〔 質問者 〕戦国時代の一寸八分の木像の観音様を支部長が買い受けましたが、先祖代々伝わっているものだそうでございますが、御開眼お願いいただけますでしょうか。
【 明主様 】良いです。それは、護持仏といって戦に行くときに腕に御守りとして縛って行くのです。そうして戦に行くのです。ですから、一寸八分の金のが多いです。木のは少ないです。木のほうが軽いといった意味でしょう。そうして頼朝時代に非常にはやったのです。つまり護持仏といって、持って歩くというわけです。それもその一種です。金箔は塗ってありますか。
〔 質問者 〕塗ってありません。
【 明主様 】木彫ですか。よほど古いですか。
〔 質問者 〕代々伝わっているそうでございます。
【 明主様 】古ければそうです。新しいのなら、ただ拝むために一寸八分のものを作るということはよくあります。いまでもあります。
〔 質問者 〕戦国時代にはそういうのを用いたのでございましょうか。
【 明主様 】たくさんあります。
〔 質問者 〕御守護をいただくためでございましょうか。
【 明主様 】そうです。良いのは純金なんかが入ってます。浅草の観音様はそれが御神体だったのです。浅草の観音様というのは頼朝が作ったのですから。最初は頼朝の護持仏だろうと思います。それが明治になってからなくなったが、売ったのです。それはいつか話したが、私の曾祖父が質屋をしていた。そこに質に入れた。浅草の長昌寺という……始終遊びに行った寺です。一年に一回御開帳といって、観音様のお供をして行き、すむと長昌寺に帰ってくる。ところが長昌寺の坊主が道楽して金を使って、私の曾祖父の所に質に入れたのです。で、私の所にしばらくあったのです。ところが私の曾祖父は子供がなかったので養子をしたが、ごくお人好しで財産をつぶされて、そのときに離した。
一寸八分の観音様というのはたくさんあるのです。あれが仙台にあるとかよく話がありましたが、みんなその時代の大将の使った護持仏です。純金ですが、だんだん位が下になると一六金、一四金、ごく下になると六金というのがある。六金というのは銅が多いから錆びて黒くなっている。磨いているとピカピカ光ってきますが、銅みたいな光です。
〔 質問者 〕いまも浅草にはございますのでしょうか。
【 明主様 】あります。いまあるのは木彫に金箔を塗ったのです。木彫の一尺くらいのはほうぼうのお寺の御神体になってます。観音寺の御神体もそうです。白布に巻いて御厨子に入れて、一年に一回管長でなければ開けてはならない。それをふつうの人が見たら目がつぶれるとか言ってます。だれも見た人はないでしょう。私は神様のお知らせで分かったのです。