昭和二十八年二月一日 垂録17(6)

〔 質問者 〕『アメリカを救う』を拝見してきた人がありまして、六日に入信の予定でございますが、その人の話で、キリスト教が日本に伝来したときにその人の先祖が非常に協力したそうで、非常に喜んでおりました。年は取っておりますが、力の限り明主様に御協力をさせていただきたいと申しておりました。

【 明主様 】それはおもしろいですね。次に出す予定は『結核信仰療法』と『救世教奇蹟集』です。それから『医学革命の書』です。『救世教奇蹟集』はいま書いてますが、これはいままでのすばらしい奇蹟を出せばいいのです。それから『医学革命の書』はすばらしい記事です。いままで言わなかったようなことを徹底して書いてあります。これが出たら医学はもうどうすることもできません。とにかくいままで馬鹿にしていたような新宗教が、べラボウに大きなことを言うのですから、なにがなんだかさっぱり分からないようになります。ところが少し分かってきたらたいへんです。私の書いたものを取り合いして読むようになります。そうなればしめたものですが、いずれそういう時期が来ます。それまでのことです。

 

〔 質問者 〕各宗教と申しましても、いままでは口の先で言うだけで、ちょうど医者の診断のごまかしと同じで一時のがれをしてましたが、浄化作用が強くなるに従ってごまかしがきかなくなりますから、結局力のないものは亡びることになります。

【 明主様 】そうです。だから今度も書いてあります。「救世教に背を向ける者は亡びるし、抱かれる者は助かる。そのどっちかに決めなければならない。それが今後における人類の課題だ」ということを書いてあります。

 

〔 質問者 〕講演会にまいりまして「どうぞ救世教にはいってくれというケチなことは言わない。はいるのはそっちだから、どうぞお勝手に」というようなことを言ってまいりました。

【 明主様 】そうです。「はいってくれ」でなくて、「はいらしてやる」と言うのです。ですからただ「こういうものだ」ということを言うのです。はいる、はいらない、は向こうの勝手です。

 東北のほうの講演会はいつごろですか。

 

〔 質問者 〕二月一七日に出発いたしまして二五日の朝帰ります予定で、七ヵ所でございます。

【 明主様 】そうですか。なにしろ宗教というものは、信用がなくなってますし、そこにもっていって新宗教というとなおさら軽蔑してますが、そうかといって救世教以外の新宗教というのはもう形無しですから、実際しようがありません。

〔 質問者 〕実際が看板の塗り直しをやっているだけでございます。

【 明主様 】それは実力がないからです。

 

〔 質問者 〕漢方薬と蘭方薬との差で、結局同じことでございます。

【 明主様 】そうです。同じことです。立正佼成会の信者で「たいへん御利益があった」というのですが、それはなにかというと「いい医者が見つかった」というのです。

 

〔 質問者 〕こう書いてありました。「御守護によりまして良い医者に廻り合うことができましてたいへんありがとうございました」というのでございます。

 

〔 質問者 〕まったくかわいそうなものでございます。

【 明主様 】そうです。もっとも親玉が日蓮ですから。

 

〔 質問者 〕以前金光教の信者で「駅で腹痛を起したときに、駅員が良い薬を服ましてくれたので助かった。これも金光さんのお蔭だ」ということがございました。

【 明主様 】私がまだ民間療法をやっていたときに、そうとうな人でずいぶん通いましたが、それは金光教信者で「こういう良い先生に廻り合ったのは金光様のお蔭だ」と、その金光様に御礼に行っているのです。

 

〔 質問者 〕そういう信者がいまでもよくございますが、本当に見当違いでございます。

【 明主様 】私は腹の中でずいぶんあきれましたが、そうかといってこっちはまだヒョロヒョロしているときですから、しかたがありません。

 

〔 質問者 〕以前千葉の道徳科学研究所をやっている人で。

【 明主様 】モラロジーですね。

 

