樋口教師のハワイ布教、発見の叡智に必要性
【 明主様 】樋口さんはいつハワイに行きますか。
〔 質問者 〕二月一一日午後一一時五九分に羽田を出発でございます。
【 明主様 】二月一一日ですか、建国の記念日ですね。
〔 質問者 〕一一時五九分と申しますから、あと一分というわけでございます。
【 明主様 】一二時一分前ですね。なにか訳がありそうです。
〔 質問者 〕今度風邪のことにつきまして御教えいただきましたが、これでみんなひととおり御浄化をいただいたようでございます。
【 明主様 】今度風邪を引かない人は、べつに毒が少ないわけではないのです。固まり方が強いだけですから自漫にはなりません。むしろそういう人は、溶け始めると一遍だから、かえって危ないです。
〔 質問者 〕仏(ホ溶ケ)になってしまいますから。
【 明主様 】私も今日で二〇日ばかりになりますが、まだすっかりというわけにはいきません。もう四、五日かかります。今度のはおそろしくしつこいです。
〔 質問者 〕今度北海道に行かしていただきましたが、寒い所にまいりましても風邪のような状態にもならずに、終わらせていただきましてから風邪の御浄化をいただきました。御礼申し上げます。神様はまったく自由自在でございます。
【 明主様 】神様が押さえていたのです。
〔 質問者 〕そういうことからも、かねがね御用をきちんとしていればいいのを、とぼけているからうまくいかないということが言えると思います。
【 明主様 】そうです。つまり発見の智慧が必要なのです。なにか思うようにいかないとか具合が悪いことがあるときには「これはオレになにか悪い所がある、間違っている所がある」ということを発見するのです。そうすると気持ち良くなります。私などもよくあります。これは不思議だ、こういうことはないわけだ、なにかあるに違いない、と思いますが、発見できないのです。それから四、五日してから、パッと発見するのです。そうすると胸の内が気持ち良くなります。これは小さなことでなくて世の中の問題でもよくそういうことがあります。アメリカがどういうわけでああいうことをするのか、共産党がどういうわけでああいうことをするのか、ソ連がどういうわけでああいうことをするのか、ということでちょっと分からないことがあるのです。ところがそのうちにパッと分かるのです。そしてちゃんと予定のとおりになっているのだということに気がつくことがあります。だからその気がつく智慧、つまり叡智が必要なのです。
(次節に続く)