昭和二十七年九月二十五日 『地上天国』四十号

教えの光

――建御名方尊<たけみなかたのみこと>の信濃入りの御順路は、東海道から天龍川の川添いに上って、諏訪へ行かれたとの説、また北陸をまわって信濃川の川添いに上って上田を経て、和田峠を越えて諏訪へ行かれたとの説、また長野から信濃川の支流の犀川の川添いに上って松本を経て、諏訪に行かれたとの説など聞きましたが、いずれが正しいのでございましょうか。

 右御垂示いただきたくお願い申し上げます。

 この神様は神武天皇の軍勢に追い駆けられて、諏訪へ逃げたので、その経路などいまさら知ったところで、なんの意味もないではないか、そんなことに関心を持つようなチッポケな了見は止めなさい。なんとなればそんなことを知ったとて、世界人類を救済する上に、なんの必要があるかということを、よく考えれば分かるだろう。

――長野県K都H村(U市の南)に国幣<こくへい>社生島足島<いくしまたる>神社がございます。宮司様の話では国土の守護神で、また、この神様は元大本教本部でもお祀りしてあるとのことですが、御祭神はどういう神様でございましょうか。

 また、右神社は古い神社で、建御名方尊が信濃入りをなされたときすでに御鎮座なされておりまして、尊が諏訪へ行かれるお道すがら御参拝なされたとの伝説があるそうでございますが、そのように古い御社でございましょうか。

 そういうことは、神主に訊いたら一番よく分かるだろう。私としては低い神様だから教える必要はない。

――金龍神様は八大龍王の上にましますものでございましょうか。または八大龍王の筆頭が金龍神様なのでございましょうか。また八大龍王の御名はなんと申し上げる龍神様でございましょうか。

 これは御神書にあるから、支部長に訊いてそこを読みなさい。ただし御名前は神名と仏名と両方あるが、これを覚えたとてなんの役にも立たないから、書く必要はないだろう。

――謹んでお伺い申し上げます。

 私宅は現在家族四人暮らしでございます。昭和二五年八月次女(C)三女(T)入信さしていただき、九月長男(M)入信、一〇月私入信、同月光明如来様ならびに御屏風観音様御奉斎さしていただき、御神業に邁進いたさしていただいております。

 一、愚妻A(五四歳)こと三六歳ごろ眼病(トラホーム)にかかり、約一〇年間ほどいろいろと医療薬物を用い、ただいまでは左眼が失明いたしております。その間肺炎、心臓、脚気などを病みました。

 一、次女(C)は入信一〇ヵ月にて腸結核にて死亡。

 一、 三女(T)は五年ほど前より母と同じような眼病にて、右眼がだんだんと悪化して、いまでは薄く見えるのみです。御浄霊は家族または協力者方にもお願いいたしております。

 一、長男(M)はただいまは健康ですが、子供のとき大きな柿の木より落ちて右額部に傷をいたしております。

 私は小学校時代に窓ガラスにて鼻の上部を傷いたしております。これらの事柄と次のこととなにか霊的に関係がございましょうか。謹んでお伺い申し上げます。

 一、私の父よりの言い伝えによりますと、いまより約一〇〇年前のこと自宅に鶏を養いおりました(当時の戸主)畑の仕事より帰宅いたしましたとき、鶏小屋へ猫が入り鶏を取り殺さんといたすのを発見、ただちに竹槍にて猫の顔、目、鼻、口をつき、殺したことがあるとのこと。

 一、自宅より約一〇間ほど卯寅の方向に大きな黒木という木があり、その所にお宮を作り、祭神は摩利支天<まりしてん>神、火之峰、午之峰とかいってお祭りいたしております。いまから三五年余り前にその木を伐りました。

 一、戌亥<いぬい>(西北)の方向に約一五〇年より二〇〇年くらい経つ大きな松の木がありましたが、一〇年前に落雷にて枯れました。それを私の父が八年ほど前に伐り、伐ってより二年後に死亡いたしました。死因は日ごろ胃弱にて病みましたが、急に体全体が悪寒がいたし、ふるいが激しく来まして、冷やしてくれ冷やしてくれと約一ヵ月ほど苦しみ、その間はただ水を飲むのみで食事はいたさず死亡いたしました。

 一、いまから二五年前自宅が火災になったこともあります。

 一、私が十五、六歳のころ、大きな蛇(青大将)がツバメの巣を知って、ツバメの子を取り食うのを私がはたき落として、鍬にて頭部より六寸余りの所より切り殺したことがあります。

