昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(6)

五月一六日

御教え いよいよ熱海も明日きりで、明後日箱根に越すつもりです。四、五日前に行ってみたところ、だいたい美術館は壁ができるだけで完成します。壁も半分くらいはできてました。すべて私の思う通りにできたんで非常に気持ちが良いんです。それでこれからどんな建築でも、みんな私が設計家になって、思う通りにやろうと思ってます。そうすると非常に安くもできるんです。私のやり方は、できるだけよけいなことをやらないように……できるだけ整理しちゃうんです。だからかえって気持ちが良いです。ところが商売人は立派に見せようというんで、よけいなことをするんですね。だから金がかかっていて効果が薄いということになる。美術館は見れば解りますが、そんなような意味で、私としては非常に良くできたと思ってます。他のことはだいたい話してありますから、なんですが、モミジはあらかた終わりました。ですから、いつか話した苔ですね。苔も、この次箱根のほうに来られるときに、ボツボツ持ってきてもらいたいと思うんです。ずいぶん広いですから、そうとういるだろうと思います。なるべく多く、どうせ新聞紙に包んで来れば、たいした荷物にもなりますまいから、来られるたびにね。それに今月から来月にかけて入梅ですから都合が良いです。そうして京都の苔寺以上の苔庭にしたいと思ってます。

 美術館のほうもだいたい品物は整備して、またケースもこの間見本ができてきてましたが、やっぱり非常に具合良くできてました。ケースなんかも、最初立派なものをこしらえましたが、あれはぜんぜん反対で、私はできるだけ平凡に立派さのないようにしたんです。というのは、中の品物に精神が集中しなければいけないので、まわりに気を取られるようでは、かえっておもしろくないですね。ですから、そうかといって安っぽいものや変なものでは具合が悪いから、安っぽくない程度で、ケースなんかに気を取られないようにしたほうが良い。そういう意味で歩く所なんかは、市松にする予定……建築屋のほうの予定だったんですが、そうするとやはり派手になって気を取られるから、一色でやらせたんです。色もごく神経を刺激しないような柔らかい色ですね。そういったようにしてできるだけ他に神経を取られないようにね。で、美術品ばかりに集まるように、そういう考え方でやったんですがね。いろいろ……日本、支那、朝鮮……そういう具合に並べるが、なにしろそういった種類が多いですから、むしろ並べきれないんじゃないかと思っているね。品物のほうが多すぎるんじゃないかと思っている。譬えて言えば、支那陶器ですが、支那陶器なんかも、世界中……といったところでアメリカとイギリスですが、外国の博物館や美術館の支那陶器なんかを調べてみると、私のほうは負けていないんです。それは種類によっては負けているのもあるし、また勝っているのもあるし、平均して負けていないということが分かったんですね。で、大いに満足したんですがね。支那陶器でさえああいった国と負けていないとすれば、その他に日本の美術品が主ですからね。無論世界でどこにも負けないのだから、世界一ということは断然言えると思うんです。ですから、とにかくだんだん世界中に知れることに無論なると思います。しかも日本に来て箱根に行かない外人はないです。箱根に行けば必ずその美術館を見るということになりますから、割合に世界中に知れるのは早いだろうと思います。だからこの点だけでもたいへんに国家に良い働きをするだろうと思います。日本人の秀れた文化的の価値を認めさせるとともに、外貨獲得……というほどおおげさなことは言えませんが、でもいくらか外貨獲得にもなりましょう。外貨獲得に、大いになると結構だと思います。たくさん来るようになったら、入場料をうんと高くして大いに儲けようと思ってます。そうしておけば、また美術品の良いのを買えますからね。それは、日本はたいした国で、まだまだすばらしい美術品はずいぶんあります。財閥とか旧大名ですね。それから、明治以来の華族もそうですし、まだ取っておきの良いものがあるんです。それでああいう所で売るには、裾物から先に売っていくんです。で、うんと良いものは惜しくて売れないんです。あとに残しておきますからね。二級品まではたいていいままで売った所が多いんです。一級品というのはなかなか売らないんだけれども、懐が苦しいですからいつかは売らなければならない。いまでも値によったら売るというのがたくさんある。相場よりずっと高いんですね。大きく言えば倍くらいといえば、ほとんど売らない所はない。それには金がいりますから、ですから入場料がうんと入ってきたら、そういうものを買いたいと思ってます。いずれ熱海にできたら、箱根以上のものを造りたいと思ってます。ですから品物もそれまでに大いに優秀品を集めたいと思ってます。今度の美術館なんかも、一級品はありますが、有名品とか特別品とか、そういうものは思うほどはないんです。しかし、そういうものは、手に入れるのはたいへんなものです。なかなか金だけ出しただけでは駄目だというのもありますからね。そういうのはまた別な方法で、出品ということで、なんとかならないこともない。箱根のほうはそれほど大きくないし、いま準備しただけで充分ですからね。それでも、いま言ったように世界一というくらいに値打ちがあるんですからね。

