昭和二十七年十一月十九日  『栄光」百八十三号

明主様と文学

 去る一〇月一二日、某雑誌の特派記者として新進作家H氏が来訪し、明主様には一時間余り、文学、芸術などにわたって種々ありがたい天啓を放たれ、H氏は文筆の上に新生命を入れていただいたと讃嘆を禁じ得ずして帰られた。記者も傍聴の栄に浴し、いまさらながらに明主様の偉大なる御構想の一端を窺い知り、心悸躍動を禁じ得ず、そのときの速記の中より文学に関するもののみを集録し、みなさまとともにお蔭と喜びを分かちいただきたいと思います。

メシヤ教の目標は最高の文化

H氏 あなたはたいへん美術を愛好していられますが、美術学校にでも行かれたのですか。

明主様 そうです。美術が非常に好きで、それでだんだん宗教をやっているうちに、やはり宗教とは関係があるということが分かったのです。

H氏 文学はいかがでしょうか、なかなか良い文章をお書きになっておられますが、みんなあなたがお書きになられたのですか。

明主様 みんな私が書くんです。だから忙しくてしようがないのです。

H氏 商売人でもあんなに書けませんね。

明主様 そうですか、それは私は宗教というのをできるだけ分かりやすく書こうと思うので、むつかしいところがあります。ふつうの見たまま、感じたままを書くのなら簡単なのですが……深いところをごく平易に書くので、そこに苦心がいるのです。

H氏 文士連中も、一宗の教主という方に力瘤<ちからこぶ>を入れていただけば、みんな活きていきます。

明主様 ですから私は文学でも芸能でもやってます。

H氏 そうしますと、文士を五人でも一〇人でも連れてきますから、息を吹きかけていただきたいと思います。

明主様 日本の文学の一番の欠陥はスケールが小さいということと、主張がないことです。売らんかな主義です。ただ売れて金になって儲かればよいという、非常にレベルが低いのです。なにか社会の欠陥とか、政治の欠陥とかに対して一つの主張をもって動かすとか、それを攻撃するという骨がないのです。だいたい日本の文学は、その点において西洋に非常に劣っています。

H氏 私が非常に嬉しく思ったことは、宗教家に芸術を理解していただいたということです。宗教家というのは芸術にはあまり関心がないというのが定石のようですね。

明主様 木石みたいなのが多いのです。つまり神様臭くなってしまってね。

H氏 我田引水みたいですが、国が亡びても芸術と宗教は残るのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

明主様 勿論そうですね。私は時間的に余裕がないので、一つひとつ読むことはできないから、わずかに映画で渇を医<いや>しているのです。ですから一晩置きに必ず映画を見ています。外国のと日本のと両方見ていますが、将来映画は非常に大きな役割をすると思います。

H氏 メシヤ教というのは、非常に文化性をもっている宗教ですね。私は宗教はあまり知りませんが、とにかくほとんどの宗教は文化性がないようですね。

明主様 そうです。私が言うとおかしいですが、私は宗教には興味がないのです。メシヤ教の目標は、最高の文化です。むしろ文化を指導するくらいの権威がなければならないのです。ところで現在は宗教のほうで時代に迎合したり、自分から文化より低いように、科学より低いように思ってやっているということが、たいへんな間違いです。ですからたいていの宗教というのは病院を作っているのです。しかし、私の所は作らないのです。もし病院を作るとするならば、その宗教が科学に負けていることになります。ところが私のほうは科学より上だから、病院は作らないのです。つまり宗教は最高の科学です。宗教は霊的科学です。いまの科学というのは唯物的科学ですから、どちらも科学といえるのです。ただ唯物的に進むのと唯心的に進むのとの違いです。いっぽうは目に見えるものを対象とする科学で、私のほうは目に見えないものを対象とする科学です。ですから病気でも医者よりもズッとよく治るのです。なんでも四年とかの盲目で五分間で目があいたというのがありました。キリストの奇蹟くらいわけないです。私の弟子がキリストくらいです。それで最近私はアメリカの病人を調べさせたのですが、その報告をきくとアメリカの病人はたいへんなものです。現在医者に御厄介になっている者は一七〇〇万人で、全人口の約一割以上が病人というわけです。それはアメリカが非常に間違ったことをやっているから病人が殖えるのですが、それを私は『アメリカを救う』という題で書いてます。これを翻訳してアメリカの大統領、有識者、医学界、病院に配ってやろうと思っています。日本にも新聞広告をして出します。