 一、住宅より辰巳の方向に(約三〇間の距離)昔の武士の墓場がありますが、面積約二〇坪のがいつの間にか約半分余りになって畑に使用いたしております。

 以上のことと家族の病気と霊的関係がございましょうか。いかがいたしましたらよろしいか、御教示お願い申し上げます。

 右御家内の眼は、薬毒のため失明したのであるから、気長に浄霊すれば必ず治る。急所は後頭部下方に固まりがあるから、そこを浄霊すればいい。次女の腸結核は誤れる医療のため、三女の眼は母親の遺伝と薬毒ゆえ、これも気長に浄霊すれば必ず治る。右のごとく三人の病人は霊的関係なし。また三〇年以上経た霊の祟りはまずないと思っていい。ただし松の木の木の霊の崇りは多少あっても、光明如来様をお祀りしていれば解決するから心配しなくてもよい。

――私の下腹部(臍下右寄り)に拳大(スポンジ・ボールのごとき)の固まりができ、御浄霊をお願いいたしましたが、むしろ大きくなるほどでありましたが別に痛みはありませんでした。

 昨年二月、明主様にお伺い申し上げ、御参拝の節、名前の「ちゑ」を「みゑ」と改名までいただき、変な霊(別になんとも申されず)によってなっているから、そうとう長くかかると思うから、浄霊を受け大いに働いて気長にやっていくように、とのありがたき御垂示を賜り、その後、そのごとくに主人から毎日浄霊をしていただき、ときどき先生にも御浄霊願い、毎日のように野良仕事などそうとうの重労働もいたし今日に至りました。その間ときどき下痢などをいただきましたが、休むこともなく御守護いただいてまいりました。しかしまだ固まりはたいした変化なく、従って子供もございません。本年七月、強羅に御奉仕させていただき、帰宅後八月八日、下腹部に痛みを生じ食欲もなくなり便秘し、九日には尿も出ず一時呼吸も苦しいほどの浄化をいただきましたが、一〇日には御守護により楽にさしていただきましたが、やはり固まりにあまり変化は見えません。

 当家にては主人と私のみ入信し、両親および弟は未入信であまり積極的ではありません。御屏風観音様は御奉斎しておりますが御神体はまだでございます。また主人より御浄霊していただく場合、およびこの道の話をいたします都度弟はブツブツ言って変な反対するような態度をし、霊的になにかあるように感ぜられます。

 右の通りにございますが、浄霊の不足によるものでしょうか。後二、三年くらいはかかるものなのでしょうか。

 罪深き身を感じ、大いに徳を積んでお赦し願うべく御奉仕さしていただきましても、短期間のみで嫁の身で思うほどにできませんのが残念に存じますが、なにとぞ御守護賜りたくお願い申し上げます。なお現在の私および一家としていかようにしてまいるべきでございましょうか、お伺い申し上げます。

 固まりが少し大きくなったのは非常に結構である。これはふつうは大きくなって穴が穿き、膿が出て治るのであるが、うまくゆくとある程度まで腫れてから、下痢で治ることもある。この人は右の腎臓部に固まりがあるから、そこをよく浄霊すること、浄霊の場合はできるだけ力を抜くようにすれば、長くはかかるが必ず治る。

――N・K(三七歳)は昨年二月ごろより発作的に物を投げたり怒ったりするようになり、九月に男児分娩後は殊に発作が激しく、家人の監視が必要のため脳病院へ入れましたが、そのとき院長は全快の見込みなく預かるだけだと言われ、電気治療をいたし、約六ヵ月後の本年五月退院いたしましたが、日常絶えず何者かの霊と話をしておりますようで、返事をしたり笑ったりしゃべったりいたしており、他から話をいたしましても、とんちんかんな返事をいたし、げらげら笑います。ときどき大切な物でも無理に人にあたえて困らせたり、たらいに水を入れて、行水のまねをいたします。六月一四日より主人にこのお道の話をいたし、御浄霊をいたしておりますが、変化がございません。七月一日家出いたし三日目に警察に保護されておりました。七月一八日、主人と本人と入信いたし、御屏風観音様を御奉斎させていただきました(先祖代々の霊の位牌は作っておりません)。その後は動作がそわそわするようになり、二二日夕刻よりひどい発作が起り「坊様やお客様が大勢くるから」と家中騷がせました。翌朝は激しく「神様が切れと言われたから」と刃物で手を切り、首を締めたり、たらいに水を入れて着物のまま入り、祝詞をあげ、歌を唄い、飛んだり暴れたりいたし、やっと上げて御浄霊いたしますと「わしはお日様の次に悟りを開いたのだからそんなもの(御浄霊のこと)いらぬ」と申し、また「家に火を点けて焼け」とかいろいろ大声でどなっておりましたが、天津祝詞、善言讃詞、御讃歌、明主様のレコードなど聞かせまして御浄霊させていただきましたら、夜八時ごろやっと平常の精神状態になりました。その後、御浄霊をきらいます。主人はN家へ養子に来まして、一男一女を置いて戦争中に先妻と死別いたし、二度目にいまの「K」を娶りました。次々と三人分娩いたしまして長男は幼児のとき死亡いたしております。なお本人は最初嫁ぎまして三ヵ月くらいで生別、男児分娩後、男親に渡し里子に出し、現在一六歳でその子供が生みの親を慕っているそうでございます。なお本人はN家へ来まして三ヵ月くらいのとき結核性脳膜炎で入院いたし、氷冷で良くなったそうでございます。なお本人の実母は生駒の聖天様の熱心な信者で、人助けもいたしているそうでございます。主人も入信はいたしましたが、なかなかわかりません。御浄霊の箇所は前頭部、後頭部、肩、首、腎臓部をさせていただき、御浄霊のときは天津祝詞、善言讃詞を一回ずつ奉誦させていただいております。これはいかなる原因でございましょうか。いかにいたしましたらお赦しいただけますでございましょうか。謹んで御垂示のほどをお願い申し上げます。

