昭和二十七年八月一五日 『御教え集』十二号 (4)

七月一五日

御教え 美術館やいろんなことで『文明の創造』を書き始めていたのが遅れたので、早くこしらえてしまおうと思ってまた書き始めたのです。根本的のことを書いたのです。つまりいままでは本当の文明ではない。本当の文明というのはこういうものだということを書くのです。根本というのはつまり悪です。その悪をなくする。他のいろんな文化はすばらしいものです。ところがそれを悪に利用するからいけないのです。これを善に利用すればたいしたものです。原子爆弾でも、あれを人殺しに使うから恐ろしいものなのです。あれを動力やなにかの原に使えば結構なものです。原子爆弾を動力に使えば、石炭だとか油はなくてすむのです。なにしろ豆粒くらいのもので自動車や飛行機を動かせるのです。つまり、悪をなくすればそれだけで地上天国はできるのです。いまみんな困っているのは、人間の悪のために困っているのです。だからその一番怖いのは戦争、病気。それからいまの共産党の運動も、それから泥棒だとか、変なようなことで人殺しをするというようなことの因は、みんな悪です。で、悪でも、直接……火炎瓶を投げたり、まあ、破壊運動をするのは、これは分かりきった悪です。また泥棒したりいろんなことの悪は分かっているのですが、そういうことよりも、悪を善と思ってそうして悪を行なうこと、これが一番恐ろしい。やるほうは善と思って一生懸命やるのですから……。そのうちの親玉が、いつも言う通り医学です。「医は仁術なり」といって、非常に良い仁術と思っているのです。医学によって病気を作り、それを悪化させて生命まで奪ってしまうのです。これほど恐ろしい悪はない。これほど深刻な悪はない。この悪を人間から除けば悪はなくなってくるのです。いろんな誤った思想だとか、破壊的なこととか……みんな病気です。精神的病気です。いつか、日本人は全部精神病だと説きましたが、つまり精神病にも種類があるのです。、精神病らしいのは分かるから病院に入れるとかするが、精神病らしくないのが一番怖いのです。で、病気の因というと、今度『栄光』に出しましたが、薬なのです。薬で血を濁すのです。濁すと、濁った血が頭に行く。だから頭が悪くなる。頭が悪くなると、物事の判断力が正確でなくなる。どうも、実に判断が間違うのです。だから、いま一番のなには……譬えてみれば、政治家とか代議士とかいうと、ふつうの人よりか偉い人となってますが、たしかに偉くなくてはあれだけの出世ができないのですが、その偉い人が、なにかのときに……会議だとか協議するとき、つまらない問題で毎日毎日相談し議論し合っている。まあ、われわれからみると五分くらいで分かることを幾日も何回もやっている。ですから議会が延期延期で延びるのです。今度の延期は四回か五回でした……。というのは判断力が悪いのです。どんな問題でも結論は一つです。一番良いやり方というのは、一つしかないのです。それが、頭が悪いために見つからないのです。というのは因は薬毒です。ですから、この間も言った通り「上面利巧の芯馬鹿」だというのは、そういうわけです。だからどうしても薬というものを全廃する……なくなれば、頭はずっと良くなります。頭は良くなるし、伝染病というのがなくなります。あの黴菌というのは薬毒から湧くのです。黴菌でも、良い黴菌もあるし悪い黴菌もあります。良い黴菌というのは必要ですが、悪い黴菌というのは薬毒から湧くのです。それを知らない。発見できない。そういうわけだから、とにかく少なくとも、もう少し人間の頭を良くしなければならない。教育も肝腎ですが、教育はどっちかというと上面を利巧にすることです。まあ物識りになることです。ですから、物識りになれば判断力は良くなるわけですが、ところが芯のほうが頭の活動力が悪いから、肝腎な物事の判断をするそういった頭脳が働かないわけです。要するに頭脳の中心が働かないでまわりだけが働いてしまう。ところが薬というものをまた馬鹿に信じているのです。新聞にも出てますが、今度できたヒドラジドなんか、たいしたもののように思って服みたがってますが、わざわざ悪くする……肺病を治さないものです。薬というのは全部麻薬です。一時良くするのです。ちょうど頭の悪い人が麻薬を注射すると、頭がはっきりしてくる。だから小説を書くにしても、あれがはやっている。急ぎの原稿を書くのに、あれをやると馬鹿に良く書ける。それで中毒になる。それは麻薬だけではない。いっさいの薬がそうです。食欲がないので、薬を服むと一時増えたりして良いように思えるのです。だから次々に服んで、結局それが癖になってだんだん中毒症状になる。しかし、すぐに大いに効くのは麻薬として取り締まっているが、緩慢に効くのは分からない。発見できない。だから急速に効くのは麻薬として排斥するが、緩慢に効くのは良いとして奨励するのですから、この無智なやり方、頭の悪さです。またそれに慣れきっているのです。それを教えよう、解らせようと思って、われわれは骨を折っているのです。そういった麻薬を、麻薬でないと思っている迷信です。それを言うと、こっちのほうを迷信という。そのくらい頭が悪いのです。だから現代人と言えば、少なくとも悩病です。

