八月五日
この一日の晩に大浄化が起きて夜中じゅう下痢で、寝たのは朝の三時ごろです。それもときどき痛む、ウトウトすると腹が痛む。それから凄い下痢でして、どこにこんな材料があるかと思うくらいです。食物にあたったかと思ったが、もし食物にあたったとすると、他の人もならなければならないが、私だけですからそれでもない。一昨日は一日じゅう、なにも仕事しないで寝たり起きたりしてました。アメリカ人が美術館を見に来たので、しかたなしに二度行きましたが、私としてはたいへんなのです。今日はあらかた良くなりましたが、良く調べてみると、ここ(後頭部)に元から固まりがある。八つ頭の小さいようなもので、固くて骨みたいなものです。これはなんだというと以前歯の薬をつけた、それがここに固まってそれが溶けてきた。だから非常に良いことなのです。そして少し原稿なんか書くと、じきここ(後頭部)が凝ってきて、三〇分は書けるが一時間は難しい。そうすると後三〇分か一時間休まなければならない。ところが下痢のためにこれがだいぶ小さくなったので、昨日も書いてみたが非常に具合が良い。頭の働きが良いのです。だからもっと出たらなお良いと思います。まだかなりあります。そんなような具合で私がいつも言う、赤痢は頭の浄化だというがよく合うのです。これは赤痢ではないが、とにかく後頭部に浄化しているのです。ですから近ごろは非常に浄化が強くなってきて、家の太田が非常に強く下痢して日に十数回あったが、これは頭なのです。だからお腹なんかも頭をやると治ってくるのです。以前ですとそういう浄化はなかった……頭が痛いとかガンガンするとか、そんなだったが、いまのは頭の浄化で下痢をするのです。これは早く治ってたいへん良いのです。そこでいまの人の浄化はほとんど頭と頸です。ですから一番先にここ(前頭部)をみて、熱ければここに浄化が起きています。それから頸をみて、どこかしらに熱がありますから、それを浄霊する。そうすれば下痢も治ります。私はこんなことは五、六年ぶりくらいです。私はこんな浄化は、たいてい一日です。で、ふつうの浄化は、たいてい半日かかる。これは私だけでなく、どんな人でも体の毒がある程度まで減っていくと、そういうふうになるのです。ですから病気は恐ろしいどころでない、はなはだ簡単なつまらないものなのです。ですからその後非常に具合が良いから、大いに病気を礼讃して良い。病気くらいありがたいものはないのです。健康にはもっとも良いものです。ですからこれだけのことを知れば、どれくらい人間は幸福だか分からないのです。恐ろしいものがありがたいものだから、およそ違いさがひどいわけです。それで苦痛でしようがないとき以外は、我慢ができるだけ働いても差し支えないのです。だから病気になったとすれば、もう治るに決まったものなのです。だからなんでもないわけです。これだけを世の中の人に分からせたら、たいへんな仕合せになります。
それから浄化が強くなったりするについて、肺病の治し方を変えなければならない。一番怖いのは結核の再浄化です。いったん治ってから、しばらく経ってからまた起きるのです。あれが一番怖い。ですから再浄化になった場合には、浄霊を一週間に一回くらいにするのです。そうして安静にする。安静といっても、医学のように床縛りになるような、そんな安静ではない。まあ床の上で寝たり起きたりするくらいで、便所くらいは行ってもかまわない。そうして浄霊を一週間に一回くらいやる。そうするとだんだん熱が冷めてきます。そうして熱が冷めたらボツボツ動き出す。
そうして浄霊も一週間に二回か三回やっても良い。浄化が強くなってきたから、再浄化の場合には衰弱して、それでまいってしまうのです。それには浄霊をしないで安静にすることです。そうして熱をなくする。というのは、再浄化が起るような人は薬毒がうんと入ってますから、以前ですと薬毒がチビチビ出たが、いまは薬毒がチビチビでなくてドシドシ出ます。そのために熱が出る、咳が出る、痰が出る、食欲が減りますから、そこで衰弱してそれで駄目になる。ですからいまはそういうようにゆったりとごく気長に、早く治そうとしない……そういうやり方でも、いい加減浄化が起るのです。とにかくそれが一番順調に行く方法ですから、そういうふうにやることです。
この間も言いましたが、いま『文明の創造』を、今度は仕上げをしようと思って書き始めました。以前のは気に入らない所がたくさんあるので、かなり根本的に書き直した点があるのです。それをいま「序文」から読ませます。
(御論文「文明の創造 序文」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五九二―五九四頁〕
(御論文「梗概」朗読)