H氏 同時に海外に御布教というようなお考えはおありなのですか。

明主様 勿論あります。世界メシヤ教といって、世界がつくのですから、それでだいたい外国を救うと日本人を救うことになります。日本人は舶来でなければありがたがらないですからね。ですから私は米国に宣伝しようと計画してます。日本人相手でなく、米国人相手です。日本人は自分みずから劣等感が非常にあるのです。ところが私は逆です。本当の日本人は一番偉い、素質は生来立派なものだと思っています。それからだいたい米国で『日本を救う』という本が出たのなら良いのですが、日本人が米国を救うというのですから、これだけでも日本人の劣等感を大いに医すことができると思う。それで米国の医学の間違いをすっかり書きました。そうしてみんな実例を挙げて書きましたから、そうとうセンセーションを起すと思います。

H氏 話は元に戻りますが、私が小説を書くとき、インスピレーションと言いますか、後で二度とは書けないような智慧が浮かんで来るのを感ずることがありますが、それで私は仕事をするのに一番いいのは夜中です。みんなが寝静まったときにやっていると、ちょうど、神と二人でやっているという気持ちがします。

明主様 私もよいものを書くことができるのは、一二時から二時までです。

H氏 そういう意味で作家はよく神を知っていますね。

明主様 つまり、作家はかなり上の所まで行っているのです。それで日本の作家はもう一息上に行くと良いが、みんな止まってしまうのです。西洋の作家ユーゴーとか、トルストイとかの不朽の名作は、人類に対する感化力が非常にあるのです。そういうものは日本の小説にはないのです。ただ単なる恋愛的心理描写とか、私小説とか、ただ娯楽本位というようなもので、とにかくつまり超人的なものはないのです。例えてみれば、ジャン・ヴァルジャンとか、ああいった超人的の傑作を書いてもらいたいです。

H氏 私が文学をやる根本の理由はこうなのです。もし間違っていたら訂正していただきたいのですが、文学は世の中から美を抜き出すことだと思います。美と愛と光の三つをあらゆる森羅万象の中から抜き出して、それを表現するのが私の任務だということを考えております。

明主様 結構ですね。

H氏 それでそれを主張して文学の主流から離れてきたのですが、生活のためにはエロ文学とか、ああいうものを書かざるを得ないときもありました。

明主様 それはなんでも書いて良いんですが、しかしそればかりではおしまいです。一つ大いなる作品を残さなければならないのです。それは精神美です。ですから通俗小説でも吉川英治君が書いている『宮本武蔵』はかなりなところへ行っています。

H氏 あれは宗教的ですね。宮本武蔵というのが宗教家なのですね。

明主様 宮本武蔵というのは偉いです。なぜ偉いかというと絵がうまいのです。宮本武蔵の絵画というのは日本ではたくさんありません。たいへんな名人です。そうすると剣を持つ人間が筆があれだけできるということは、ふつうの人間ではないです。

H氏 それでは佐々木小次郎が負けるということは当然ですね。佐々木小次郎はそこまで行っておりませんからね。

明主様 そうです。高さがないからです。高さが違うのです。やはり剣でも筆でもレベルがありますから、その高さに到達することです。ですから私は庭園でも建築でも最高のものを造るというのは、レベルが上だからです。

H氏 結論的になりますが、非常に厳しい修養の結果到達されたということが言えますが、先生の場合にはそういう閃きにはどういう修養をなされたのですか。

明主様 それにはずいぶん修行しました。その修行というのはめったにないでしょう。

H氏 長い間どうもありがとうございました。

「『栄光」百八十三号」 昭和27年11月19日