昭和二十七年七月一日 垂録11 (3)

〔 質問者 〕宗達は光琳より五、六十年前で。

【 明主様 】もっとです。二〇〇年くらいです。歴史がいろいろになってますが……二〇〇年という説と一五〇年という説とあります。とにかく一〇〇年以上は違います。

 

〔 質問者 〕琳派という系統は抱一でお終いでございましょうか。

【 明主様 】お終いでもない。抱一の弟子で其一というのがちょっとできます。其一の画帖は直さなければならないが、出します。空棚になった所があるでしょう。あそこに其一を出します。其一の次が明治時代の道一という人です。この人で終わりです。それから、美術院というのは光琳を復活したというものです。岡倉天心の目的はそれです。光琳を現代に生かせというので、無線画を始めたんです。つまり光琳、宗達は無線画……線を省いたんです。美術院で光琳の無線画をやって、最初朦朧派という綽名をつけられて、それが馬鹿に人気を博したので、日本画はみんなそれをまねしたんです。いまの日本画はそういう意味になっていて、結局光琳が現代に来ているんです。最近はそれに油絵を採り入れたんです。

 

〔 質問者 〕宗達より光琳がずっと上にご覧になっておられますので。

【 明主様 】ずっと上とも言わないが、それに光琳は宗達のまねをしたんです。ああいった画き方は宗達が元祖です。ですから、物によってはどっちとも言えない。ただ光琳のほうが絵に破綻がないです。宗達のほうは未完成といったなにがあります。だから宗達は非常に良いのと悪いのがある。光琳にはそれがないです。悪いというのはめったにないです。だから、結局光琳のほうが上ということになります。

 

〔 質問者 〕宗達の鶏は一般が非常に褒めます。

【 明主様 】たらしこみというのは宗達が元祖です。あの、にじみ出たものです。いまもまねしてますが、たらしこみがもっとも良く出たのが鶏です。宗達の特色が一番良く出てますから、あれを出したんです。

 

〔 質問者 〕雪舟も珍しいもので。

【 明主様 】珍しいです。

 

〔 質問者 〕褒めてました。

【 明主様 】雪舟はもっと乱暴に画いてあるんです。ところがあれは実に入念に画いてあるんです。画き方が実にていねいなんです。

 

〔 質問者 〕武蔵の達磨も。

【 明主様 】あれも良いです。

「『御垂示録』十一号,講話篇第六巻」 昭和27年07月01日