昭和二十七年十二月一日 垂録16 (10)

〔 質問者 〕先ほども新聞のことにつきまして、いろいろ話し合いましたが、今日の新聞は特異性がないし特色がなくなった、というのは老後のことのみを考えて、対社会精神というものが抜けていると申したのでございます。

【 明主様 】日本の新聞はお上品になりすぎてしまったのです。というのは新聞はあまりに不利不闘《不偏不党》になりすぎて主張がない、色がないのです。結局『朝日』を見ても『毎日』を見ても同じです。だから私は前に書いたことがありますが、日本に新聞がたくさんあるということは、国家経済上も不経済だ、結局同じなのだから一つで間に合うのです。かえって昔のほうがそれぞれの特色がありました。一つの株式会社になったほうが良いでしょう。

 

〔 質問者 〕一つの新聞社くらいは、特定の宗教を思いきり好意的に書くものがあっても良いのではないかと思いますが。

【 明主様 】つまり読者に引きずられているのです。新聞が読者を引きずるというものがないのです。新聞ばかりでなく、一体に社会のあらゆる面がそうなってます。御座なり的になってます。その原因があるので、私はいまそれを書いてます。

「『御垂示録』十六号,講話篇第六巻p321」 昭和27年12月01日