 それで、ゆっくり見るとどうしても半日はかかりますね。ふつうそういうことに趣味のない人で、通り一遍に見るとしても一時間くらいはかかりますね。そうかといって、あとを押されて見るようじゃ、やっぱり鑑賞できませんからね。そうとう余裕をとって見るというのと、楽しむというのと両方にとってですから、休憩所を作ったり、人を制限して次々入れるというようにするつもりです。それで、一般の人や信者さん。それから研究家、特殊な好事家……そういう人の満足のいくような方法をとりたいと思ってます。それから、雨の降ったときなんか自動車で濡れずに入れるというような、そういう設備をするつもりです。地形が、神様が準備してあるだけにちゃんとうまくいっているんです。そういう設備ですね。美術館はもうそんなに細かく説明しなくても、じき見られるんですからそのくらいにしておきます。

 いずれできる光明台ですね。あれがいまツツジが非常に盛りですから、今度箱根に行ったら、ちょうどこの次の二十五、六、七くらいは一番盛りですから、それをぜび見てもらいたいと思ってます。なにしろそうとう前に植えたので大きくなってます。非常にみごとなものです。それは今度、第二になりますが、そこはまた別の意味のものを造るつもりです。で、将来公園も……登山会社の公園ですね。あれも大いにこっちが手伝って立派にして、いずれ箱根一流の地上天国というようなことになるでしょう。

 美術館もいろいろありますが、環境ですね。まわりも箱根のほうはちょっと驚くだろうと思います。まだ早いようですが、この秋あたりは……いきなり入ると、左手のほうが紅葉ですね。紅葉が、ちょうどこの間二〇〇本ありました。そうとう大きい木ですからね。それが紅葉して、それから萩の道を通って竹林を見て、それから美術館に入る。その様相ですね。それでたいていな人はアッとするだろうと思います。ですからだんだん知れるに従って、ずいぶん来るだろうと思います。まず一度は見るということになるだろうと思います。

 それから熱海のほうも、これはたいていどなたも見ているでしょうが、神様のほうの計画ですね。それも着々として進んでいるんです。、それは、次々に土地が手に入ってくることになっているんですね。それがやっぱり、いつも言う通り順序良くね。別に、こっちは急ってどうするんじゃないが、ちゃんと順序良く手に入ってくるようになっているんです。実になんとも言えないおもしろ味があるんです。会館はこの夏あたりの予定ですがね。なにしろ許可をとるとかいろんな準備をするんですから、思ったより後れますが、けれども神様はちゃんと決まっているんだから、なにも心配することはありませんがね。これは箱根と違ってすばらしい、規模の大きい、たいへんなことになりますけれども、これほまだそうお話する程度にはなっていませんからね。

 今年の六月一五日ですね。六月一五日が節ですからね。これが過ぎると、よほど表面的になってきます。去年、一昨年あたりを省みると、ずいぶんメシヤ教というものを、世間で見る目が違ってきたようです。これはまあ時節ですね。ですから、もう一息ですね。美術館が評判になるというようなことが、いままでのメシヤ教を変な目で見られたり、とにかくマイナス的存在のように見られたのが、今度は反対に「たいへんなものだ」「いままでの見方を変えなければならない」というようなことになると思います。宣伝も非常にし良くなるわけですね。で、それがやはり時節で、大本教のお筆先に「時節程有難いものはないぞよ」「時節には神もかなわぬ」「時節程有難い恐いものはないぞよ」なんてお筆先があります。よく出ていると思います。

 それから今度二〇日過ぎると九州のほうに宣伝旅行に行くことになってますがね。それでいつもの通り原稿を書いておきましたが、ざっと書いたので、それをいま読ませます。いくらか、ちょっとおもしろい所があると思いますから。

(御論文「舌に代えて」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五〇三―五〇六頁〕

 それからこの間火星が接近したとかいって新聞なんかにいろいろ出てましたが、火星に生物がいる。それから運河やなにかができているというようなことを言ってますが、実にでたらめもはなはだしい。それから月の世界に行けるという説で、一生懸命に準備をしているというようなことを新聞なんかに出てますが、それについてちょっと書いてみたんですがね。

