〔 質問者 〕この間地方での話で、メシヤ教に入って御教え通りにやっているつもりだが、お蔭がないということがあったら手を挙げてご覧なさい。今日はあなた方と入れ替わって考えてあげよう、と申したのですが、だれもおりません。それから、あなた方はなぜ遠慮してお蔭をいただくか、たいへん欲がない、それがよくないと話しましたら、元気が出たようでございます。
【 明主様 】つまりお蔭を忘れたときにお蔭は来るものです。お蔭が来そうなものだ、お蔭が欲しいと思うときには、お蔭は来ないのです。
〔 質問者 〕私はこう思っております。『栄光』新聞にお蔭話が出ておりますが、一番お蔭をいただいている人は御礼を申し上げておりません。それではあなた方は、甲乙丙丁と段階があるとして甲から乙に落ちたいかと言いますと、いや本当に間違っていたと申しておりました。
【 明主様 】本当言うと、お蔭というのを値打ちにするなら、ない命を助かるとすると、とにかくその人はどんなことを犠牲にしてもかまわないわけです。仮にお蔭を一〇〇もらって御礼を一〇上げると、九〇は借金になります。借金になるから、あとのお蔭があんまりないのです。だから本当に厳密に言うと、そこにいくのです。ところがふつうの人はお蔭を一〇〇もらって、神様のほうに御礼が五〇なら良いほうです。全部やったら裸になるから……。それを二〇とか三〇にするから、あとの二〇とか三〇が借りになる。するとあとが悪くなるのです。それで仮にお金ならお金を上げると、ふつう一〇倍になって返ってきます。お金を上げて貧乏になるような宗教だったら、信仰をやめたほうが良いです。それは神様に力がないのです。
〔 質問者 〕ですから私は、言う通りにしてその通りにならなかったら、私が責任を持つからやってご覧なさいと言っております。
【 明主様 】こういうことはふだんあんまり言いません。例の天理教とかの搾取的な宗教に見られやすいから言わないのですが、今日のようなこういうときは一般信者でないから、信仰の中学以上の人だから言います。本当言えばそんなものです。だからなんにしてもそうです。いま世間では、風邪を引くとたいへんだとか、肺病が伝染してはたいへんだと病気を恐がっているが、メシヤ教に入るとその心配がなくなるのです。病気は結構だというこれだけでも、そのお蔭はたいへんです。世界中でメシヤ教信者くらい病気を恐れない人種というのはありません。だから神様に、どうでも勝手にしろと任せれば、決して粗相はありません。なにしろこういうことは、いままでにないのですから、世間一般は信仰的頭でそこまで分かるということは、たいへんなものです。
〔 質問者 〕今度は、実動会員と言いますか、それが全部資格者になれるようにやってもらいたいと言っておりますが、昨日もはっきりと話させていただきました。そこで資格者がしっかりしてくると、信者さんも分かってきますし、それをもって対外にいかなければならないと思います。
【 明主様 】結局自分にあるのですから、思うようにならないということは、まず自分のやり方を考えてみなければならないのです。そういうやり方というのは、私の本のどこかに書いてあるから、そこにあります。