教集18 昭和二十八年一月十六日(2)

▽前節から続く▽

 それからこれはおかしな話ですが、ある偉い人が「この間の裁判の判決で控訴しませんか」と言うから「控訴はしない」と言ったのです。すると「控訴したほうがいいではありませんか」と言うのですが、「控訴しても、先では決めているのだから勝てるはずはありません。またよしんば勝ったとしても、たいしたおもしろ味はないし、それよりかそのままにしておいて、こっちが世界的にうんと有名になって、それを先生たちが見たら、あんな立派な人をあんな酷い目に遭わせたということは、自分は実に間違っていたと言って、そこで非常に後悔しますから、その苦しみのほうがかえって大きいのではないか。ですから私はその考えで、勝つならもっと大きく勝つべきだと思っている」と言ったのです。「なるほど宗教家らしいお考えですね」と言ってました。

 それについて有名な話があります。松島の瑞巌寺<ずいがんじ>というお寺をこしらえた端厳和尚の伝記がちょうど同じようなものです。あの坊さんは若いころ伊達様の足軽になって、ある雪が降った寒い日に草履<ぞうり>を懐に入れて温めたのです。すると殿様は非常に怒って「貴様がはいたのだろう、けしからん」と言って、けとばしたのです。それで悔しくて、そこを出て自殺しようとしたところが、通りかかった坊さんが助けて、お前はどうして死ぬのだと聞いたところが、こうこういうわけで悔しくてしょうがないから、死んで恨みを晴らすのだ、自分の心のきれいだったということを見せるのだと言ったら、その坊さんは「それは嘘だ、死ぬ気になればなんでもできるから、偉い人になって見返してやりなさい。それが立派な仇討ちだ」と言うので非常に感激して、その坊さんの弟子になって修行して立派な坊さんになって、支那に渡ってあっちでまた修行して帰ってきたのです。それはいまの洋行帰りよりも、当時の支那から帰ったということはもっと箔がついたのです。それを伊達様が聞いて、出身はなんでも仙台地方のようだというので、招待の使いを出したのです。それで快く承知していよいよお招きにあずかったのです。そうしていろいろ優遇されて、帰りがけに殿様にぜひ上げたい土産を持ってきたと言って、恭<うやうや>しく紫の袱紗<ふくさ>に包んだかして出したのです。それで殿様はどんな物かと思って開けてみると、草履が一足出てきたので、これはいったいどういうわけがあるのですかと言うと、実は私は若い時分に殿様の草履を温めておいたところが、逆解されてそのために自分は叱られて追い出された。それが悔しくて、そのために自分はこれだけに出世したのだから、この草履は自分にとってはたいへんな出世の動機だ。それでそういう酷い目に遭わされた殿様のために出世をしたのだから、そのお礼をしたいと言ったので、殿様も非常に感動したのです。これは有名な話です。

▽次節に続く▽

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p361~363」 昭和28年01月16日