馬鹿にまじめで、まるで教科書みたいですが、今度は少し砕けて書いたのです。これは「文明の創造」ではないのです。つまりいまの文明というものは、道具立てばかり良くしてあるのです。道具立てが良ければ良いと思っているのですが、道具立てを良くするというのは、もうこれで良いのです。つまりそれは人間の運営にある。悪に利用するから、どんな良い組織でも駄目なのです。ところがその悪の急所を分かられるのが苦しいものだから、目立たないようにして制度のほうばかり良くするのです。それがつまり急所なのです。邪神の急所なのです。だからそういったずるいやり方が良く思われているのです。医学でもそうです。注射をしたり薬を服<の>ませて一時良くなるようにみえるでしょう。そうして次の病気になるように作られているのです。それが分からない。要するに世界中が瞞されている。
要するに邪神のずるさに世界人類が瞞されている。やれ共産主義がどうだ、資本主義、社会主義がどうだと言っているが、共産主義、社会主義で立派に立っている。ただそれを用いる者の腹の中が悪い。だから破壊活動をしたりする。
一日の晩に腹が痛んで下痢をして夜中じゅう……四回でしたか、ずいぶんたくさん……こんなにもあるかと思うくらい出たのです。で、なにかにあてられたのかと思って食物を考えてみたが、それらしいものもない。もしあてられたとすると、同じに食べた人もそうなるが、ならないからどうもそうでない。で、私は後頭部に固まりがあるのです。八つ頭の小さいようなものですが、これは先に一年間歯の薬を毎日つけ通しだった。これは私の書いたものにありますが、これがここ(後頭部)に固まっていた。これが長い間固まっていたのが、去年あたりから私の浄霊で溶けてきた。
これが下痢になっていた。ですから毒というものは……今度知ったものではないが、このくらいのものが溶けると、このくらい(多く)になります。薬だって、仮に薬一合服みますと、一勺よりもっと小さく固まるものです。三〇分の一か五〇分の一くらいに固まります。ですからそれが溶けると、何十倍というものになります。これは信者さんはみんな知ってますが、毒は溶けると実に多いものです。痰などいくら出しても出るし、それから膿でもなんでも、いくら出ても出ても後できます。そのくらい増えるものです。そうして後見ると少し小さくなりましたが……一〇分の一あるか、なしかくらいに小さくなったが、まだそうとうあります。そうしてみると人間の毒の量というものは、たいへんなものです。だからいま信者さんも、特に幹部の人なんかは、特に猛烈な浄化が起って驚いている人がありますが、そういう人は神様のことに働いたいろいろな功労によって、浄化が早く来るのです。逆に考えると良いのです。
あれだけ一生懸命やって、あんなに酷い浄化で苦しむのはひどい、とあべこべに考える人があるでしょうが、その逆です。あれだけ一生懸命神様のことをやったので、浄化を早くしていただくというわけです。これをもういっそう深く考えると、一般の社会の人間が、いずれはそうなるのです。ですからそうなったときの想像をしてみると、助かる人というのは、まずいくらもないでしょう。それも、早く浄霊すると良いが、やっぱり医学の力に頼りますから、そうすると一時抑えをやる。ところがもうそういうときになると浄化のほうが強いですから、一時抑えがかえって逆作用になって苦しんで死ぬというのが多いです。ですから病気になるかならないうちに片っ端から死んでしまいます。
そういう時が来るのです。特に怖いのは、結核なんか近ごろ死亡率が減ったとか言ってますが、あれが怖いのです。あの結核の新薬というのは、いままでの薬より毒が強いのです。毒が強いから、一時止めるから死ぬ人が一時延びるのです。それで喜んでいると、その毒の浄化が起ります。そこにもっていって浄化が激しくなっているからして、それはもう悪性の結核がたくさん起ります。当局もまごつくし、一種の恐怖時代が来ます。それが最後の審判です。これは二〇〇〇年も前から神様のほうではちゃんと警告を与えてあるのです。で、日本人なんかでもごく上等で三分の一……三割助かったらごく上等です。あるいは助かるのは一割くらいかもしれません。なにしろいまの一般人というのは固まり健康です。固まってわずかに健康を保っているのですから、溶け出したら想像もつかないくらいの大悲劇が起ります。実に恐ろしい話なのです。で、いま私はそういうことを書いてますが、いま書いてきたのを読ませます。
これは『文明の創造』の中に入る項目です。
(御論文「健康と寿命」朗読)〔「著述篇」第一〇巻一三一―一三四頁〕
それからいつも言う通り、下痢……赤痢もそうですが、これは頭の浄化作用ということは良く分かるのですが、これを知らない人なんかは、今度の私の浄化でも、無論なにかにあてられたに違いない。あるいは虫ではないか……回虫とか十二指腸虫というように考えるし、お医者もそう思います。まさか頭の毒が溶けるなどとは夢にも思いません。
