昭和二十七年十二月十日 『栄光」百八十六号

明主様をお訪ねして語る

 去る一〇月二五日、わが国の文学雑誌のナンバーワン文藝春秋社から、同社顧問日置昌一氏と明主様との御対談を同誌に載せたいとの意向にて、日置氏と同社編集次長近藤利弥氏が来訪された。 日置氏についてはいまさら御紹介申し上げるまでもなく、ラジオで子供たちから「ものしりおじさん」の愛称で親しまれている博識の人である。その風采は明主様がよくおっしゃる苦労人博士、といったタイプである。

 この日の御対談は碧雲荘の応接間で行なわれ、本教顧問松井誠勲氏の姿も見えていた。

 明主様と「ものしり博士」との御対談は、絶えざる爆笑の裡に二時間もの長きに及んだ。以下この日の御会話の一部をここに集録発表させていただきます。

キリストの奇蹟くらいは弟子がやる

日置氏 本日は、かねがねメシヤ教について不思議に思っていることをいろいろおたずねいたしたいと思います。まず観音教をメシヤ教とお変えになられましたのは、どういう理由でございましょうか。

明主様 私は世界人類を救うのが目的ですから、その名も世界的でなくてはならぬと常々思っていたからです。つまり観音教では東洋だけに限られているからです。それから私は「メシヤ」という名前が非常に好きなのです。しかし仮名の「メシヤ教」では誤解を受けてはいけないと思って、漢字の「救世」に仮名をつけたのです。いよいよ時期が来たと思って変えたのです。

日置氏 農村の方面にも食糧増産とかいろいろのことをなさっておられるようですが、……もっともメシヤ(飯屋)教ですからね(大笑)。

明主様 とにかく、肥料をぜんぜん使わないでやると米の五割増産はなんでもありません。その上、できたものがおいしくて大きくできます。根本は肥料を使わずに、土の性能を生かすことです。

近藤氏 荒地でもいいのですか。

明主様 つまり肥料をやるから荒地になるのです。酸性土壌も肥料のためです。肥料はちょうど麻薬と同じです。麻薬を使うと一時気持ちがよくなるでしょう。それと同じで肥料やれば一時、三年や五年はいいのです。

近藤氏 肥料と麻薬を全面的に否定なさるわけですね。

明主様 そうです。

近藤氏 救世教の信者さんたちは、少しも薬を使わず病気を治しているのですか。

明主様 薬は全部毒だからです。毒で病気症状を抑えるのです。だから病気は薬がよけいに入ったほど治りにくいのです。肺結核でも一〇〇人中九三人までは治ってますが、残りの七人がいけないのです。というのは、この七人が一番薬を入れているのです。

日置氏 世間では何万人という中から、一人二人が間違った場合におおげさにいっていますが、医者のほうはもっと殺してますからね。

明主様 それで心臓の手術が成功したとか、死人の目玉をくり抜いて移植して治ったというようなことは、われわれのほうからいうと子供だましみたいなものです。あれは医学なるものを信じさせるための慣用手段です。この間、画家の吉井さんの、四年間悪い目が五分で治ったということがありました。ですからキリストの奇蹟くらいのことは私の弟子が毎日やっています。

近藤氏 そうすると薬屋さんやお医者さんは救世教を商売仇に思うでしょう。そしてたいへん困ってしまいますね。

明主様 ですから私はお医者さんは、どこにゆくかということを考えています。いずれ世界的に薬屋や医者がなくなりますから、その救済事業は難問題ですね。

近藤氏 いま御家族様は

明主様 子供は六人あります。嫁に行ったり嫁をもらったりして孫も数人できています。

近藤氏 あなたの宗教のほうとは関係ないのですか。

明主様 関係しているのもあるし、関係していないのもあります。それも私は本人の希望にまかせています。

近藤氏 子供様方の御家庭では、病気のときなど医者にかかるというようなことはありませんか。

明主様 絶対に医者にはゆきません。もし、薬を服んだら親子の縁を切るでしょう。

いまにアメリカ一の美術館を作る

日置氏 話は変わりますが、一個の宗教家が美術館を作るというようなことはいままでにあまり聞きませんが、あなたの場合どういう御動機で造られたのですか。

明主様 これは動機とは言えないかもしれませんが、人間というものは始終生まれ変わってくるのですが、私は聖徳太子に生まれたことがあるのです。だいたい日本で仏教を弘めたのが聖徳太子で、それはなにでやったかと言えば、美術によってやったのです。しかしあのときは日本だけですから、今度私は世界的に聖徳太子と同じことをやるのだと言っているのです。箱根の美術館というのはその最初なのです。

