教集18 昭和二十八年一月二十七日(1)

 いま風邪で大騒ぎをやってますが、私も一二日から風邪を引いて、まだすっかりとはいきません。けれども、することはふだんと違いません。一晩だけは仕事もしないでゴロゴロしてましたが、あとはふだんと変わりません。だから、信者でない人は驚いてますが、こう言ってやるのです。「風邪というものはなおるに決まったものだから、もしなおらないとすれば、それはなおさないのです。ほったらかしておけばなおるに決まっているので、長引くとかこじれるというのは、なおさないようにいろんなことをしているからで、そうしてみれば怖いこともないので、ふだんどおりに苦しくない程度にやっているほうが得だから」と言ったのです。いまの人はそれさえ分からないのですから実にかわいそうです。風邪は万病の元といって、肺炎になりはしないか、なんの病気にならないかと、心配しているのですが、実に馬鹿馬鹿しいのです。またそういうように教育されているから、そう思ってしまったのですが、その教育される頭が、前の代のそのまた前の代から嘘を教えられてきて、それからそれへと来たのです。それで文化が進んだとか学問がどうとか言っていても、それしきのことが分からないのですから情けないものです。そのためにわれわれのほうはあの手この手でいろいろと知らせるようにしているのですが、なにしろこれは何百年前あるいは紀元前から教育しているのです。ヒポクラテスの時代から薬を使ってやっているのですが、それがいまもって分からないほどに瞞されきっているのです。ですからこれをぶち壊すということは容易なことではないので、一朝一夕にはいきません。しかし神様のほうでは、浄霊でなおるようにするので分かるのです。そういうようで救世教の信者だけは分かったわけですから、それだけ気強くはなりました。それでだんだん分かる人が増えていけばいいのです。それについておもしろく書きました。

  (御論文「風邪引結構」朗読)〔「著述篇」第一一巻三七六-三八〇頁〕

 それで風邪といっても、私のは最初水っ洟がうんと出たのです。それは鼻紙が山のようになるほど出ました。そうすると頭がずっと軽くなりました。これは昔の歯につけた薬毒が頭にあったのですが、それが水っ痍になって出たのです。それから歯茎が痛かったので浄霊すると、やっぱり水っ洟が出るのです。ですから歯茎から洟が出るということはちょっと気がつきません。それで歯の痛いのもだいぶよくなりました。そしていったんなおってから、咳と痰がまだ出るので、どこから出るのかちょっと見当がつかなかったのですが、これは下腹の右のほうに毒の固まりがあって、そこから熱が出て、足がだるいのです。それが溶けて足に流れていたのです。それを浄霊すると咳と熱は冷めて、よほどよくなりました。それは咳と痰が出るのですから風邪には違いないが、その原因たるや下腹にあるのですから、これもちょっと気がつきません。そういうようで風邪といっても、体中のどこかにある薬毒が溶けるのだから、風邪を引けばどこかの掃除ができるわけです。それを知らないから止めるのです。人間もずいぶん馬鹿気た所がたくさんありますが、これはその馬鹿気たうちの王様だろうと思います。それでワクチンを大いにやらなければならないとかさかんに言って、ワクチン何万人分ということを言ってます。今日の『熱海新聞』を見ると「熱海にもいよいよワクチンがはいってきた、喜べ」と言うのです。二〇〇人分というのですが、それをまるで宝物のように思っているのです。二〇〇人分というのですからよほど重い人とかにやるのでしょうが、本当に馬鹿気たことで見てはいられません。とにかく唯物科学のためですが、文化民族というものがあまりに低能なので、どうしていいか分からないくらいに思います。もっともこっちが分かり過ぎるのかもしれません。これがだんだん分かるようになるのですが、それにはやはり神様のほうでも、これでもか、これでもかと、どうしても分からなければならないようにやる……わけではないが、神様がやるような形になるのです。自然なのですが、それを書いてみました。

(御論文「大恐怖時代来らん」朗読)〔「著述篇」第二巻三八四-三八七頁〕

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻」 昭和28年01月27日