それは以前は下痢というと、腹の固まりそれから背中の固まり……そういうのが多かったです。頭の下痢は、近ごろ浄化が強くなったためです。今年は赤痢が多いのもそういう関係です。そこで下痢の本元は頭だということは、大発見というわけです。いま、太田という男がそれと同じようなことをやってます。昨日浄霊してやったが、熱があるのです。みると頭に熱があるのです。この下痢は昨日から今日にかけて三〇分置きです。それはあの人は頭に特に毒が多いのです。そういうわけだから、これから下痢患者は頭を浄霊する。そうしてお腹のほうやなにかは簡単で良い。頭を主にする。頭も前頭部のほうと後頭部の場合がある。前頭部は触ってみると熱が強い、後頭部は固まりがありますから、それをやると一時はよけい下痢をしますが、後治りが良いのです。その代わり頭が良くなります。私も、昨日あたりから原稿なんか書いても非常に具合が良いのです。それだけを覚えておくと良い。
それからもう一つは結核の再浄化……いったん良くなってそれから再浄化が起って、それがかえってしつこくて、症状も熱が出、咳と痰が出て、食欲が減り衰弱が強い、ということはお決まりのようになってますが、それはやっぱり浄化が強くなっているのです。そこで浄化が激しいために、それに堪えられなくて命までなくするということがよくあるのですから、これからは再浄化の場合は……これは再浄化に限るのです。最初はいままで通りで良いのですが、結核の再浄化の場合は一週間に一度です。そのくらいにする。
ところで、私の話を間違える人が非常にある。私はずいぶんはっきり言うのですが、昨日も一週間に一回と言ったら、今日は二回という人がある。一週間に一回と二回では倍違います。頭について、信者さんの頭が……信者さんの頭ばかりでなく、世間の人は信者さん以下ですが、信者さんでも非常に頭が悪いのです。というのは、私の言う通りに考えないのです。明主様はこうおっしゃったが、あれはこういう意味なんだ。こういう意味というのを自分で作ってしまうのです。それで間違うことがよくある。それでまた私の言った通りをやるということは、自分が値打ちがなかったり頭が悪かったりするように思うのです。ですから私の言った通りにやる人が少ないのです。私はいつも言うのですが、私が思う通り言った通りにする人は英雄と言うのです。偉いです。ところが一般は必ず違います。これは信仰ばかりでなく、庭のほうでもそうです。私の言う通りにやる職人というのは一人もないです。これをここにやれと言うと、必ずここにやる人はないです。こっちにやるとか、あっちにやる。私がこっちにやれと言うとあっちにやる。だから職人には手を焼いているのです。ところが私の言う通りやるのが一番易<やさ>しいのです。その易しいことを嫌うのですから不思議です。植木屋で一人こういうのがあったのです。この石を一尺こっちにやれと言うと、一尺やれない。二、三寸しかいかない。それで私が、どうして一尺やらない。こっちにやれと言うと、今度は五、六寸やった。
それから、駄目だもう一度やれと言った。すると今度は斜めにやった。斜めにしては駄目なのです。これで三度駄目なのだから、四度目に違ったらその職人は断るからと言った。言う通りにやれそうだが、その通りにやらない。なぜかと言うと、自分は手を引いて親方に頼むと言うのです。親方にこうやってくれと言ってやったら二、三時間でできました。ところが先にやった人は三、四日かかりました。そういうことがあるのです。特に日本人はどうも言う通りにやらない、言う通りに考えない、という一種のくせみたいな、病気みたいなものだと思う。だから私がいつも話しすることがよく違ってしまうのです。だから明主様がこうおっしゃったのでこうやったが、どうもうまくいかない。
そういうはずはないと、良く聞いてみると違う。いまの病気のこともその通りです。私は決して駆け引きや嘘はないのです。それは、よく昔からの偉い人でも、いろいろ……なんと言いますか、ありのままでなく、いくらか形容したり、いろいろそういうきらいがありますが、私はそれが嫌いで、なんでもありのまま率直に言いますから、その通りにやれば必ずうまくいきます。いまの結核の話も、それを間違えないようにそのまま聞いて、その通りやってもらいたいと思います。そうすればきっとうまくいきます。そうして再浄化の場合には、熱が一番出るから溶けるのだから、それで咳と痰が出るのです。そうすると食欲が減って体が弱る。そこで熱をなくするのです。どうしてなくするかというと、安静です。だから再浄化で熱のある間は安静にする。安静にするといっても、医学でやるように床縛りみたいにするあれではない。寝たり起きたりくらいです。それで熱がなくなるまで……無熱になるまでそういったブラブラ安静を続けている。そうすると熱がなくなりますから、浄霊をするし、ボツボツ運動をするというようにして、また熱が出たら安静にするというようにすると、長くはかかりますが、必ず治ります。これから浄化が強くなるに従って、よけいその方針でやらなければならない。ですからいま再浄化を急にやろうものなら馬鹿に浄化が強いです。ドンドン衰弱していく。
