昭和二十七年十二月一日 垂録16 (2)

〔 質問者 〕明主様お詫びをさせていただきます。大和会の事件以来四年になりますが、最近は御教えをいただきまして、自分でも変わらせていただいたように思われますが、すべての原因は自分であった、ということを分からせていただきました。

【 明主様 】そうです。つまり自分の考えが邪魔しているのです。

 

〔 質問者 〕それを変わらせていただきましてから、まわりの人とも気持ちよく話し合えます。まことにありがとうございました。

【 明主様 】そうですよ。

〔 質問者 〕実は前の因縁の弟子連中が、新しい服を作らせてもらいたいということですので、結構だと話したのですが、自分で気づくと、神様のほうでいろいろしてくだされるということでございますので。

【 明主様 】そうです。神様のほうでなくて人間のほうでもよくそういうことがあります。この間も銀座の日新房という、前から知っている美術社がありますが、そこに出品した作家で、一度ぜひ見てくれと言って、ここまで持ってきましたが、それを見て後、社長にうんと言ってやったのです。「これの一番悪いのは苦心して作ってある。だからその苦心した苦しみが作品に現われているから、良い感じがしない。 だからこういう物の作者に、あなたが良く言ってやんなさい」と言ったのです。楽しみ楽しみ、楽な気持ちでやると良いが、みんな苦心しているから、それが作品に現われているから駄目なのです。お世辞かもしれないが、社長は良いことを聞いたと言って帰りました。だから昨今の展覧会に行っても気持ちが悪いのです。みんな苦心して画いてあるのです。その霊がみんなこっちに来るのですから、楽しむことはできません。だからいまの絵も、楽しむことができないのです。ちょっと見ていると嫌な気持ちになってくるのです。だから私がいつも言う通り、苦しんでやることに、ろくなものはないというのは、そのことです。

 

〔 質問者 〕夜の世界とでも申しますか、どうも苦しむことが多いようでございます。

【 明主様 】そうです。暗闇を歩いているのだから、危なくてしようがないのです。それで昼間の世界になってきたのに、そんなに怖がっているのは、おかしいもので、手間取ります。それと同じことです。しかしそうは言うものの、長い間のいろいろな習慣があるから、つい人間的の心配や苦しみをやりたがるものです。私などよくそういうことがあります。

「『御垂示録』十六号,講話篇第六巻p307~308」 昭和27年12月01日