教集18 昭和二十八年一月十七日(2)

▽前節から続く▽

 これは一つの例ですが、すべて人に酷い目に遭わされたり、人からいじめられたりしたときは、それをすぐに仇を討とうという気持ちを起さないで時日を待つのです。それは自分が悪くてはいけませんが、自分が正しかったら必ず良い結果になるのです。昨日も偉い人たちの集まりがあって話をしたときに、戦の話になって、日本が戦に負けたということの話から私は言ったのです。とにかく人間は勝とうとしたり、勝ったりすると負けるのだから、戦で勝つには逃げるに限るのだ、逃げるくらいな人ならきっと勝つのです。ところが日本兵は逃げないのです。どこまでも進みますから戦に勝てないのです。私は、マッカーサーがフィリピンで戦ったときに命カラガラ逃げましたが、あのとき私はみんなに言ったのです。「マッカーサーはたいしたものだ、とにかく逃げた、だからいまに立派な人になる、すばらしい軍人だ」と言って褒めましたが、聞いた人はここにも幾人かいるでしょう。ところがはたして偉かったのです。そういうようで人間は勝っては駄目です。負けて逃げるくらいならまず勝つのです。ですから裁判なども、控訴して勝ったらやっぱり駄目なのです。だからこっちが正しくて負けるというのは、非常に割の悪い、業腹<ごうはら>なことですが、それを我慢して負けると、それ以上大きく自然に楽に勝てるというわけです。これは大きな話ですが、小さなことでもそうです。家庭的のことでも、負けておくのです。そうするとその人はきっと勝ちます。勝った人が必ず謝ることになります。だから昔から言う「負けるが勝ち」ということは真理です。その話はこのくらいにしておきます。

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p367~」 昭和28年01月17日