美術館もなかなか外国の偉い人がちょいちょい来ます。昨日来たのはニューヨークのメトロポリタン博物館……アメリカでは一番ですが、そこの東洋美術部長という人が来て、なかなか良く見て、私も大いに款待<かんたい>してやりました。なかなか目が利いていて、日本人より目が利いてます。この部屋でこれが一番良いと言う、それが合っているのです。日本人でもそういう人はなかったです。それから二、三日前に来たのは、フリアーという個人の美術館ではアメリカで一番です。そこの図録を私は見たことがあるが、銅器が一番良い物がある。支那の銅器では世界一です。これは自分でも言ってました。私のはアメリカ一だが、世界一といっても良いでしょうと言ってました。そんな具合で銅器は非常に良い。私の所に一つ疑問の銅器があってそれを見せましたが、それは日本の学者で京都で一番の梅原<梅原末治>なんとか言うが、これは関西のほうでは一番の支那銅器の目利きなのです。東京では田沢金吾といって、こっちの顧問になっている。梅原のほうはすばらしい銅器だと言い、田沢のほうはイミテーションだと言う。両方の意見があるので、道具屋が美術館に出してくれと言うのです。そうするとだれか分かる者があるからと言うが、なにしろ狭いので出せない。ちょうどフリアー美術館の館長でウェンリーと言ったが、見てもらったところ、これは良い物だ立派な物だ、と、それを説明してくれましたが、なかなかたいしたものです。字が書いてありますが、日本人では字の意味が本当に分からない。ところがその人はこれはこういう字が書いてある。これはこういう文字、とか。これは最初からの字ですが、たいてい持ち主の字を入れますが、それは入ってない。こういう字はいつごろできたというようなことが、実に精しい。これは周の何年と。それからいろんな銅器を見せましたが、これは明<みん>の時代に写した物とか、これはずっと新しいイミテーションと、そういうような具合に、実に研究している。そんなような具合で、アメリカ人のほうがどうも分かるらしいのです。昨日の人なんかも急所急所をピタピタと言うのです。それはずいぶん驚くことがあります。
今度は、ウォーナー博士という人が来ますが、あの人はなかなか分かると思う。みんな非常に驚いて、こんなすばらしい美術館が日本にできるとは思わなかった。アメリカに帰って、一つ大いに好きな人とか権威者というような人に言ってよこすようにするから、いろいろ頼むということをしきりに言ってました。ですから私の思った通り、そうとう認めたに違いないです。で、良く聞いてみるとアメリカにあるのは、日本のは鎌倉以後桃山あたりから、支那では明以後……そういうのはそうとう数があるそうです。しかし古いものは、まことに数が少ないそうです。今度その人たちが来たのも、アメリカで今度日本の美術展覧会をやるので、それの用で来たのです。それらの人は、みんなアメリカの美術の権威者です。ですからますます日本の美術というものに閑心を持ってきたということは充分分かります。で、いままで日本の美術を見なかったのです。ですから蒔絵にしろ陶器にしろ絵画にしろ、まだ見たことがない、とずいぶん言ってました。ですから分かると言ったところで、そういった局部的に分かるので、全般的には初めて見たものが多いのです。こういうことも、向こうの一般的に分かるようにしなければならないと思うし、それの一つの機関として非常に良い役目をするわけです。
それからこれはちょっとおもしろい論文です。
(御論文「悪の追放」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六二二―六二四頁〕
(御論文「御説教」朗読)〔「著述篇」第一○巻五九九―六〇〇頁〕
今年は赤痢が大いにはやってますが、赤痢は頭の毒血の浄化だということは言ってありますが、一日の晩に私がいままでに経験したことのないような下痢で、四回……よくもこんなにあると思うくらい下痢したのです。目が眩んできて、便所に行くのに壁につかまって行くくらいで、便所に行っても良くものが見えない。こんなことはないのです。それから食当たりかと思って考えてみても、それらしいものがないのです。もし食当たりなら、食べた人はみんなそうならなければならないが、私だけというのは変だ。それで明くる朝まで眠らないで、ただウトウトしてました。それから頭をみてみると後頭部に瘤のようなものができている。これは昔、本にも書きましたが、歯の薬です。歯が四本痛んで、一年間ほど薬を続けたので、それが頭に上がって頭の中が薬の刺激で変になった。一時は発狂すると思ったくらいです。頭が自由にならないのです。考えようと思うことが考えられないで、とんでもないことが浮かんだり考えたりするのです。ですからこれはもう精神病になる一歩手前だと思った。それに歯の痛みが毎日ですから、発狂か自殺かどっちかだと、こういうふうに覚悟したのです。ところがそのためにこの薬毒を知ったのです。だからやっぱり神様にそういう苦しみをさせられたわけです。ところがそれがここ(後頭部)に固まっていたのです。その浄化が起った。そのためにここがたいへん小さくなったのです。で、非常に頭の具合も良くなったのです。そうして嘔吐をしそうになったから、嘔吐だけは自分で浄霊して、しないようになりました。