〔 質問者 〕やはり「そういった研究をしていたお蔭で、これを知らしていただいた」というように言っております。

【 明主様 】そうなのです。実際、今度『文藝春秋』に出てますが、踊る宗教だとか、ダンスをやるPL教団とか、それから生長の家は本屋みたいで、ただ本を読ませるだけです。結局仏教、キリスト教の焼き直しです。だからこれはというのはぜんぜんありません。結局救世教の独舞台<ひとりぶたい>になってますから、これからはますますおもしろいのです。

 

〔 質問者 〕私は、今度出版のお仕事をさせていただくにつきまして、ほかの宗教の出版物を全部集めて読んでみましたが、それぞれに奇蹟はありますが、やはり自分の想念でなおったこともありますし、結局その信者さんがその宗教にはいったことを感謝し教祖に御奉仕ということを考えたときに、ああいう奇蹟があるということになるのだと考えました。

【 明主様 】そうです。そういうことはうまくできてます。

 

〔 質問者 〕しかし結局のところ、いい加減なものに一生懸命になれば、いい加減なものになるに決まっております。

【 明主様 】そうです。こういうことは他にないと思います。それは、「こんなことがあるものかと不承不承でやっていても、なおる」ということは他にありませんでしょう。

 

〔 質問者 〕さようでございます。信じなければならないのです。さもなければ家族の者が一週間なり一〇日なりお参りしなければならないことになっております。

【 明主様 】ですから結局自力です。

 

〔 質問者 〕そこに無理にやるということに一種の偽善が出てまいります。

【 明主様 】己を偽るのです。こっちの特色はそこにあるのです。そんなことでなおるものかと思い、格好を見てガッカリしたりしますが、それでもなおるのです。

 

〔 質問者 〕結局、二六時中と申しますか、すべてはお道のことで割り切れていくということはございません。

【 明主様 】そうです。それは他の所ではありません。なにかボヤボヤして徹底していません。

 

〔 質問者 〕やはり病気のときは医者へ、金儲けのときは違う、と考えているのでございますから。

【 明主様 】そうです。それからこれがたいへんに関係しています。一生懸命に神様にお願いするというと、宗教によっては露骨に言ってます。日蓮宗などは「薬を服んではいけない、医者に行ってはいけない、そして神様にお願いしなさい」と言ってますが、それは薬をやめるから良くなるのです。それを「これが御利益だ」という間違いがあります。

 

〔 質問者 〕それが大部分でございまして、それを信仰づけたというものでございます。こういうことが出ておりました。奥さんは熱心で主人は反対という家で、主人が倒れたときに、奥さんは「あなたが苦しむのはあなたに間違いがあるからです。それを除って、そうして神様を信ずる気持ちになったらなおるでしょう」と言ったのです。主人は「馬鹿にしている、薄情な妻だ」と思いましたが、いろいろ考えてみると間違いがある。そこで神様を拝もうという気になったところが気分が良くなり、奥さんと一緒にお参りしたところが、先生は「信仰は調和の世界だから、一番憎い人を拝まなければならない、あなたが奥さんを拝むようになれば、神様を通じていただける」というので、奥さんを拝んだところがたいへん気分が良くなった。すると先生は「その気持ちで直接神様を拝みなさい」というので、一週間日参するとたいへん良くなった、ということが出ておりました。

【 明主様 】それは薬をやめたからです。それから気分的にもいくらかはいいでしょう。しかしまあその程度のものでしょう。

 

〔 質問者 〕もう少し難病になりましたら、手はつけられませんのでございますから。

【 明主様 】それは手はつきません。ですから救世教が出ないうちはそういうことで、いい加減に助けられたわけです。

 

〔 質問者 〕ああいうのを見ておりますと、救世教信者のわれわれは、明主様の御守護になれすぎていることを反省させていただきます。

【 明主様 】結局時期です。私もいろんな宗教の話を聞くとか本を読んでだいたいは分かりましたが、ずいぶん酷いのがあります。特に天理教などはおどかしてます。「この信仰から離れる者は、どんな災難があるか分からない」ということなどを根強く言ってます。それはなかなかうまい政策をしているものです。だからほかの信仰に触れるということを恐れるのです。それからまたその信仰をやめるということは非常に恐れているわけです。本願寺にしても「他のほうにちょっとでも触れると、死んでから阿弥陀さんの所にいけない」ということをずいぶんよく教育してます。それからキリスト教でも「贋キリストが出る」とか、「他に行くと救われない」という予防線はなかなか行き届いてます。救世教のように「他にやりたい信仰があれば、いくらでも行け」というのは、おそらくありません。

