教集18 昭和二十八年一月三日(2)

▽前節から続く▽

 今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字からいってもたいへんいいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字はいままでにもたくさんありましたが、特に良いということは「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのがたいへん大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」ということは「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」ということは「統治する」ということです。よく何神様が世の中を統治遊ばされる、しろしめされる、と言います。天皇などの場合も、天皇がしろしめすと言いますが、そこで「日偏に召す」ですから、「日がしろしめす」ということになります。それは昼間がしろしめすということです。それで昭和の時代に昼間がしろしめすということです。それで「和」は「輪」で、「世界」ですから、昼間の世界ということです。それで「二」というのは「天地」で、「十」は「結ばる」ということです。それで霊体の結び、経緯<たてよこ>の結びというわけです。ですから「二十」という数字は非常にいいのです。それから「十」は「経緯」です。それで十がもう一つ重なると井の字になりますが、この「井」の字がやはり二十と同じ意味になります。この「井」の字は「経綸」ということです。ですから姓名に、今井とか村井と井の字がつくのがよくありますが、そういった経綸の場合に井の字がよく使われているものなのです。そこで言霊<ことたま>から言っても、「井」の字と、片仮名の「イ」もやはりそれと同じ意味です。この「イ」というのは「人」ということです。ですから「人」というのは霊<れい>と体<たい>ですから、やはりそういう意味になります。それで二十の五、六、七がすんで、つまりミロクがすんで今年から「八」で、いよいよ開くという意味です。ミロクの経綸が開くという意味ですから、今年から非常にいいわけです。それでまた昼の世界がいよいよ開けるという時にもなるのです。そういう形になりつつあります。

 それでこの「八」という字を解釈してみると、「八」は「八百万<やおよろず>」とかと、そういう意味のことによく言われますが、「富士山」の形になるのです。富士山は八の字の形です。ですから富士山は一名「八スの山」と言うのです。「八ス」ということは「ハス」ということです。つまり仏教的に言うと、「八ス」は「蓮の花」になります。それで、蓮の花は蓮華台ということです。蓮華台というのは、一番貴い山です。よく仏像などが立ったり、あぐらをかいたりしているのに、下に蓮の花があります。観音様の絵などにも、蓮の花の上に立たれているのがよくありますが、そういうようで蓮ということは、非常に貴い神仏が乗られるという意味なのです。ですから富士山には兄の花咲爺姫<こはなさくやひめ>がお祀りしてあるということは、兄の花咲爺姫は観音様ですから、富士山は観音様の蓮華台ということになります。そういうようですから「八ス」ということは蓮華台ができるということにもなります。とにかく一番強い意味は開くということです。また「八」は「ハ」で、「ハ」というのは「発する」ということで、開けるから、今年からそういう形になっていくわけです。

▽次節に続く▽

「『御教え集』十八号、岡田茂吉全集講話篇第九巻p333~334」 昭和28年01月03日