〔 質問者 〕深町君が非常に零落れて、群馬県でいま特別の薬を出しているそうです。
【 明主様 】そうですか。
〔 質問者 〕大本教に入っていたとき、やっぱり理屈屋で変なことを考えておりました時分ですが、大祭のときに聖師様に虎と熊が憑ったところが、二日間動かないで床縛りになったことがございました。私は神様だと思っておりましたが、神様がそんな馬鹿なことがあるかと思っておりましたので。
【 明主様 】そうそう私が治してやったのです。口がきけないので、これはいかんと霊でなにしたら、二時間ばかりで口がきけるようになったのです。それでずいぶん困ったことがありました。面会に行って治してやったのです。大本教というのは、やっぱり私を出すために現われた宗教なのです。つまり教祖様という人は、仏教的に言えば釈迦です。聖師様という人は阿弥陀です。それで釈迦と阿弥陀が観音を生むのですから、私は子になるわけです。ですから私は大本教から生まれたわけです。それで、父と母になるわけです。これは神秘なものです。だから教祖様は「イヅ」で、聖師様は「ミズ」で、私が伊都能売ということになるのです。「イヅ」と「ミズ」の両方の性格を、総合密合させたものです。それが私になる。教祖様や聖師様にしても、他のことは偉かったが、力がなかったのです。病気を治すということでも、力がなかった。なぜかと言うと、力というのは霊と体が密着して力が出るのです。経と緯が組んで力が出るのです。それが私です。「チ」は霊で「カラ」は体だから、霊体が一致して「力」が生ずるのです。つまり伊都能売というのは力です。だから力を持っているというのは、いままで世界に出なかったのです。その力が世界的に広がっていけば良いのです。ですから観音というものは、それになるわけです。観音力というのは、ちょうど男と女、火と水、経と緯、それが一致したものです。そこで観音力といって、阿弥陀力とか釈迦力とかキリスト力なんてありゃしないのです。また、力というものは制限がないのです。無限のものです。だからこのごろキリストと同じような奇蹟を信者が行なうが、そうすると力という点では、キリストは私の弟子くらいしかなかったのです。ところが力においては、日本中の立派な坊さんでも、信者の足下にも追いつきません。弘法大師でも法然上人でも、その点においては、こう(御浄霊)やって病気を治すことはできなかったのです。ところが信者が何千万何百万になっても、私が書いたものを懐に入れていればできるのですから、そうすれば私の力というものは無限と言っても良いのです。