 

〔 質問者 〕この間キリスト教のそうとうに偉い人と雑談をしましたときに、『聖書』に矛盾があるらしいので、あなた方は素直に信じられるかと言うと、信じられないと言うのです。それなのになぜいるのかと言いますと、「キリストの再臨」ということを信ずるがゆえに、矛盾があってもあえて許せる。『バイブル』は古い本だから間違いもあるだろう。それがもし現われなければ、その宣布的なことも達せられない。そういう偉大な人の出現を待つだけだと言うのです。そこで私はもう出現していると言いましたのでございますが、それが本音ではないかと思います。

【 明主様 】そうです。私は、今度の『医学革命の書』に書いてますが、「私は救世主とは言わないし、キリストの再臨とも言わない。これからの私の仕事の上において、価値があったら、それから信ずればいいだろう」と書いておきました。看板をあげたり、自分はこうだ、ということはいままでにたくさん出ているのです。それはみんな駄目になっていますから、そういうことでは人が信じないのです。また信じないのがあたりまえです。しかし事実救世主だけの力をもって、再臨のキリストだけのことを事実において示せば、これは信ずるよりありません。それで結構なのです。

 

〔 質問者 〕これも薬毒のためではございましょうが、御守り様をいただき世界二〇億の人間が頭を下げたらということで、その御力一つを考えましても、ほかのものはなにもいらないと思います。

【 明主様 】そうです。それから「キリストのような奇蹟は、私の弟子でもできるのだから、もう日本には数十万のキリストが生まれている」ということも書いてます。しかしこれもいずれは分かりますから、結局時節です。

 

〔 質問者 〕いつでございましたか、フランスで御守り様をいただきました人がございましたが。

【 明主様 】たいへん感謝して手紙が来てました。

 

〔 質問者 〕そのことにつきまして、御守り様をいただきまして四、五日後に来た手紙によりますと、胃の悪い人が良くなり、片方の目の悪い人が良いほうと同じ程度にまでなり、やがては良くなるだろう、と書いてございました。

【 明主様 】これはヨーロッパに二つの種をまいたことになります。

 それから『アメリカを救う』ですが、やはりアメリカ人ではこの題だけを見て、シャクに障<さわ>ってムッとします。
「なんだ、太い奴だ。日本人はオレたちに救われているくせに『アメリカを救う』だなんて太い奴だ」という感情が手伝うから怒ります。しかしアメリカにも偉い人はいますから、そういうことはかまわずに読むでしょうが、ふつう一般人としたらそういう感情が出るでしょう。しかしそれでいいのです。怒らせるのがいいのです。あれを見ると、アメリカ医学を攻撃してあります。アメリカ医学をそうとう暴露的に書いてあるのですから、よほど公平な頭にならないと、それが邪魔をして分かるのに困難でしょう。とにかく良いにつけ悪いにつけ、問題になればいいのです。今年からは問題にされます。しかしその代わり今度は以前とは違いますから、問題にされ方も違います。この次の『結核信仰療法』は医学界、医者のほうで問題になります。とにかく「医学が結核を作る」などということになるとたまりませんからね。

 

〔 質問者 〕京都のほうでも、『アメリカを救う』などと、こんなたいへんな本が出るのですか、と言っている人がございました。

【 明主様 】あの題はみんな非常に褒めます。

 