 これは狐霊、狸霊、その他種々の霊が憑るもので、一般精神病の状態である。これは本人の浄化作用というよりも主人のほうの浄化作用である。なぜならば苦しみはズッと主人のほうが多いからである。従って主人が熱心な信仰によって人助けをし、神様のお役に立つようにしなければならない。その徳によって罪穢が減るから、それだけよくなるのである。勿論浄霊、祝詞、御神書拝読なども結構だが、一番の急所は右側延髄を中心に、首の周りに固結があり、また前頭部にも毒素が大いにあるから、右の二ヵ所をよく浄霊すれば長くはかかるが必ず治るのである。

――私の弟M(二四歳)は、昨年一〇月中ごろより肋膜症状の御浄化をいただきましたが、お蔭様で御浄霊により全快、本年四月中ごろより頭の御浄化をいただき、前額都および後頭部ならびに首の周囲などに高熱あり、特に声がれがしておりました。また右横腹部に痛みがあり、寝返りに困難をいたしました。御浄霊により御守護賜り一時快方に向かいました。

 五月二八日ふたたび同様の御浄化をいただき現在に及んでおります。現在は頭部、首の周囲、腎臓部、尾骶骨、臑などに高熱があり、やはり声も出しにくく息苦しくちょっと歩いても非常に苦しくございますが、脚部、特に臑の部分がいたみ歩行困難の状態でございます。また足首および手の両親指もしびれております。御浄霊いたしましても、なかなか解熱いたしません。食欲は茶碗に一杯くらいでございます。

 一一時ごろより三時ごろまで毎日発熱し、寒くてふとんをかぶることもございます。

 弟は絶家した親戚を(H家)継ぐべく入籍いたしており、H家の父は大腸カタルで、母は中風にて三年前に、息子は肺病にて十五、六年前それぞれ死亡いたし絶家となりました。

 弟は昭和二四年入信以来あまり熱心でなく途中御守りを掛けておりませんでしたが、現在は申し訳なく感じお掛けいたしております。まことに申し訳なきことと謹みてお詫び申し上げます。

 H家には去る七月五日御屏風様を御奉斎いただきましたが、浄化のため生家におりますのでお祀りできず、蔭膳をいたしております。

 弟の浄化はこれらと関係ございましょうか。御浄霊の箇所など御教え賜りたく謹みてお伺い申し上げます。

 これは霊的関係はなく、薬毒病である。熱がしつこいのは、浄霊が急所を外れているからで、触ってみて一番熱い所を見つけそこを浄霊すれば、だんだん熱は下がるものである。その他圧して痛い所を浄霊すること、食事は野菜を多く摂ること、なによりも衰弱を増させないようにすることで、それにはふつうの安静にすればいい、それで治るはずである。

――左記の者、M・J四五歳は、現在長崎県S島にて、S炭鉱に勤務しております。昨年一一月入信以来御守護いただき、夜は腹痛に悩みながらも毎日出勤はいたしおり、帰宅後は熱心に浄霊に従事し、以来入信者約二〇名を導き、現在協力会員二四名の責任者として、一生懸命御神業のお手伝いをいたしておりますが、最近、特に浄化はげしくなり、支部長、Y・B、毎月当地に出張浄霊二―三日と義兄、教師、H・M、毎月一週間ほど出張いたし浄霊する他は妻より浄霊をいただき、他人を浄霊している間は楽ですと、毎日自分も浄霊に従事している状態でございます。現在までに手術四回をはじめ、そうとういろいろの手当てもしておりますので、胃薬および消毒薬の浄化作用と思いますが右につき浄霊の方法、箇所など御指示仰ぎたく、なおあわせて御守護のほどお願い申し上げます。

