教集18 昭和二十八年一月十五日(1)

 社会的にそうとう立派なある人が、この間の判決をみて「なぜ控訴しないか」と言うのです。それで私は「控訴してもどうせ勝てるわけではないし、勝ったとしたところで、たいしたおもしろ味がないから止した。私はもっと大きく仇を討ってやろうと思っている」と言ったら「いったいどういうわけですか」と言うから「私がいまに大いに出世して世界的になれば、あれほどの人をどうしてあんなに酷くいじめたのだろうと言って、大いに煩悶するだろうから、そのほうがかえって深刻な仇討ちではないか」と言ったのです。

 これは昔から例があります。松島に瑞巌寺<ずいがんじ>というお寺がありますが、その和尚の話で有名な話ですから聞いているでしょう。その人は若い時分に伊達の殿様の足軽になって、いわゆる草履取<ぞうりとり>をしていたのです。そうして雪の降った寒い日に、草履が冷たいといけないと思って、懐に入れて温めたのです。それを殿様がはいたところが温かいので「貴様はいていたのだろう」と、けとばしたのです。それで悔しくてしょうがないので、そこを飛び出して死のうと思って、首をくくったか川にはいったか、どうかしたのです。するとそこを通りかかった坊さんが助けて「お前はどうして自殺をするのか」と言うので、実はこうこういうわけで悔しくてたまらないから、自分の気持ちを分かってもらいたいために死ぬのだと言ったのです。そこでその坊さんは「お前の考え方はごく小さい。それでは殿様に対する恨みを晴らすといったところで、わずかなもので、すぐ忘れられてしまう。それよりももっと大きな仇を討て」と言ったので、「どうしたらいいか」と言うと、「お前がうんと出世をして殿様を見返してやるのだ」と、懇々と諭したので、自分もその気になってうんと勉強して、日本でもそうとうな坊さんになったのです。その結果支那に渡って、支那でまた修行したのです。その時分に支那に行くというのは、いま外国に行くのより、もっとたいしたものなのです。それで支那から帰ってしかるべき寺の住職になったのです。なにしろ学問はあるし、立派な人格者としてたいへんな評判になったのです。それで故郷が仙台だということを仙台の伊達の殿様が知って、そういう立派な坊さんならぜひ招待したいというので、呼んで初めて会ったのです。そこで殿様は、よく来てくれたとたいへんに喜んで歓迎したのです。それでたいへん優待され、帰りに、ぜひお土産を上げたいと思って持ってきた物があると言って、懐から立派な包みにつつんである土産物を、恭<うやうや>しく殿様の前に出したのです。見ると草履なので、殿様はアッケにとられていたのです。それで坊さんは「不思議に思われるのはあたりまえです。実はこれには謂<いわ>れがあります」と、その謂れを話したので、殿様は恐縮して「そのお詫びの印にあなたに寺を寄進しよう」というので建ったのが松島の瑞巌寺です。その人は瑞巌和尚というのです。その仇討ちですが、非常におもしろいと思います。

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「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p358~359」 昭和28年01月15日