〔 質問者 〕そして、見た感じが非常によろしゅうございます。

【 明主様 】ポスターもいいです。みんな褒めています。

 これはちょうど信仰を覆すようなものです。つまりみんな医者と薬の信者のようなものですから、それを引っ繰り返すことです。とにかく私の本当の目的は「医学の革命」ですから、『アメリカを救う』というのは、最初の小手調べにちょっと出したのです。ですから狙う所は医学の革命です。革命ということは、とにかくいままでのものはなくしてしまうということになります。だからこれは世界革命ですから、大きな仕事です。そのうちでも医学というのは人間の生命を扱うものですから一番重要なものです。その重要なものに対する革命で、これは一つの戦いです。それでいままでの世界で起った革命というのは小さなものです。私は共産主義も小さなものだと思います。なぜといえば、だいたい共産主義という、一つの主義に共鳴した者だけが、なんというか、救われているというよりか一致しているわけです。それからどんなことをしても全部が共産主義に共鳴することはありません。この医学の革命は最後においては世界全部が共鳴しますから、その大きさが違います。ただそれだけの大胆な革命はいままでになかったということは、それだけ根本的にはっきりされなかったのです。だからそれだけの革命ができなかったわけです。

 

〔 質問者 〕はっきり申しますと、新しい命をいただくわけでございますから。

【 明主様 】そうです。だからどうしても共鳴せざるを得ないわけです。共鳴しないとすれば、まだ分かり方が足りないわけです。

 

〔 質問者 〕救世教は病貧争をなくすると言っているのに、反対するということになりますと、その反対する人は病貧争が好きだということになります。

【 明主様 】そうです。つまり幸福拒絶ということになります。病貧争がなくなれば幸福になるのですから、それに反対するということは、幸福が嫌いかということになります。それでなければ「そんなことはない」と言いますが、そういうことを言うとすれば嘘を言うことになり、嘘は人を瞞すということになるから、それなら大いに言ってくればいいのです。ところが言ってくる人はないのです。ですから私は、大学に行って実際に浄霊して見せてやるとか、医科大学に行って講義をしてやる、そうして質疑応答をするのです。そこにいくだろうと思います。そうしていっぽうその場で浄霊をして、理論と実際とをやるのです。結局大学です。

 

〔 質問者 〕支部をやらせていただいておりましたときに、その地方でのちょっと偉い人などは最初はいばっておりますが、だんだん分かってくるとペッチャンコになります。それと同じようなものでございます。

【 明主様 】そうです。こっちは本当だから、最後には嘘は負けます。それにはこっちの信者がうんとできなければなりません。

 つまり共鳴して分かった者がたくさんできるということになるのです。ですからいまに束になって信者になる者ができるということになります。だから、これでは医学は駄目になってしまうから、政府や専門家が、良いものなら取り入れよう、悪いものならつぶそうということになります。ところが、つぶそうとしても、それはできません。

 

〔 質問者 〕こちらはもう試験済みなのでございますから。

【 明主様 】そうです。実際その効果によって信者ははいっているのですから、そういうことを言うよりも、家族や自分が病気になったときは、それをなおしてもらったほうがずっと得です。しかし以前からそういう考えはありましたが、こっちにそういう準備がないとそれはできないのです。それと、そうとうの信用です。これだけ存在が認められるようになって、そういうことがボツボツできるわけです。結局時期です。しかしあんがい早く来ました。どうしても最後は医学革命ということになります。救世教の仕事というのは、いままでにないことばかりをやるので、世の中をびっくりさせるが、そこで、引っ繰り返るような、恐ろしいような、小気味の悪いような、ありがたいような、というわけです。

 箱根の美術館も今度開館すると、ちょっとびっくりするようなことになります。つまり浮世絵というのは世界的だから、浮世絵を世界一ということにしようと思ってます。版画だけ〔で〕はどうしても世界一にはなりません。ただ質だけは同じということにはできますが、量だけはそうはいきません。

 

〔 質問者 〕この前も美術館の開館以来、救世教に対する認識が変わってまいりましたが、今度はまたたいへんなものと思われます。

【 明主様 】そうです。それから浮世絵の肉筆は世界一の目安がつきました。それからメシヤ会館ができると、あの建築というものは世界の一つの注目を集めます。私は世界の新しい建築を始終見てますが、ぜんぜん問題になりません。またその風景の良い所と、庭園と、建築と、これが一大芸術品のようになると、とにかく外国から見に来るだろうと思います。だからそうなったら「救世教は新宗教だからどうだ」ということは問題ではありません。一遍に頭を下げます。