それで熱が出て、やっぱり汗をかいたりしますが、その臭いが……ちょうど歯の薬……それはチモールといって殺菌剤の強いものです。で、その臭いがちょうど三七年前……大正三年ですから、三七年前のその臭いが消えない。そのときの臭いを想い出すくらいによく臭うのです。ですから薬毒というものは、三〇年以上経っても変わらないということがよく分かったのです。いかに恐ろしいものかということが分かった。いまではだいぶ柔らかくなったが……もっともこれは去年あたりから浄霊しているのですから、少しずつ小さくなっていたが、今度はだいぶ柔らかく小さくなった。いまでも半分くらいは残ってます。いまでも浄霊すると、じき下痢したくなるので、厄介だからあんまり浄霊しないでいる。下痢するとやっぱり食欲が減りますから、やっぱり舌のほうの楽しみがなくなりますから、それで両方をうまく調和させてやってます。だから下痢というものは、頭の病気であるということは、もう間違いないです。私の場合は赤痢でないから、それだけにこれは良いとも言えず、悪いとも言えない。本当は赤痢のほうが楽なのです。というのは、赤痢のほうは薬毒が割に新しいのです。それから赤痢でないほうは薬毒が古いのです。毒血が古くなるとだんだん膿になるのです。で、新しいうちは赤いのです。ところが赤痢のほうは新しい薬毒ですから、本当はそのほうが早くすむから良いのです。私のは古いだけにかえって上等ではない。そういうわけなのです。それと、以前は下痢というと腹の……腹膜です。慢性腹膜というような固まりが多かったのです。近ごろの下痢というのは、ほとんど頭の浄化が多いのです。これからは下痢の患者は頭を浄霊するということを良く心得ていると良いです。それから家にいる太田という男が、私以上の下痢なのです。三〇分置きなのです。みると頭の浄化です。一頭にうんと薬毒がある。顔が土気色している。で、頭をやってやるが急に治らない。それでおかしいと思って背中をやると、背中にうんと浄化が起っている。ですからこれは頭と背中と両方の浄化です。ですからまず頭をして、背中の浄化の所をやる。それから肋間神経痛なんかの胸の毒も、これが下痢になる。そういうようにみて、触ってみれば熱がありますから、じき分かります。着物の上からでも触ってみれば温かいですから、それが浄霊の本元です。そうすればどんな下痢でも治ります。やっぱり霊界の浄化が強くなるに従って、起る場所が違ってくるわけです。以前は頭の毒はなかなか溶け悪かったが、このごろは溶けやすくなった。だからいまは、どこか悪い人というと必ず頭と頸です。こういう所にとても熱がある。これからだんだん頭とそのための下痢が多くなるとみて良いです。 それからもう一つは結核の再浄化ですが、これはみんな知ってますが、いったん治ってからしばらくすると、今度は再浄化が起ってくる。これは最初の浄化よりもっとしつこいです。で、その場合これからは方針を変えるのです。というのは、一週間に一回くらい浄霊するのです。そうして安静にさせるのです。つまり再浄化で一番いけないのは、熱が出るために咳と痰がうんと出るというので、食欲がなくなってそれで衰弱するのです。衰弱でまいってしまうのです。だからそうしないようにするには、熱をなくするのです。それには安静に限ります。安静といっても、医学のように床縛りみたいでなくて良いです。寝たり起きたりくらいの程度で、そうして熱を冷ますのを主にするのです。そうして熱がなくなって……無熱になってからボツボツ運動をし始める。それでまた熱が出そうになったら安静にする。というように気長にゆっくりやるのです。そうすると心配なく必ず治ります。で、浄化が強くなってますから、うっかりやると浄化が強過ぎるのです。この間私が、そうとう古い中教会長ですが、非常に具合が悪いというので、こっちに泊まっていて二、三回やってやった。そうすると馬鹿に浄化が起ってしまって、それは食べ物も、ろくに食べないで、ドンドン衰弱してゆく。これはたいへんだと、あなた帰りなさい。帰って寝ていなさい、と言ってやりました。で、浄霊もあんまりやってはいかんと言ってやったら、それからだんだん良くなって、その危険がない状態になったようです、ということを聞いたので、まあ大丈夫というところに来たようです。ですからこういうのは、もういっそうやると危なかったのです。そんなような具合で、いかに浄化が強いかということと、それに対するやり方……そういうことを考えなければいかんというわけですから、それだけの注意をしておきます。だんだん霊界が変わってきますから……変わってくるということは、浄化が強くなるということです。その代わり治りもずっと早くなります。浄霊の効き目が強くなりつつあります。これはあなた方でも良く分かっていると思いますが、先よりかずっと治りが良くなってます。短期間で同じ効果がある。近ごろお蔭話を見ても、みんなそういうふうに書いてある。じきに治る。そういったお蔭が多いです。そんなような具合ですから、いっぽうやり良くはなりました。