〔 質問者 〕今年に入りまして、今日が一番暑いようで。
【 明主様 】そうですか。ここにいては分かりません……。しかし、暑いせいもあるが、赤痢がずいぶん増えてきたようです。
〔 質問者 〕毎年レコード破りになるようでございます。
【 明主様 】そうです。オリンピックのほうは日本はそうはいかないが、伝染病のほうは非常に世界的レコードで破ってます。
いま『文明の創造』を、以前に書いたのをよほど訂正して書いてます。病気は、必要があって神様が病気になる
ようにして、そうして弱らせるようにしたということを書いてます。で、キリストの言った「禁断の木の実」は薬のことです。禁断の木の実をもって悪を発生したということが『バイブル』にある。で、薬によって悪を発生したのです。ですから禁断の木の実は悪なのです。もうその時分に、神様はちゃんと知らせてあるのです。だから、人間から悪をなくするには、薬をなくす……悪の発生は薬によるのです。つまり薬毒は霊を曇らせるから、霊が曇るから動物霊が人間を自由にする。こういうわけなのです。悪が必要だったのですから、神様はうまいことをやったのです。神様が人間を瞞した……だから、神様が瞞すのだから上手いに違いない。私は、神様はいままで人間を瞞したのだ、本当はこうだということを書くのです。そういう悪は不必要だ。だからして悪をなくさなければ本当に幸福な世の中はできないということを知らせる。ということは、そうするとつまり悪というものは、神様に瞞されてできたものだということは、いままでは知らせてはまずいからで、そこで今度は悪の必要がなくなった、悪があってはかえっていけないという時期になって、初めて知らせるのです。だからいままで、善悪一致だなんて言ったが、それは真理だったのです。そういうことをいますっかり書いています。私も驚いたのですが、書きかけるとドンドン出てくる。共産主義もいろいろ騒いでいるが、共産主義の根本は悪だから、悪がもう少し必要だから、それで共産主義に走っている。しかしもう長いことはない。共産主義というものはもう数年くらいのものです。
今度の『文明の創造』はつまりエホバの『聖書』なのです。キリストが作ったのは、自分は天の父の子であるとして『バイブル』を書いた。だからその『聖書』というのは伜の『バイブル』です。今度は親父の『バイブル』です。だから伜だからして善性だけだった。そこで悪のほうが解らなかった。親父のほうは善と悪と両方作ってあるから、そこでその関係がすっかり分かるわけです。で、親父が悪を作ったのですが、悪があんまりのさばりすぎるから、少し……ある程度にしておかなくてはいけないというので、それで、伜の……キリストを出して、それで悪ののさばりを防いだわけです。それがキリスト教です。それから娘のほうを……お釈迦さんは娘のほうみたいですが、それを出して、悪のために非常に苦しむから大いに慈悲を施すということをして、人間を慰められたわけです。しかし悪をなくすることはできない。どうしてもある程度文化を発達させなければならないから……。だから『聖書』のほうは、なにをする勿れという非常に厳しい正義を説いている。キリストの内部を説くというと、結局修道院に入るよりしようがなくなる。キリスト〔教〕のごく徹底した人は非常に……清教徒といって禁欲一点張りです。キリストがそういう……まあキリストの性格です。それでああいうふうになったわけです。ところが仏教のほうの難行苦行というのはキリスト教のほうとはまるっきり違うのです。禁欲主義というのは、あれは先にも書いた通り仏教の建前ではなかった。難行苦行するのはバラモン教のほうです。バラモン教によって、いろんな神通力やそういったことを……そういう一つの能力を生んだ。
(次節に続く)