 それから箱根の美術館は外国にだいぶ知れてきたようです。『ロンドン・タイムズ』かなにかの新聞に出たらしいようです。外国では非常に注目してます。

 

〔 質問者 〕昨年の暮れですか、英国の大使が強羅ホテルに来ましたときに、美術館にまいりましたが、ちょうど閉館のときでございましたのでガッカリして帰りました。

【 明主様 】今度の浮世絵展覧会を待っているでしょう。開館中には英国大使館の参事官が三度来たそうです。
 いま別館のほうはどのくらいできましたか。

 

〔 質問者 〕まわりを立ち上げて、一〇尺くらいブロックを組んでおります。

 

〔 質問者 〕別館ができあがりますと、また眺めが良くなります。紅葉亭がありましたときは、なんとなく。

【 明主様 】安っぽかったです。

 ほかの宗教でもこっちのまねをしたがっていますが、美術館だけは手をつけられないのです。講演会とか映画とか、余興に浪曲とかをやっている宗教もあるようです。

 

〔 質問者 〕今月の八日に生長の家が共立講堂で講演会をするようでございます。

【 明主様 】そうですか。講演会ができる所というと生長の家くらいでしょう。どうしてもインテリ型の宗教でなければ駄目です。南無妙法蓮華経ではしようがありません。

 

〔 質問者 〕現在の新宗教を見ますと、信仰の力というよりも、教会長とかのある程度の霊力、霊感で引っ張っているようでございます。

【 明主様 】そういうようなものです。

 

〔 質問者 〕生長の家にしても、谷口という人の文章的の頭の良さによっているのでございますから。

【 明主様 】そうです。本当の霊力というものがないからしようがないでしょう。

 

〔 質問者 〕名古屋には天理教の教会がたくさんありますが、非常に盛大にやっているのは一カ所くらいでして、後は逼塞の状態でつぶれていくようでございます。

【 明主様 】発展がないのです。

 

〔 質問者 〕それで一番発展している所でも、いまは発展しているが、それは私一代の間で、私の息子の代になると駄目だ、と言っているそうでございます。やはり狐かなにかが憑り、当てたりしているようでございます。

【 明主様 】そうです。肝腎なものがないから、いろいろ維持するためにはあの手この手を工夫してやっているにすぎないのです。それでも、とにかく天理教だけはどうやら勢力を保ってますが、後はしようがありません。金光教などはいまのところぜんぜんジリ貧です。今年いっぱいたつと、いろんなことが変わってきます。

 

〔 質問者 〕それはたいへんな変わり方でございましょうから。

【 明主様 】そうです。つまりこっちは太陽で、他の教えはみんな月ですから、月はだんだん光が薄くなっていくわけです。キリスト教は星くらいなものでしょう。太陽がだんだん昇って行けばしようがありません。他は消えていくだけです。それで結局日本は救世教だけになってしまい、他は消えてしまいます。だからこっちの発展の早さというものはすばらしいものになります。これからの進み方はますます早くなります。おまけにいままでなんだかんだと妨害されていましたが、それがなくなりますから……。一番のことはアメリカあたりに信者ができてくるとたいへんです。大本教のお筆先に「灯台下は真暗がり、外国から分りてくるぞよ」というのがありますが、アメリカがいよいよ始まることになれば、星のところに太陽が出るのですから、どうしても太陽を拝まなければならなくなります。太陽を拝まなければ拝む的がないことになります。

 そこで樋口さんは、名前もそうなってます。「グチ」は「クニということになりますから、「ヒグチ」というのは「日の国」ですから、どうしても日本が……。それに今度の『アメリカを救う』の表紙がそうなってます。
 まだ時間がありますから、なにか聞きたいことはありませんか。

「『御垂示録』十七号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p16~31」 昭和28年02月01日