それから進んで行くと、医学のほうと逆になって行きます。いままで効いた薬……効いたというのは薬で固める方法ですが、それが固まらなくなるから、だんだんだんだん薬で治らなくなる。つまり一時抑えが効かなくなるのです。このごろはストマイなんかも、もう駄目だという説がだいぶ多くなった。BCGとかヒドラジドなんかも怪しくなってます。ヒドラジドが意外に売れないので困っているのです。そんなような具合で、薬というものが効かないというような例が非常に増えてきた、ということはおもしろいと思います。もっと進むと今度は薬は恐ろしいという時代が来ますから、それからがこっちの領分です。メシヤ教の治し方より他は駄目だ、という時代がいずれは来ますから、それからは目のまわるほど忙しくなります。それがだんだん近寄りつつあります。人の憂いを喜ぶのではないが、楽しみもあります。
これは『文明の創造』の中ので、いま『文明の創造』を書き始めましたが、前のとはまた書き方を変えてやったので、「序文」も違いましたから一度読ませます。
(御論文「文明の創造 序文」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五九二―五九四頁〕
(御論文「梗概」朗読)
これは『文明の創造』ではないのですが、ちょっとおもしろいものです。
(御論文「御説教」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五九九―六〇〇頁〕
それから人間は病気さえなくなれば一二〇歳までは必ず生きるのです。病気というのは薬毒ですから、つまり薬毒が完全になくなっていけば、まさに一二〇は生きられるのですから、長生きしたかったら薬毒を抜くのです。薬毒を抜くにはできるだけ多くの人を助ける。そうすると薬毒は抜けるのです。だから大いに活動する人はかえって病気が起るのです。教師なんかになって非常に活動する人はよく浄化が起りやすいが、これはそういうわけなのです。かえってボヤボヤしている人のほうが割合に起らない。その理屈が分かれば、なんでもないのです。だから浄化が起るということは、非常に結構なのです。あの人はあんなに働くのにどうしてあんなに病気が起るのだろう、というような疑問が起る人もないではないが、そういうわけです。そこでできるだけ薬毒をなくするようにするのです。本尊である私が、さっき話したような大浄化が起るのですから……ただ私は簡単に早くすんだのです。ですから今度のことなんかふつうから言えば大病です。大病ですから一日だけ仕事をしなかった。ゴロゴロ寝たりしていた。でもアメリカ人の偉い人が来て一緒に食事をして、また三〇分くらい案内したり話したり……それが一番苦しい日でしたが、そんなことで済むのです。それで、一つは病気に対する観念ですが、これは結構だ、毒が出てしまえばもう治る、という絶対の信念がありますから恐怖は少しもない。それからどんなに酷い浄化でも精神的には大丈夫ですから、なんでもできるのです。病気の苦しみというのは恐怖感です。重くなったら命にかかわらないか、もっと重くなるのではないか、という恐怖感が精神的に弱らせるのです。ですからその点をはっきり分かって絶対の信念さえあれば、肉体的の苦しみはありますが、精神的に苦しみは少しもないから楽にすんでしまいます。
で、『文明の創造』の中から、「健康と寿命」ということを書いたのです。
(御論文「健康と寿命」朗読)〔「著述篇」第一〇巻一三一―一三四頁〕
今度アメリカから帰ってきた人で、あちらの大学に行っていた信者がありますが、その人がこの間あっちの病人の状態をいろいろ細かく統計的に書いてきたのを昨夜読んだのですが『栄光』にも出すし、それから小冊子のような物を作ってアメリカに配ろうと思っている。たいへんな病人なのです。日本に負けないくらいなものです。現在医者にかかっている人が千七、八百万人いる……人口が一億五〇〇〇万人ですから、一割強がお医者の御厄介になっている。それで一番多いのは胃癌、小児麻痺……これはアメリカ特有のものです。それから結核がなかなか多いです。その他にも肝臓だとか喘息だとかいろいろな病気がありますが、一番困っているのは小児麻痺です。小児麻痺も、聞いてみると、ほとんど疑似小児麻痺です。霊の憑らないものです。たいてい足が痛くて動かない……先の、死んだルーズヴェルトなんかそれでしたが、それなのです。原因は無論薬毒です。だいたい注射です。それにぜんぜん気がつかないので、やっぱり薬で治そうとするが治るはずはないのです。そういうこと……病気の原因を精しく書いて、アメリカ人を救わなければならないと思っているのです。いまこのままで行ったら、もう一〇〇年くらいでアメリカ人は亡びてしまうでしょう。そのため、病気のためにいろいろな方面に影響を及ぼしているのです。で、強い薬を服んで一時抑えをやっているのです。一時抑えが効かなくなったらたいへんです。つまり薬の迷信にかかっているので実にかわいそうなものです。