教集18 昭和二十八年一月三日(5)

▽前節から続く▽

 それから中国のほうも紅卍字会<こうまんじかい>がいずれ働くことになりますが、とにかく中共政府がああやっていたのではそれができないから、そこで神様はいい具合に地ならしを始めるわけです。そうしてちゃんと宗教宣伝のやりいいような状態にお膳立てをするわけです。そうしたらこっちも中国に大いに宣伝して中国を救うという段取りになるわけです。

 ですから「世界夢物語」に書いてあるとおり、今度アイゼンハウアーがいずれ朝鮮に対して積極的に大攻撃をやるだろうと思いますが、それでも埒<らち>があかないのでどうしても満州あたりに行って、その結果戦禍が中国全土に及ばざるを得ないという状態になります。神様は古い汚いものをきれいにしていろいろ地ならしをして、そうして新しい地上天国を造られるのですから、そういった変化が今年からボツボツ起ってきますから、そのつもりでそういうことを知っていて見ると一つの興味がある話です。しかしずいぶんいろいろと悲惨なことがあるのを興味本位に見るということはけしからん話ですが、しかしこっちは建設のほうですし、それにべつに私がやるわけではなく、神様のやることだから、お気の毒でもあるが、それでいいのだという意味にもなるわけです。

 そういうようなわけですから、建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分かります。それが分からないで見ると、なにがなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分かっていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様のほうです。しかし芝居でも悪役と善役とあります。どんな芝居でも、見れば分かるとおり、善の役というのは悪役に苦しめられるものです。そうしてさんざん苦しめられたあげく、最後に至って悪のほうが成敗されて善のほうが勝って、めでたしめでたし、というのがだいたいの筋です。やはり世界の芝居でも同じようで、そういうような脚本でつくられるわけです。神様が何万年も前につくられて、そういった筋によってやられるわけです。とにかくたいへんに大きな芝居です。そのたいへんに大きな芝居を見物できるのですから、いま生まれてきて救世教信者になっている人は開闢<かいびゃく>以来ない芝居を見られるわけです。その代わりだんだん明るくなりますから、病気もうんと起ってきて、それは恐怖時代が来ます。そのときに戦争のほうの芝居は見物人になってますが、その病気のときには大いに活動しなければなりません。しかし人を助けるのですから戦争の役よりかずっといいです。それにこっちは被害をこうむらないで、大いに喜ばれるといういい役をするわけです。この話はそのくらいにしておきます。

▽次節に続く▽

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p336~338」 昭和28年01月03日