教集18 昭和二十八年一月十七日(1)

 私が今度の判決で控訴しなかったので、この間そうとうの偉い人が「どういうわけか、したほうがいいではありませんか」と言うのです。それで私は「控訴したところで駄目だし、万一勝ったところで小さな問題であって、それよりかほうっておいたほうが、仇討ちにしろかえって大きい。それはどういうわけかと言うと、私がいまに世界的の偉い人になったとすれば、あのときにあんな酷い目に遭わせて、とんでもない間違ったことをした。実に相すまなかったと言って、どのくらい後悔して、くやむか分からないから、そのほうが大きいではないか。それならやり方がきれいで、かえって効果が大きいから」と言ったところが、「なるほど宗教家らしい考え方ですね」というようなことを言ってました。それでまた話してやったのです。

 有名な話ですが、松島に瑞巌寺<ずいがんじ>というお寺がありますが、あのお寺を開いたのは、これはそうとうに知っている人があるでしょうが、昔伊達様に足軽で奉公していた若者で、草履取<ぞうりとり>をしていたのです。ところがある雪の降る寒い日に、殿様の草履を温めてあげたいと思って、懐に入れておいたのです。それで外出されるときに草履をはくと温かいので、「貴様がはいたに違いない」と、けとばされたというのです。そうして追い払われたので、悔しいので、なんとかしようと思ってもどうにもならないので、死んで証をたてようと思って自殺しようとしたところが、そこを偉い坊さんが通りかかって、お前はなんのために死ぬのだと言うので、自分はこうこういうわけで悔しくてしょうがないから、死んで仇を討つと言ったところが、「それはつまらない、それよりかお前がうんと出世をしなさい。そうして見返してやれば、それが一番大きな仇討ちだ」と懇々と言われて、自分もなるほどと思ってその坊さんの弟子になって修行して偉い坊さんになって、それから支那に渡ってまた修行して帰ってきたのです。そうして有名な坊さんの第一人者になったわけです。そうするとたまたま伊達の殿様がそれを聞いて、そういう名僧ならぜひ御招待したい、しかもやはり仙台のほうの人間だそうだし、自分の領地からそういう偉い人が出たということは、なおさらたいへんな名誉だからぜひお招きしたいと、会われるのです。それで殿様はたいへんに優遇していろいろ話を聞いて、帰りがけに坊さんは自分は土産を持ってきたが、これをぜひ殿様に上げたいと言って、立派な包みから恭<うやうや>しく出して殿様の前に置いたのです。見ると草履なので、どうしてこういうものをくれるのかと言うと、これには謂<いわ>れがある、実は私が若いときにあなたの草履取をしていた、それである一日こういうことがあったのです。と、すっかり話をして、それだからしてこの草履のために自分はこれだけの出世をすることになったのだから自分としてはたいへんな宝物だ。それもこれも殿様のお蔭だから、その記念としてこれをお土産に持ってきたのだ、ということを話したので殿様は恐縮したのです。そうかといって悪い気持ちはしないのです。そこで大いに面目をほどこしたとともに一つの仇討ちをしたのです。それでは一つ寺を寄進しようと言って造ったのが瑞巌寺というお寺です。そういう話があります。

 ですから私はそういうような気持ちで控訴はしなかった、と言ったのです。なるほど、そう伺ってみるとそのほうがいいかもしれない、と言ってました。

▽次節に続く▽

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p365~367」 昭和28年01月17日