昭和二十七年十月一日 垂録14 (2)

〔 質問者 〕今度の選挙で考えさせられましたことは、投票の心得ということで、よく新聞やなにかを見ますと、政策と個人の人物ということが問題になりますが、政治というものが観念でなく力ということになりますと、政党の首脳者が人格的で手腕があるということで投票するのはいかがでしょうか。

【 明主様 】良いですよ。しかし決めてはいけない。政党の政策と候補者の個人の人格から意見、それを総合して一番良いというのを投票すれば良いのです。その点において日本とアメリカは違うのです。英国も違います。アングロサクソン系のああいうのは政策に重きを置くのです。ですからどっちも党派は二つしかありません。英国でも保守党と労働党です。

それからアメリカも民主党と共和党です。そうしてその政策を主にしている。だから個人の人物にはあんまり重きを置いてない。日本はそこまで行ってないのです。米国や英国も、以前は日本のようだったのです。小党分立でした。フランスは小党分立です。ドイツはどっちにもなりません。ああいったようにめちゃくちゃだったのです。で、米、英はそうなってます。ところがアングロサクソンという人種がその点において利口なのです。フランス、ドイツのほうが民族的にいくらかレベルが低いわけです。米、英の人間は、なんと言うか、個人で言えば利口者と、そういったわけです。だからああいった二大政党をやっていくということは、政治的に一番弊害が少ないです。日本人はそう馬鹿ではないですから、米、英のアングロサクソンくらいにいくのです。いままで封建政治のために日本人のそういった良い素質を押さえつけていた。そうでしょう、封建時代には日本では利口な人ができると、そういった人はやっつけられるのです。かえって中途半端な人間のほうが御しやすいのです。そういう政策をとっていたのです。だから偉い人間は封建時代には出られなかったのです。それがつい終戦間際までそうだったのです。偉いと怖がられるのです。ただ軍人は良かったのです。政治家では中野正剛なんかはやっつけられたのです。これからは日本人で偉い人がドンドン頭を持ち上げてくるのです。だからわれわれだって、もし敗戦にならなければ駄目です。いまもって手も足も出ないです。それはそうでしょう、人間として偉い人はどうしても人が崇拝しますから、崇拝すると「天皇はどうした」と、こうなるのです。病気が治ると、「これは天皇の御稜威で治るのだから、治った御礼に二重橋に行って御礼をしろ」とこう言うのです。だから手も足も出なかったのです。これからは日本にも偉い人が出るのです。そうすると政治家も良くなります。

「『御垂示録』十四号,講話篇第六巻」 昭和27年10月01日