教集18 昭和二十八年一月十五日(3)

▽前節から続く▽

 ですから人間はごく酷い目に遭わされたときには黙っているのです。そうしてこっちが偉くなればいいのです。そうすれば相手は「こんなたいした人をあんな酷い目に遭わして、自分はなんたる愚かだったか、実に申し訳ない」という心の煩悶を起すのです。この仇討ちが一番いいのです。ですからふつうの仕返しというのは、ごく小さいことで、またそのために恨みを残すということになります。私がその話をしたところが、その人は非常に感心して「なるほどそうです。宗教家らしいお考えです」と言ってました。結局キリストを磔<はりつけ>にしたヘロデ王も、霊界に行ってどんなに後悔しているか分かりません。それからお釈迦さんに対する提婆<だいば>とか、日蓮上人に対する北条時政という人たちは、無論生きているときはそうでもなかったが、霊界に行ってどんなに苦しんだか分かりません。

▽次節に続く▽

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p359~360」 昭和28年01月15日