いま、世界ではアメリカが医学は一番進歩している。ドイツを凌いでいるということになってますが、結論としては医学が進歩するから病人が増えるのです。そこに気がつかないのですから厄介なものです。ところで、だんだん霊界が変わってくるに従って、浄化が強くなって病気が起る。そうするとまた強い薬で抑えようとするが、抑えきれないから薬の毒をよけい強めるわけです。ところがまた、霊的にはよけい浄化が強くなるから、薬と浄化との闘いです。現にもう闘っているわけです。ヒドラジドなんかも、この間……ある病院での研究によると、用いた後は一時良くなる。そうするとたいてい二、三週間、長いので二カ月くらいで、いったん減った菌がまた増えてくる。その菌は非常に強い菌なのです。それで、そういった菌が強くなる……つまり悪化するのが、いままでの統計では約三割増えてます。で、まだいまは三割ですが、これがだんだん浄化が強くなると、五割六割にもなって、結局あれを使ってはいけないということになります。いつか書いた「結核新薬を嗤う」というあの論文の通りになります。そんなような具合で、いずれはアメリカあたりでたいへんな問題になると思います。その前に警告を与えておこうと思ってます。そうしていずれ英文『栄光』というのを作ろうと思っている。いまのところの予定は、ハワイでちょうど適当な人がありますから、そういう人にハワイで発行させて、こっちの『栄光』の翻訳と、特にアメリカ向きの記事も書こうと思っている。そうしてアメリカ人を救うということの仕事をしなければならない。やはりいま世界をリードしているのはアメリカですから、世界を救うということは、まずアメリカ人に分からせるということが一番効果がありますから、そういう方法をとろうと思ってます。それで、かえってアメリカのほうが分かってくると日本人が分かるのです。どうしてもやっぱり輸入しなければ駄目なのです。舶来中毒にかかっているから、やっぱり舶来迷信でしょう。他のものはそうでもないが、ああいった学説とかいうものは、やっぱり舶来迷信にかかっている。まあその迷信を利用するよりないのです。
講和以前はそういうことは、やはり言えなかったのですが、もう講和になれば言っても差し支えないのです。とにかく日本人というものは、非常に霊的に優秀なのです。これはいっそう深く話しすると分かるのですが、日本人というものは、なぜ優秀か……だんだんそういうことも話します。もう、世界では一番なのです。ですから美術でもそうです。いま、美術は日本が世界一というような世界的な世論になってます。今度アメリカで日本の美術の大展覧会を開催するので、それについてこの間来たウォーナー博士、フリアーという個人の美術館の館長のウェンリーという人、それからニューヨークのメトロポリタン博物館……これはアメリカでは一番ですが、そこの東洋美術部長のプリースト氏、ウェンリー氏とプリースト氏はこの間来て非常に褒めてました。ウェンリーという人に、この美術館でここがいけないという所がなにかあったら遠慮なく言ってくれと言ったところが、別にたいしてないが、皿みたいな物を見ると疲れるから、自分の所では目の角度に合わしたような陳列の仕方にしている。と、そんなものだと言ってましたが、それは私も承知してますが、巻物だとか皿は、立てては、やはりおもしろくないのです。皿としての意義が違うのです。皿は上から見るのが、皿としての鑑賞の仕方で、こう(立てる)やっては額みたいになって、どうも感じが良くない。巻物でも同じです。でも、巻物はいくらか斜めに拡げてあるから良いのです。その人は日本通で、ごはんをごちそうしましたが、坐って……そのとき一番うまいと言ったのは鰻です。蒲焼きです。それからテンプラを食べ、奥さんと両方ですが、箸で食べているのですから、よほど日本趣味が多いのです。そういう人はアメリカ人でもそうとうあるようですが、特に日本美術と日本建築、こういうことに非常に関心を持ってます。そんなような具合で、日本人の美術的感覚はとにかく断然世界一です。日本の次は支那ですが、全般的には日本人のほうがずっと上です。これはだんだん話しますが、西洋では、そういった美術とかいう気性の高いものは、日本人ほどにはいかないです。とにかく……今朝もラジオの「趣味の手帳」で亀井勝一郎という人が昨日、今日、明日と、奈良の仏像についての批評をしましたが、今日は法隆寺の中宮にある弥勒菩薩を話してましたが、あれは観音だろうという説もあると言ってましたが、弥勒菩薩と観音様は同じで、その区別を知らないのだが、あれをロダンの彫刻と比較して言ってましたが、ロダンのは「考える人」という彫刻ですが、考えるのにロダンのは苦悩が表われている。苦心が表われている。ところが中宮寺にある観音様……弥勒菩薩というのですが、考えるというよりか、瞑想にふけっているという、いかにも穏やかな柔らかい感じがする。と、そんなことを言ってましたが、これは上手い評です。実際日本美術というものは、そういった平和の感じを非常に良く出しているのです。
