最初にちょっと注意したいことは、浄霊のやり方にどうもまだ力がはいるようなのです。その力がはいるというのは「一生懸命」にやるからです。この「一生懸命」がいけないのです。しかも急病とか患者が苦しんでいる場合には早くなおしてやろうとしてよけいに一生懸命になるから、かえって効かなくなるのです。だから患者が苦しんでいるときや、早くなおしてやりたいというときほど「一生懸命」になってはいけないのです。神様のことは反対が多いのですから、できるだけ軽く、まるで人ごとのような気持ちでやることです。というのは、光が御守りから手を通って出る場合に、ここ(掌)で一生懸命になると、そこでつかえてしまうのです。掌はなんでもなく気がはいらないと、この光がずっと通るのです。私は浄霊する場合には「なおしてあげよう、曇りを取ってあげよう」という気持ちはありますが、手のほうは「ええい、かわいそうだからやってやろう」というような至極不真面目といえば言えますが、そういう気持ちでやってます。またそのほうがよく効くのです。ですからそれを忘れないようにしてやることです。まあ、なんでもないことをしているという気持ちです。それを忘れないようにしてやることです。よく御守護の電報が来ますが、なんでもなくなおるようなことを電報で来るのです。というのは、浄霊の効きが悪いからなのです。悪いということは力がはいるのです。それは長くからやっている人と最近の人との違いさはありますが、だいたいいま言ったような点が一番ですから、ちょっと注意しておきます。
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「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p352~353」 昭和28年01月07日