 二、三日前にアメリカに長くいる日本人ですが、その人が来て、「アメリカに私の所にある美術品を持って行って、ぜひ巡回展覧会をしたらいいだろう」と言うので、私は「いまにアメリカにも美術館を造る」と言ってやったのです。いまアメリカにある美術館をそうとう調べてみましたが、私から見れば、ただ名ばかりのものです。私はアメリカ一のものを造ろうと思ってます。

日置氏 世間では、わずかの間に巨万の富をつくられたことに対して疑問に思ってますが、金儲けの秘伝とでも申しますか、それはなんでしょうか。

明主様 一番の根本は病気が治ることです。大病院や立派な医者にやってもらってだんだん悪くなって死の間際まで来たのを、私の弟子が行って命を救われるから、その感激はたいへんなものです。それでなにをやるにも、教団でやることには金を上げなければならない気持ちになるのです。それから搾取的なことはやってはいけないと常に言っています。御利益をいただいている人は金の御用を待っているくらいです。美術館も五〇〇〇万円くらいかかりましたが、それも去年の一一月あたりに話して、できたのが今年六月です。それだけで全部できたのです。

日置氏 造幣局はメシヤ教のためにできているようなものですね(大笑)。

近藤氏 選挙前は代議士が金を借りに来ませんでしたか。よく聞くことですが自由党の吉田、鳩山がだいぶ金に困っ
て、両方とも子分をつくるのに金がいるので借りているという話ですが。

明主様 来ませんね。

日置氏 僕が代議士だったら、お伺いするかもしれませんね。

明主様 とにかく、私のほうは世を救うという大きい仕事がありますので、金には苦しくて年中ピーピーしています。それから再来年は熱海に箱根のよりも大きい美術館を造るのですから、それについてもいろいろ買わなければならないから、金の苦しさはたいへんです。その代わり借金の催促の苦しさではありません。それからこういうことがある。アメリカが最近とても日本の古美術品を欲しがっているのです。「これをあなたのほうで買ってくれなければアメリカのほうに売る」と言うので、これはどうしてもおさえなければならないというわけです。今月に入ってからもすばらしい仏像でそういうのがありました。

松井氏 金森徳次郎(国立国会図書館長)さんがとても感謝しておりました。

明主様 そういう美術品を買わなければならないから大金がいります。それでまたいろいろこっちが経営しているものもありますからね。

阿部執事 必要な金だけは不思議に集まりますからね。

松井氏 メシヤ教の信者から出た代議士が三人ありますが、これにも金はやってありません。明主様から浄霊していただいて、これで大丈夫当選だというわけです(大笑)。

明主様 それですから私の所に来る人は、みんな運が良くなるのです。

日置氏 近藤君、僕らも来ましょうかね。

明主様 徳川夢声さんも私のほうに来るようになってから、よけい良くなったようです。そういうわけで金は集まりますが、出る金もたいへんですよ。

近藤氏 国税庁が目を光らせるでしょうね。

明主様 しかし宗教法人ですからその点は良いです。宗教になりたての時分は、理解がゆかずにかなり税務署から目をつけられましたが、美術館を造ったりしたので、ああこれだなということが分かったのでしょうか、いまはぜんぜんありません。それに美術館は関係方面でもたいへん好感を持たれています。

日置氏 文化への貢献ですからね。

明主様 博物館では予算が足りないので、外国に流れる貴重な芙術品も買えないというのです。それで、私のほうで買って保存してくれるというので、実に国家のためになるというのです。それで文化財保護委員会も便宜を図って援助してくれます。

『アメリカを救う』は問題になる

日置氏 なお現在のこういう時代に、いろんな新しい宗教に国民が魅力を感ずるということは、結局従来の日本の宗教に根本の魅力がなくなったということにあるでしょうし、また一つには国民が苦しんで淋しいのですね。

明主様 無論そうですね。

日置氏 ですから単にすべてを迷信邪教と片づけるのは間違っている。やはり本願寺も天理教も初めはずいぶんいろんな法難に遭い、日蓮宗もそうですし、キリスト教もそうですからね。

明主様 宗教には法難はつきものですね。一番法難に遭ったのはキリストでしょう。命までやられたのですからね。ところがその教えが一番世界に拡がったのです。ですから法難の酷いほど価値があるのです。

日置氏 人の心理というものはおもしろいもので、私のほうでも、本が出て非難されると売れるのです。悪口言うと一種の広告になるのですね。それで印象に残るのですね。

明主様 チャタレーのアレを見ても分かります。私がこれから出そうと思っている本があるのですが、きっと問題になると思います。問題になったらしめたものです。きっと売れることになりますね。来月あたりできますが『アメリカを救う』という本です。

