〔 質問者 〕朝鮮問題につきまして、神様の御見解をお伺い申し上げたいのでございますが、中共やソ連の意向は私たちには分かりませんが、国連軍は休戦したいようです。そこで困難なことは捕虜の交換問題ですが、中共に帰りたくないと言うのは帰さないほうが。
そんなことは屁みたいなことです。つまり米国のほうは民主主義ですから、どうしても民主主義の意味で捕虜の自由に任せるでしょう。それを中共では止めるでしょう。そうすると米国は引っ込むわけにいかない。アメリカの民主主義は中共のために阻まれるから、体面にかかわるのです。ところが中共のほうは、言うことを聞くと停戦になる。そして戦争を止めるでしょう。そこでどうしてもアメリカを消耗させなければならない。それで屁みたいなことで、ああいったように延ばしているのです。
〔 質問者 〕民主主義といっても、日々ああいった犠牲を払っているので、それを活かすという。
【 明主様 】いや、負けるのです。
〔 質問者 〕捕虜を返すというのが、いけないことなのでしょうか。
【 明主様 】いけないということでなく……数万のことだから、たいしたことはないが、そこで本人の意志を政府が押さえつけるということは、まったく民主主義に対するたいへんな脅威ですから、アメリカとしてはしようがないのです。
〔 質問者 〕あれ以上は妥協のつけようがないのでございますか。
【 明主様 】すぐつきますが、つければ中共の政府を承認しなければならない。いまもって承認しない所に良い所があるのです。そこにいっては英国は腹の底では承認したくないが、承認したのは、支那の権益が非常に影響するのです。そうでなければ香港なんかすぐにやられてしまいます。というのは、こういう政策というものは、英国に力がないからです。やっぱりいままでは弱肉強食時代ですから。
〔 質問者 〕しかし、民主主義をやり抜こうということは、立派なことでございますので。
【 明主様 】立派です。
〔 質問者 〕最後は御守護をいただけますのでございますか。
【 明主様 】それはそうです。民主主義のほうが正ですから御守護をいただけます。その代わり一時は苦しむことはあります。しかし結局勝つことになります。勝たなければ世の中は崩壊してしまいます。正義はどんなことをしても蹂躙されないから、世界というのはいいのです。もし正義がちょっとでも勝たなければ、世界というものは崩壊してしまいます。たいへんなものです。だからキリストだって、正しいから自分の身が亡びてまで、やっぱり世界をなにするだけの力を現わしたのです。だから人間は正義が……これは形だけではありません。正義というものを打ち通そうという信念だけが、人間の値打ちです。それの強いほど人間の価値があるのです。それがなくして、ご都合主義や打算主義の人間は形だけです。骨のない人間です。いまは、ほとんどそういう人間ばかりと言っても良いでしょう。そこで人間の骨です。先に私の大本教時代に、短刀を持ってきた奴がありますが、私はその時分に「おひねり」と「御守り」を出していた。それを止めろと言うのです。それが大本教全体の問題になったのです。それはそうでしょう。聖師様でさえ、オレにはできない。三代様……子供です。 今度三代教祖になりましたが、その人だけは「御守り」と「おひねり」ができるのです。それはお筆先にあるのです。遺言にあるのです。だから聖師様でも、オレでもできないと言っていたのです。ところが私はそれを作っていたのですから、問題になったのです。一信者の岡田さんに許すことはないと問題になって、短刀を持って「止すか、もし止さなければやっつける。返事をしろ」と言うので、私は「止すことはできない」と言ったのです。そうすると奴さんが、にらみつけていたのです。私は危ない。すると急にアアイタタタタとのた打つのです。どうしたと言うと、腹が痛くてしようがないと言う。危機一髪です。それで治してやるからと横に寝せて、治してやったのです。そうすると、まるっきり人間が変わってしまったのです。今度は私に、自分と聖師様の所に行って「御守り」と「おひねり」を作って良いかということを、聖師様の前で伺ってみようと言うので、明くる朝二人で亀岡に行き、聖師様の所に行って、岡田さんはこうこうだ、それはお許しになって良いのでしょうかと言ったのです。ところが聖師様という人のそのときの返事がおもしろいのです。私はなんと言うかと思っていたのですが、「それは信者としてはできない。ワシでさえできないで、三代にやらしたのだが、けれどもあんまり目立たないようにやってくれれば良いだろう。目立つようにするとワシがみんなにせめられて困るが、これからみんなが欲しがるならやっても良いが、目立たないようにやってくれ」と言ったのです。だから奴さんもハッとしてしまったのです。聖師様という人は、私が只者でないということは分かっているのです。だから私が行くと必ず送ってくるのです。信者を送るということはないのですから、送るというと面倒臭いから……近侍の者が四、五人はいますから……「いま散歩に行こうと思っていたところだから」とか「私はちょっとどこかしこに用事があって、いま行こうと思っていたから」とか、そう言って送ってくれたものです。