〔 質問者 〕 御守り様をいただきましてから今日まで一八年以上になりますが、その間二度ほど落とそうとしましたことがございますが、そのことで考えさせていただきましたことは、かねがね御守り様を物質扱いにしてないと、落ちなければならないときも、奇蹟的に落ちないということでございます。一度はお風呂に入りますときに、シャツと一緒にぬぎまして竹にかけ、風呂に入りましてから気がつき、見ますとシャツのボタンに紐がかかっておりました。もう一度は、まだ箱の中におしまい申し上げました当時に、おしまいしようとするとき、用事で立ちましたときに落としまして、思わず手ですくいましたら、下に落ちる前に紐が手にかかっておりました。そのことから、常々想念を正しく持っていれば、御守護をいただけるということでございます。
【 明主様 】 そうですよ。いまの人のも、そこに非常に曇りがあるのです。むしろ御守り様をなくしたということは、その曇りを除ってくれたのです。御守り様が背負ってくれたのです。焼けたのもそうですが、それだけでは足りないのです。罪にもいろいろ種類があり、罪穢によって、先祖がいろいろ徳を積んだりしているので、その罪穢を除って救われるという因縁があるのです。だから御守り様がなくなったという意味は、悪い意味に解釈できないのです。むしろ良い意味に解釈して良いのです。
「『御垂示録』十六号,講話篇第六巻p325~326」 昭和27年12月01日