また私は、終戦直後『栄光』に出そうと思って、音楽のことを書いたことがあります。歌うということは、日本の音楽が歌うのだ。西洋の音楽は、男のほうは吠える、それから女のほうは悲鳴を上げる、というように書いたのです。で、歌うというのは、日本の音楽は本当に歌うのだというように書いた。ところが『栄光』の編集をしている人が、つまり「日本人の優秀性」を書くと、進駐軍のほうがあるから、いまのところは止したほうが良いというので止しましたが、とにかく美術というものは、平和の感覚を表わすのが本当です。つまり苦悶とか、あるいは闘争とか、そういうものを表わすということは、本当の芸術としての本質ではないのです。
話は横道に外れましたが、日本美術というものは、まだまだドンドン世界に認められます。今度なんかも、先方はだいぶ要求が多いのですが、良い物を見せてくれと言っている。日本でもなかなかそれに応じかねるのです。それは日本にはすばらしい物がありますが、ある程度まで以上の物は承諾しないだろうと思ってます。こっちにもそういったような物は四、五点ありますから、言ってこないかと思ってます。承知することもできないだろうと思ってます。一つか二つは良いですが……。向こうではたいへんな大仕掛けなことをやって、品物を運ぶのに間違いがあってはたいへんですから、軍艦で運ぶのだそうです。で、向こうの主催者は、ワシントンの博物館、それからいまのニューヨークのメトロポリタン博物館、ボストン、シアトル、それからシカゴですか……五カ所の博物館と美術館が主催者なのです。それでアメリカじゅう約一〇ヵ所くらいを順次に開催して、一年の予定です。あっちの人はいま日本の美術に対して非常に憧れているのです。いままで支那美術は知ってますが、日本美術は本当に知らないのです。去年のサンフランシスコの展覧会でびっくりして、もう一つあれ以上のものをしてもらいたいという要求になったのです。そんなような具合ですから、まあおもしろいのです。
今度私は……医学について日本は優秀どころではないのです。まるで桁が違っているのですが、それも大いに吹き込もうと思っている。それから農作物。それからだんだん政治、社会、経済問題、そういうのもだんだん『文明の創造』の論文の中に書いていきます。というのは、いつかも話した経緯の結びの時期になってきたのです。アメリカが緯<よこ>で日本が経<たて>でそれが結ばるという、そんなことがそういった面から基づいていくわけです。やっぱりバッジもそれを表わしているのです。神様のほうではもう決まっているのです。
それから、よく社会事業について、メシヤ教は社会事業をやらないのはどういうわけか、ということをときどき聞かれる、という話をよく耳にするのです。それについて徹底的に書いておいたのです。
(御論文「本教と社会事業」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六〇二―六〇五頁〕
これは少し強い言い方ですが、ずっと先のこと……予言です。それを書いてみたのです。
(御論文「医学関係者に警告する」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六〇六―六〇八頁〕
これもちょっとおもしろく書いてあります。
(御論文「宗教と妨害」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六一一―六一四頁〕
いま読んだようなわけで、宗教として法人になって発足したのが二二年の八月ですから、今年はちょうど五年目になるのです。五年目でのこの発展ぶりというのは、例がないと思うのです。そのころは……最初は「観音教」と言ったのですが、ほとんど世の中で知っている人はないくらいです。それが、その翌年の秋、脱税問題が起ってから、知れ方は悪いのですが、とにかく知れるには知れたのです。やっぱり、あれも一つの神様の仕組みなのです。そんなわけで、良いことは知れにくいのですが、悪いことのほうは悪事千里で知れるのが早いのです。悪事千里なんていって……こっちは悪にされたほうです。そんなわけで、わずか五年でこれだけの発展をしたのですから、実にすばらしいものです。感慨無量というところです。ですからこういうふうで後五年もしたら、無論世界的に発展します。なにしろ世界を救うのですから、そのくらいの早さでいかなければとうてい駄目です。そんなようなわけで、本当言うとこれからがおもしろくなるのです。これからが本舞台になるわけです。いままでは楽屋で支度していたようなものです。やっぱり世界的にならなければ、本舞台ではないのです。日本だけでは、やはりいままでの……在来の宗教と同じです。ところがメシヤ教は在来の宗教ではないと言っているのです。宗教以上のものだと言っているのですから、世界的に飛躍するということがあたりまえなので、神様のほうではちゃんとそう決まっているのですから、いよいよこれから脂がのってくるわけです。時間が来ましたから。