 いま『文明の創造』の根本を書いているので、その最初の書き始めです。

(御論文「文明の創造 天国篇」「天国建設と悪の追放」朗読)〔「著述篇」第一〇巻三二一―三二二頁、五八四―五八九頁〕

 次はあんまり固いのは止めまして、今度は信仰とは関係ないようなものですが、興味的に映画のことについて書き始めてみたのです。その前に一つ。

(御論文『私物語』「無信仰時代」朗読)〔「著述篇」第一〇巻九九―一〇四頁〕

 つまりこれは神様がそんなことをしてはいかん、止せという、そういうなにです。いま考えてみると良く分かるのです。

(御論文「私と映画」朗読)〔「著述篇」第一〇巻一〇四―一〇八頁〕

 まだ、これからそうとう書くのですが、書けただけを読ませました。

 話のついでですから、映画の一番悪い点を言うと、チャンバラです。いまは時代劇がはやってますが、ヤクザくらいの人間が武士を一〇人以上も相手にして闘うのですが、そうして斬られないのです。それこそ、国定忠治とか子分の日光の円蔵くらいのところがやるのですが、武士のほうが負けるのです。あんなのは馬鹿馬鹿しいです。アメリカなんかは、ピストルなんか射つと死にますが、日本のはなかなか死なないのです。それは、スターが死なないのはしかたがない。死んではそれでおしまいだから……。ところが下っ端が、日本のは死なない。見ていると実に馬鹿馬鹿しいです。それまでおもしろがっていたのが、そういう場面でガッカリして見る気がしない。だから観客愚弄映画といって、観客を甘く見過ぎるのです。観客は甘いと……子供とか若い者を中心としている。これは前の大映の所長で永田……あの人なんかの話が、だいたい映画の観客の目標とするのは二〇歳前後、せいぜい二五歳までを目標とする。ということを言ってましたが、それが悪いのです。そういう映画は、当たるときは当たりますが、やっぱり……深刻な、どこまでも事実とあまり離れないような映画のほうが受けるのです。盆とか正月映画は別ですが、ふだんから正月映画のほうが多く作っているのです。いずれ気がつきますが、気のつき方が遅いのです。それまで観客はいい犠牲になっているのです。その点においては、イタリア映画がもっとも良かったです。イタリア映画くらい金がかからない映画はないです。よくも貧乏臭いものを作ってますが、それでいて観客を惹きつけてます。日本映画は割合金がかかっていて、中途でガッカリするのが実に多いです。アメリカも最近その点に気がついてきたのか、馬鹿馬鹿しいテーマはないです。実に深刻なものになった。アメリカで馬鹿馬鹿しいのは西部劇ですが、しかしピストルを射って死ぬのです。これは日本のより良いと思う。それから、日本のもう一つの馬鹿馬鹿しいのは、殺されてから死骸がすぐなくなってしまうのです。アメリカ映画のほうは殺されて、五人も六人も転がっているのです。そのほうが実感が出ます。日本のは、やられてもやられても斬られに行く奴が減らないのです。ということになると、死んだ奴が起き上がってまたやるのでしょう……。実に観客を愚弄している。そんなわけですから、こういうことを書いて、映画のああいった関係者に配ろうと思ってます。

「『御教え集』十二号 昭和二十七年八月一五日 」 昭和27年08月15日