教集18 昭和二十八年一月六日(1)

今度秩父宮様がお亡くなりになったことで、私は思い出したのは、あの方に二度か三度頼まれたことがあるのです。無論私は快諾して、話はかなり進んだところまでいきましたが、それっきり音沙汰がなくなったのです。そういうことがよくあるのです。かなり話が進んでもこわれてしまうのです。たいていはお医者に相談するのですが、医者に相談したら賛成する気づかいはありませんから、それでこわれたのです。それからこれは終戦前ですが、履歴を調査するのです。私は以前久邇宮様の妃殿下に頼まれて、何日に行くというところまで話は決まっていたがこわれてしまったのでよく聞いてみると、警視庁で身元を調べたところが、元大本教信者だというので、あの時分には大本教は不敬問題でひっかかった時代ですから、一も二もなく駄目になったのです。そういうことがよくあったのです。秩父宮様には終戦後も頼まれたのですが、これは不敬問題でなく、新宗教というもので病気などなおるものかというわけで、それを止めるほうがてんで勝ってしまうのです。まだ五〇歳ですから、お年からいえばまだまだお若いのですから、非常に残念なような気がします。病気というのは、結核でしばらく養生されていたのですが、その間に薬をのんでますから、その薬がだんだん胃の下のほうに溜まったのです。ですから最初は膵臓が悪かったのです。それで膵臓の付近に薬毒が固まると糖尿病を起しますから、無論糖尿病も起っていたでしょう。それもある程度溜まってくると、今度は右のほうに溜まってくる。だから今度の主因は肝臓による黄疽ということになってますが、ここに溜まって肝臓を圧迫して胆嚢を圧迫して黄疽が起ったのです。ですからこれはまったく薬毒病です。それはみんな薬毒病ですが、これは新しくこしらえた薬毒病です。要するに善意の殺人です。まあ、やられてしまったわけです。はっきり言うと実に恐ろしいような話ですが、言わなければ分からないから言うのです。私は昔、医学というものは「病気製造法だ、官許の殺人だ」ということを論文に書いたことがありますが、それはあんまり正直すぎますから出さなかったのです。正直はいいといっても、あんまり正直ではかえって問題でも起すといけないからよしましたが、考えてみると実にたいへんな世の中です。宮様でも、最初からなにもしないでうっちゃらかしておけば、まだピンピンしてます。それでいままでいろいろと本を書きましたが、医学について本当に書いた本はなかったのです。それで今度の『アメリカを救う』という本も、ごく簡単に書いてあるのです。予定になっているのは『結核信仰療法』ですが、これもいずれ出版しますが、なんとしても医学を本当に徹底して、少しも衣をきせないで赤裸々に書かなければならないのです。なにしろいままでとは反対の説ですからして、よほど徹底しなければ理解できませんから、どうしても分からなければならないというように書いた本を、いま書き始めたのです。その「序文」とその次のができましたから、それをいま読ませます。

 
(御論文『医学革命の書』「序文」朗読)〔「著述篇」第一一巻一七八―一八一頁〕

(御論文『医学革命の書』「医学は迷信なり」朗読)

 かなり徹底して書いたつもりですが、まだもっと突っ込んで、本当に分からないわけにはいかないというように書くつもりです。そうして付録として、お蔭話に批評をつけたのがありますが、それがだいぶたまって七、八十できましたから、一〇〇にしてそれを付録にするつもりです。これは『医学革命の書』というのですから、結局において医学をどうしても革命しなければならないのです。それで結局これが根本です。どんな救いでもまず病気というものをなくすということを前提とすれば、あとは楽なものです。むしろあとは自然でもよくなってしまうのです。ですから病気ということについて、一番分からせる方法をこれからやるのです。病気というものはあらゆる悩みの根本です。ところがそれに対する医学の間違いの根本は薬なのですから、結局薬をなくすることです。ところがいまの世の中では薬をさかんに宣伝したりしてます。アメリカなどは特に大わらわになってます。そういう点もありますから、今度の『アメリカを救う』の本は、本元に原子爆弾を投げつけるというわけです。それで人間の不幸、不仕合せというものの原因はなにかというと、薬なのです。ですから薬がなくなれば人間は幸福になります。幸福になれば世界はよくなるからミロクの世になるのです。ですから薬をなくすればミロクの世はできると思えば間違いありません。それほど薬というものは恐ろしいものです。それについて霊的に書いてみました。

 
(御論文「薬が不幸を作る」朗読)〔「著述篇」第一一巻三七三―三七五頁〕

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「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p346~349」 昭和28年01月06日