教集19 昭和二十八年二月十五日(3) 

▽前節から続く▽

 それで「いろんな不思議なことがあつて命が助かる」ということは、正守護神がやるのです。正守護神でも、信仰と霊的因縁によって力の強いのと弱いのがあります。それからまた正守護神は一人ひとり人間を護<まも>っているが、その人間が徳を施し良いことをたくさんすると、その恵みが正守護神にも授けられます。その人が良いことをするのは正守護神が蔭で手伝うからですから、正守護神もそれだけ御神徳を受けるわけです。そうすると力を増すから、力が増すと、思うように助けることができるのです。ですから奇蹟もたくさん現われるということになります。だからこれは正守護神がやるのです。ところが中には、正守護神で神格を得ているのがあります。神格というのは、神様の位をもらった正守護神なのです。そういうのはすばらしい力があります。それからまたその人の系統によって、祖先が古くから産土<うぶすな>神様に祀られている人は、その産土神様の力を分けてくれますから、そこでその人の働きも大きくなれば、また奇蹟も大きくなります。だからその関係が分かれば、奇蹟というのは不思議ではありません。ただ目に見えないから奇蹟だと思うのです。きわどいところで、死ぬと思ったものが助かるということがありますが、それは正守護神がやっているのですから、別に不思議はありません。奇蹟集の「序文」だけをいま読ませます。

 (御論文「救世教奇蹟集序文」朗読)〔「著述篇」第一一巻四〇〇-四〇三頁〕

▽次節に続く▽

「『御教え集』十九号、岡田茂吉全集講話篇第十巻p32」 昭和28年02月15日