教集18 昭和二十八年一月五日(3)

▽前節から続く▽

 『アメリカを救う』という本はできましたが、今度書く本は、今度は日本人を救うというか、そういうような意味で、できるだけ分かりやすく書きます。お蔭話のうちで、私が批評を加えたのがありますが、それが七、八十になりましたから、一〇〇になったらそれを付録にして、医学の間違いをできるだけ分かりやすく書いて出版しようと思ってます。その「序文」だけを書いたのでいま読ませます。本の名前は『医学革命の書』というのです。

(御論文『医学革命の書』「序文」朗読)〔「著述篇」第一一巻一七八―一八一頁〕

 それから薬が病気をつくるということですが、そればかりでなく薬が悪をつくり不幸をつくるということを書いてみました。これには不幸をつくるだけしか書いてありませんが、この次には薬が悪人をつくるということを書きます。ですから悪人というのは薬でつくられるのですが、これも大発見です。それをいま書いてますから、もうじきできます。

 ですからあらゆる災いも不幸も悪人も、ことごとく薬でつくられるのです。この薬がキリストの『旧約聖書』にある禁断の木<こ>の実です。ですから禁断の木の実は薬のことです。それを詳しく書きました。そうして神は悪をつくり不幸をつくり人間を弱らせて文化を進歩させたのです。これが根本的なものです。ところがキリストがそこまで説かなかった、ということは、やっぱり時期の関係です。いまの不幸のところだけを読ませます。

 (御論文「薬が不幸を作る」朗読)〔「著述篇」第一一巻三七三─三七五頁〕

 だから浄霊というのは霊的には霊を浄めることですが、体的にいうと薬をとる方法です。ですから除薬法といってもいいのです。薬はそれほど恐ろしいものです。けれども長い間一つの薬剤迷信に陥ってますから、なかなか信じにくいのです。信者になっても、相当期間はやはり薬迷信がぬけないものです。ですからこれからそういったことを大いに世の中の人に知らせようと思っていろいろやっているのですが、こういうことも今度の本に出すつもりです。そういうようで、人間の体から薬さえぬけば元気になるばかりでなく、精神的にも非常によくなるのです。第一、薬がなくなってくると、目つきが違ってきます。気持ちがいいです。始終気のふさぐ人とか元気のない人というのは全部薬毒です。特に若い婦人などは薬を多く入れると、無論顔色は悪いですが、皮膚などは小じわが寄って年寄りのようになります。ですから若いつやつやした血色はなくなってしまいます。薬をとるということはもっとも効果のある美容法です。ところがいまの人は薬をのんでいるので、第一顔色が悪いです。この人は薬毒が多いか少ないかは顔色を見るのが一番です。青い色をしたり、あるいはどす黒い、暗いような色をしている人は必ず薬毒が多いのです。ですから薬毒をうんと入れたいまの婦人は顔色を悪くしているために、しかたなしに人為的にごまかさなければならないということになって、そこで化粧品が売れるのです。だいたい本当に血液がきれいになれば、そんなに化粧しなくても、皮膚も滑らかになって美しい顔色になるのです。だから救世教信者になると、女が一番気に病む顔の美しさがたいへんによくなるのです。ですから長く信者になっている婦人は非常に美しくなります。私は始終見てますが、前にはそうでもなかった人でも、このごろはばかにきれいになっているな、とよく思います。これはまったく血がきれいになったためです。ですからそういう点の仕合せというものは違います。それに、第一感じがよくなります。ですから信者でない女を見たり口をきいたりしても、私は少しも魅力がありません。ですから信者の婦人は非常に感じがいいです。それは無論信仰のためもありますが、薬毒が減るという関係も大いにあります。ですから相手が婦人の場合には、宣伝の一つの道具として、それを大いに言っていいと思います。私は女にそういうことを言うのは、病気が健康になるというよりか魅力があるのではないかと思います。女にとっては顔のきれい、きたない、ということは命以上ではないかと思います。化粧品の広告のようになりましたが、まあ信仰宣伝です。なんでも信者にさえなればいいんですから、それは大いに有効だと思います。

 それからこの前に「名人が失くなった理由」ということで、俳優のことを書きましたが、その次の画家の名人が失くなったということを書いたのでいま読ませます。

 (御論文「名人の失くなった理由(二)」朗読)〔「著述篇」第一一巻五五l五八頁〕

 これもやっぱり医学と薬のためです。それを今度詳しく書こうと思ってます。

△御講話おわり△

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p344~346」 昭和28年01月05日