか。
【 明主様 】それがまた土にしみ込みますからいけません。
〔 質問者 〕やはり二、三年は辛抱いたしましたほうがよろしいのでございましょうか。
【 明主様 】そうです。ただ蜜柑などは、根伸びを良くするのだから、土を固めないようにするために、そうとう深い所まで掘り起して、よく空気が流通するようにするのです。よく農業のほうでは空気を入れなくてはいけないと言うが、そうではないので、空気は入れなくてもいいが、土を固まらないようにするだけなのです。
〔 質問者 〕草を置きますと非常に柔らかくなります。
【 明主様 】それは、草はずいぶん湿り気をしみ込ませるから固まらないのです。固まるのは乾くからで、それを防ぐから柔らかいのです。
〔 質問者 〕虫がつきますので、販売価格が非常に落ちるため、農村経済としまして三年か五年の辛抱ができないというのでございます。
【 明主様 】そんなに辛抱しなくても、一、二年でいいです。
それから養蚕ですが、桑に肥料をやらないとすばらしいものがとれます。この間の新聞に生糸に対する一大危機が来るというのです。それは今度アメリカで発見した新しい繊維はナイロンよりもずっと良い物で、これが出たらおそらく日本からの生糸の輸入の必要がないだろうというので、生糸の大打撃を受けるだろうと言ってます。アメリカでは日本の生糸を当てにしない方針に変えたというようなことが出てましたが、それに対抗するには無肥料栽培の桑を食わせるのです。そうすれば生糸の光沢から強靭な点において、すばらしい物になりますから、そうすればそれで対抗できるわけです。
〔 質問者 〕蜜柑の自然栽培五年目でございまして、昨年の暮れに御献上させていただきましたが、非常に良い蜜柑ができました。以前に明主様にお伺いしましたときに、そういう良い物ができるまでの間は消毒薬が地にしみ込まないようにしてやっても良い、というお言葉をいただきましたことがございますが。
【 明主様 】それはいいですよ。しかしそんなことができるわけはありません。つまり消毒薬が地にしみ込んで、また虫を湧かせる原料になるのだから、それを防がなければならないが、そのために地にしみ込まないようにして、虫だけを殺すことができるなら良いと言ったので、消毒薬をやれとは言いません。またそういうことができるわけはありません。
〔 質問者 〕先ほどの養蚕のことでございますが、蚕を孵化させる場合に、薬品をつけるということが全国的に行なわれており、それでいたしますと、一年に一度しかできないのが、春に一度すまし夏にまたできるそうでございます。
【 明主様 】それは絶対にいけません。自然にやらなければいけません。それは二毛作ということと同じになります。それで自然栽培の桑を食べさせると、蚕が丈夫になるからです。いままでは病蚕がたくさんできていたのです。それでそのときに原因が分からないので、ほかの手段を考えて、それを続けているのです。
〔 質問者 〕イナゴの稲に及ぼす害がだいぶあるようでございますが、これはなにから起るものでございましょうか。
【 明主様 】糞尿肥料です。
〔 質問者 〕ニュース映画で見ましたが、南洋方面で農作物が荒されたというので、飛行機で消毒薬をまいておりましたが、自然農法にきり換えますとなくなるものでございましょうか。
【 明主様 】それはずっと減りますが、ずいぶん多量にはいってますから、急にはいかないが、だんだんなくなります。南洋のほうでは硫安を非常に使うからです。
〔 質問者 〕自然栽培のことにつきまして、鈴木正吾さんが、議会で取り上げても良いことだから、材料を提供してくれと言っているのを聞きましたが、明主様の御著書のほうでの宣伝と同時に、議会を通じて働きかけるというのはいかがでございましょうか。
【 明主様 】議会に持ち出すのはまだ早いです。それほどの必要はありません。議会ということになると法律ということになるから、法律でコヤシをまくなと言ったところで、農民のほうでは迷信にかかっているから、おいそれと言うことを聞きません。それにまたその法律に賛成するというのはずっと先のことです。ですからいまそういうことを出すと笑いものになります。「救世教というのは、なんて馬鹿野郎だ、あんなことを言う」と、逆効果になります。やっぱり時期があります。そんなことをしなくても、そのほうが良ければ法律を出さなくても実行します。うまい物とまずい物があって、法律でうまい物を食えと言わなくても、実際にうまければそのほうを食べます。
それで佐渡などは一番先に始まりますが、佐渡では非常に成績が良く、未信者で自然栽培をするのがだんだん増えているようです。というのは、この間も話しましたが、佐渡では最初から浄霊をしないのです。だから、「なにも信仰にはいらなくても、あんなに良くできる、ではオレたちもやるベェ」ということになったのです。ところが他の所では、浄霊すれば大いに穫れるということを見せびらかすようにしているのです。ところがその人は、そうして早く信者にしようという気持ちなのですから悪くはないが、小乗的考えなのです。信者にしなくても、早く増産するようにしたほうが国家のためになりますから、だからどうすれば、信者にならないまでも早く分かるか、ということです。それを一々信者にしてやっていた日には、いつまでかかるか分かりませんから、信者でなくても肥料さえやらなければ良いということで、自然栽培を実行する人を増やすということがいいのです。だから浄霊をして見せるということは、それを妨害していることになるから神様の御守護がないのです。しかし佐渡ではそれをやってないので、神様が「これは良い」と、そこで御守護があるのです。その考え方ですが、いつも言うとおり、大乗的に考えなければならないのです。小乗的考えが一番いけないのです。だから佐渡だけは初年度から増産になってます。今度も書いておきましたが、浄霊は肥毒を消すのだから悪いことはない、結構だが、なるだけ人に知れないように、夜とか朝早くは結構ですが、日中はやらないようにすることです。それで未信者の百姓で自然栽培をやるのが増えていって、いずれはやっぱり信仰にはいります。だからそういうことは考えに入れないで、信仰しなくてもこのとおり立派にできるということを見せつけるのが一番良いのです。