▽前節から続く▽
それで私はいよいよとなったら、大病院でやってやるつもりです。そこまで覚悟しているのです。そこまで行くとおもしろいです。そうして痛がっているのや、ウンスウンス言っている者をなおして、お医者に見せてやるのです。それからもう一つは医科大学に行って講義をしたいと思うのです。それは生徒でなく、少なくとも博士級の教授を四、五十人並べてやるのならしゃべってやろうと思ってます。結局そこまで行くでしょう。そこまでいかなければ解決がつきません。しかし先方のほうでは弱みがあるから怖いのです。自分のほうが贋物でこっちのほうは本物ですから、あばかれてはたいへんだと思ってます。それは私の書いたものを見ると、はっきりとは分からないが「なるほどそうだ」と思います。例えば、手術を一つみると「手術は医学の進歩ではない、医学の退歩だ。医学の進歩なら臓器を切り取らないで、そのままでなおすのが本当だ」と書いてありますが、そうするとこれは本当だから苦情は言えません。切り取ることをいばるわけはないですから……。そういうようだから、それを言ってくるだけの勇気はないと思います。しかしそこまで行かなければ本当の解決はつきません。
それからその先に出るのは『救世教奇蹟集』です。この「序文」はこの前読みましたから、次の記事ですが、これは短いものです。あとはお蔭話ですが、それを一〇〇例つけます。これは病気なおしばかりでなく、汽車や自動車に轢<ひ>かれて助かったとか、高い所から落ちて助かったとか、炭鉱で爆発したのに助かった、というようなことと、病気で奇蹟的に助かったというのをだいたい一〇〇例を付録としてつけますが、その記事ができましたから読ませます。
(御論文「奇蹟とは何ぞや」「霊主体従」「霊と体」朗読)〔「著述篇」第一一巻一二三-一二九頁〕
この終わりのところが肝腎なのです。いままでの宗教……というが教えですが、教えだけでは力が弱いのです。ところが救世教は教えとともに事実を見せるというので、これで人間は初めて神様はたしかに在るということが分かり、そうすると悪いことはできないということになって、これで本当の人間になるわけです。それで神様はたしかに在るということを見せるのは奇蹟なのです。奇蹟以外で神様の実在を信ずるということはできないのです。ところがいままではそういった奇蹟を見せないで、ただ「神は在る、在るから信じろ」と言うが、実際理屈に合いません。そこで、本当に救われないのです。
このことでおもしろい話があります。昨日聞いた話で、今度の大祭の余興にアザブさんが灰田勝彦を頼みに行ったのです。そうすると馬鹿に高いことを言うのだそうです。それで「ずいぶん高いではないか」と言うと、支配人が「救世教なんて泥坊みたいなことをして金を取っているのだから」と言ったのです。ところがその人がそれから三、四日たって死んでしまったのです。
〔 御伺い 〕 明主様申し上げます。京都と大阪の間を自動車で走っているときに、ちょうど雪が降っておりまして、そのとき京阪国道から下に辷<すべ>り落ちて死んでおります。
自動車で死んだそうですが、これははっきりした事実です。前にもこういうことがありました。私がまだ東京の宝山荘<ほうざんそう>にいたとき日蓮宗の学者で、名前は忘れましたが、だれでも知っているくらい有名な人です。その人が私の書いた『明日<みょうにち>の医術』の本を見て、なんでも非常に悪いことを言ったのです。「こんなことを書いて人を瞞<だま>すとはインチキもはなはだしい」というようなことです。もっと酷いことを言ったのですが、私は忘れました。それでちょうど一年ほどたってから、街路で轢死<れきし>したのです。それも、最初は自動車にどこかぶつかって電車道に倒れて、ハッと思ったときに電車が来て顔を轢いたのです。ですから顔がめちゃめちゃになったのです。そのときに中島さんが「とうとう罰<ばち>があたった」と話しに来ましたが、そういうことがありました。そういうことはまだありますが、この神様は非常に厳密な神様なのです。いろいろおもしろい話がありますが、時間がないからあんまり詳しくは話せません。なおまた大本教の教祖が最初の修行していたときにそういうことがありました。大阪に算盤<そろばん>占いというのがありましたが、そこに行って占うと、「出口直さん、あなたに懸っている神様は本当の神様ではなく、悪魔だから気をつけなければならない」と言うので、教祖さんはびっくりしたのです。たいへんな神様だと思っていたが、悪魔だということなので、帰ってから神様に伺ったのです。そうすると、その神様は国常立尊<くにとこたちのみこと>ですが、「直や、一週間たったらもう一度占ってもらえ」と言うので、一週間たってから行ってみるといないので、聞いてみると「死んだ」というのです。それは、たいへんに立派な神様を悪魔と言うのですから、これは許せないのです。いま言う「救世教は泥坊みたいなことをして金を取っている」と言ったそれ以上のものでしょう。それでこの国常立尊という神様は実に厳格で、悪いことは絶対に許さないという神様ですが、そういうようなことがありました。まだいろいろなことがありますが、時間がないからこれだけにしておきます。
△御講話おわり△