 無論薬毒である。浄霊の急所は腎臓部を主とし、次に腹の痛い所をできるだけ力を抜いてやればいい。

――三男M(一三歳)は小学校に入学するころより(昭和二一年)、手足の自由がきかなくなり出して心配しておりましたところ、このお道を知らせていただき、昭和二三年入信させていただきました。同年光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させていただきましてその後御浄霊は続けておりますが、だんだんと自由になれなくなり、いまではほとんど動かさず、食事のときは飯台の上に置けば自分でどうやら食べられるほどです。長男はやはり入学するころより体が不自由となり、一二歳(昭和二〇年)で小児麻痺で死去いたしました。Mの祖母は中風で昭和二六年一二月に死亡、祖父は同二七年五月に腎臓病にて死亡いたしました。右なにとぞ御守護お願いいたしますとともにMの御浄化につきまして、浄霊の急所とその原因を御教示願いたくお伺い申し上げます。

 この病人の最近の状態を知っている教師の人から、直接詳しく訊いて返事をする。

――信者A・S(三七歳)の家についてお伺い申し上げます。

 右の家には近親者に変死した者が数人おります。長男Eは昨年三月水溜めへ落ちて死亡(当時三歳)、長女(本年七歳)はEが死んで一週間ほど後三日間昏睡状態となり、浄霊しても変わらず、Eの死んだ場所へ行って善言讃詞を奉唱していただきましたら良くなりました。

 また二〇年前本家では信者Sの妹Wが大きな池の中に落ちて死亡(当時一三歳)、姉Tは三七年前やけどして間もなく死亡(当時六歳)、引き続いて翌日、次の弟Y(当時三歳)が腹痛を訴えて前方に転んですぐ(死亡)、そのほかにまだ二人死亡しております(病死)。

 信者Sの二女K(昨年一二月三〇日出生)は、生後二、三日くらいから吐き気があり、黄疸の状態となり、夜昼の別なく泣き通し、毎日御浄霊を続けておりましたが、一進一退で発育も悪く、ついに、本年六月六日死亡いたしました。死亡の直前に医師に診療してもらいましたところ「先天性輪胆管閉塞症」とのことでした。

 これら近親者の死亡、殊に変死者が多いように思われることには、いかなる霊的関係があるのでしょうか。今後も不幸が続発するかと思うと非常に心細く、どうすれば良いかと迷っている様子です。

 御屏風観音様は昨年御奉斎させていただきましたが、光明如来様は御奉斎させていただくつもりで貯金しておられます。

 なにとぞ右御垂示をお願いいたしますとともに、御守護のほどお願い申し上げます。

 これは龍神の崇りであるから、一日も早く光明如来様をお祀りして、そうして熱心に信仰を励めばだんだんよくなって不安は消えてしまうものである。

――私は心臓弁膜症で御守護いただき、昭和二五年に入信いたしました者でございます。二四年に長男(K現在四歳)を分娩し、生後一〇カ月くらいのとき、お祖母さんの一周忌後急に発熱し、医師にみていただいたら佝僂病<くるびょう>と言われ、毎日通っているうちに小児麻痺と診察されました。不具の子供を持つ悲しみ絶望感は、ひしひしと身に迫るものがありました。軟弱で骨のないごとき症状で、言語明晰を欠き、涎を流し、全部が屈曲麻痺しております。御浄霊いただきましてから、握ったままの手がいまは開くようになりました。やっと物を持つようになり、目もどろんとして年寄りのようだったのも少し良くなりました。私も一生懸命神様におすがりし、会長先生からもいくども御浄霊をいただき、「あなたの御先祖には中風で亡くなられた人はございませんか」とたずねられました。私が子供を生む五年前に姑が中風で亡くなっております。Kがお祖母さんと同じような状態で顔までがそっくりでございます。御屏風観音様を奉斎するように再々お祖父さんに言いましたけれど、天理教の信者で聞き入れず、私の実家で弟が入信しているので御屏風観音様を御奉斎いたし、中風で亡くなった祖母も実家にお祀りさせていただいております。私は浄霊いただきながらもふたたび子供を授けていただき、その子供はKに比べものにならないほど達者な子供でございます。弟が丈夫なのでKは泣いているのでございます。あるとき天理教の布教師にすすめられ奈良の本部まで行きましたが、なんの変化もございませんでした。ただいまは御浄霊は弟よりいただいておりますが、あまり変化がございません。御浄霊の際は善言讃詞を奏上させていただいております。御神書も聞かせております。

 今後いかがいたしたらよろしいでしょうか。

 謹んで御教示お願い申し上げます。

 光明如来様をお祀りしなければ、本当には治らないが、しかしそういう事情ならしかたがないから、支部の神様によくお願いして、時節を待ちなさい。

(註)S・Mの質問については一〇月二日の特別面会のとき直接話をする。

「昭和二十七年九月二十五日 『地上天国』四十号」 昭和27年09月25日