日置氏 なるほど、今度は逆ですね。

明主様 アメリカの病人はたいへんなものです。統計では現在医者にかかっている者が千七、八百万人いるのです(全アメリカ人口の一割以上)。それによってアメリカが一番困っている病気を、それはなんの原因で、どうして治す、ということをすっかり書いて、大統領始め有識階級、大病院、医者に配るつもりです。いま翻訳してますが、日本文のほうはもうすぐできます。

日置氏 人間というものは、直接お会いしていろいろ話さなければ駄目なものですね。

明主様 「百聞は一見に如かず」ですからね。

日置氏 そうですね。来て良かったですね。

明主様 私もあなた方指導者に知ってもらうということが一番良いと思います。

日置氏 いや、いや、どうも。

ビフテキ食べてかいた画

近藤氏 美術は主に古美術ですか、それとも近代美術のほうですか。

明主様 両方やってますが、現代美術はいけないです。それでつい古美術のほうになるのです。

日置氏 どうも精神的なものがないですからね。手先の技術ですからね。

明主様 現代の画家の画は筆に力がないのです。それは現代の美術家のふだんの生活が違っているのです。力というものは食物が大いに影響するのです。ビフテキを食べたり牛乳を飲んだりしていては、力は出ないのです。それでしかたがないので塗抹絵になるのです。いまのはそれです。

近藤氏 外国の古い絵などはいかがですか。

明主様 油絵にも良いものがあります。イタリアあたりにはすばらしいものがありますが、私の持論は外国の絵は芸術ではなく、芸術と工芸品の中間のものだというのです。遠慮なく言えば高級家具です。それで日本画とか東洋画は本当に楽しむものです。そうして季節によって換えるというふうに、本当に芸術を楽しむというものです。西洋のは年中同じもので、中には一生涯一つのものを掛けている人もあるそうです。

日置氏 宗達あたりの、あの雄大さというのは、芸術というより精神力ですね。ああいうのは現代の画にはないですね。特にお宅では宮本武蔵の「達磨」と牧谿<もつけい>の「かわせみ」をお持ちとのことですが、あれは名品ですね。

明主様 宋時代のはほとんど坊さんですから、坊さんというのは、山に入って菜っ葉に麦飯を食って行をした。それが画くのですから断然違うのです。要するに菜食して精進せねば駄目です。

日置氏 画くのでなく気魄ですね。

明主様 そうです。宮本武蔵も剣を筆に変えたものです。宮本武蔵の絵には私は頭が下がりますよ。

日置氏 いまの人のは生前は値段は高いが、死ぬと下がってしまうのが多いですね。

明主様 いや、生きているうちに下がっているのがあります。横山大観のは、私は二、三年前までの物は買いますが、いまのは駄目です。アル中だからでしょうね。

恋愛は限界がむつかしい

日置氏 では最後に一つ教主様の恋愛観をうけたまわってみたいと思いますが、……どうかそのことについて。

近藤氏 熱海ではいろんなサンプルがいっぱいありましょうから、そんなことからでも。

明主様 しかしいまでは爺さんですからね。とにかく恋愛は非常に良いです。あれは神が人間に与えられた太慈悲と言いますか、恩恵と言いますか、そんなものです。ただ恋愛もある程度に制限すれば結構ですが、その限界を突破するから悲劇が起るのです。ですから、限度を外さないようにすれば、恋愛は大いにやるべしです(大笑されながら)。しかし限界で止められるのは本当の恋愛ではないかもしれません(一同大笑)。

日置氏 たしかにそうですね。

明主様 私は若いころ恋愛の極致といいますか、情死の相談までにいったことがありますが、そのときに情死する者はこういう心境だなと思った別の私があったのです。オレは経験した、これでいいというので、私の理性が力強く解決してしまったのです。そのとき私は「自分は偉い」と思ったのです。普通人ではできない。オレにして初めてできるのだと思ったのです。

日置氏 では徹底的に失恋でなく得恋ですね。

明主様 それまでは、心中する奴は馬鹿だなと思っていたのですが、これはオレはいままで考え違いしていた。馬鹿とは言えない。たしかにこれから進めば危険だということが分かったのです。つまり恋愛哲学を極めましたね。

日置氏、近藤氏 では長い間いろいろとたいへんありがとうございました。

「昭和二十七年十二月十日 『栄光」百八十六号」 昭和27年12月10日