(御論文「宇宙は地球以外に生物なし」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五一六ー五一七頁〕

 それからときどき医学で……二、三日前も新聞だかなんだかで、盲の貧乏人の女の人で、肉腫が二つとかできて、それに妨げられて見えなくなったというのを手術したら、たちまち見えるようになったとデカデカと出てましたが、これはなんでもないので、これは肉腫じゃないんです。膿の固まりなんです。なぜ肉腫ではないかというと、非常に痛んで熱が出たというんです。痛んで熱が出るのは肉腫と違うんです。膿なんですからね。それを二つとか取ったら見えてきたというんですから、なんでもないんですよ。われわれのほうでこう(御浄霊)やれば、濃が取れますから見えてくるんです。そういうようなつまらないことを、たいへんなことのように書いてありますがね。それでわれわれのほうでもっとひどい盲を、これ(御浄霊)で治しても、知らん顔してますね。聞いても見ても、そんなものは、もう隠してますね。実におかしいですね。

 近ごろ聞いてみると、薬屋さんなんかが非常に悪く言って、いろいろ投書なんかをしているそうですがね。いまは薬屋に影響……結局たいして影響しますまいが、影響すると心配しているんでしょう。それはもう一歩考えてみると、それほど薬屋に影響するのなら、薬を使わなくて病気が治るということを証明しているんですから、そうすると、薬を使わなくて病気が治るとしたらたいへんな救いですから、薬屋さんをやめて大いにこっちのほうの宣伝をするのが本当です。薬屋さんの目的というのはお医者さんと同じで、やはり病をなくして人を救うというのが目的ですから、薬を服んで死のうと悪くなろうと、ただ金さえ儲かったら良いと、それでは本当の悪魔的ですからそんなはずはない、とにかくいかなる商売……ふつうの商売と違って、人の病気を治し命を救う商売ですからして、まず己の金儲けは次でなければならない。ところがメシヤ教は薬に対して「邪魔する」「けしからん」という考え方というのは、おかしいんです。こんなことはたくさんありましょう。私のほうは別に薬屋を悪く言うわけでも、お医者さんをどうするわけでもないんですよ。それで、医者で治り薬で治れば結構ですから、私のほうはやめちゃいますよ。しかし、それでやると治らないし、かえって悪くなる。それでは黙って見ていられない。それを知らないならなんだが、根本的に知った以上は黙っていられない。それがこういうものだということを明からさまにはっきり分からせることですね。分かることが、その人にはたいへんな困ることになるでしょう。だからまずやめるより他にしようがないですね。やめたら飯が食えないというのならば、すぐにやめなくてもいろいろ準備してやめれば良いんです。一番良いことはわれわれのほうに相談に来ることです。どうしたら良いだろうと……そうしたら、やめて浄霊のほうにとね。そういうことが社会にたくさんある。そういう社会だから、神様はそれを解らせて、それを救わなければならないということになるんですが、まあしかたがないでしょうがね。

 それから、「米国通信」が二、三日前に来ましたがね。いまあっちで一番多い病気は、癌と小児麻痺と結核と、この三つが一番多いそうです。私はこれを書いて米国に送るつもりです。この間の原子爆弾に関する「原爆恐るるに足らず」というあの論文は、教団のほうで米国のそういった要路に送ったそうです。かえって、翻訳するよりか日本文のままのほうが良いそうです。それはそうでしょう。それをあっちの翻訳する人によっていくらか違いますからね。こっちで翻訳してしまえばそれっきりですからね。かえってあっちで翻訳したほうが、いろいろに訳するからして、それを総合するとかえって良く分かりますから間違いないことになるから良いと思いますね。で、あっちの大統領だとか、陸軍長官。また空軍関係の偉い人だとか原子科学研究の方面と、ずいぶんほうぼう……多方面に送ったそうですから、反響があるかどうか、ちょっと、反響までにいかないと思いますが……ただびっくりして口を開いているだけだろうと思いますがね。で、まあとにかくそういった一つの刺激を与えておくということは、将来なにかになると思います。だから、いまの米国の病気も書きましたが、今度新聞に出します。癌というのはなんでもないんです。あれは肉の毒ですからね。肉食人種に多いんです。日本なんかも昔は癌なんてほとんどなかったんですが、肉食になってから起ったんで、肉の毒がだんだん溜まっていくんです。それはなんだというと、野菜の食べ方が少ないんです。野菜を食べれば調節されてそういうことはないんです。肉のほうに偏するためですね。それで野菜の食べ方の少ないということは、つまり原因は肥料ですね。これが、非常に原因するんですよ。外国は化学肥料が多いですから、野菜が不味いですから、どうしても肉をよけい食うことになるんですね。だから、野菜をうまくするのは無肥料でなければならない。無肥料はこの点にも非常に効果がありますね。

 それからもう一つ注意したいことは、よく御守護の電報が来るんです。電文を読んでみると、つまらない病気で、非常に重態のように思って、電報打ってくるんですが、どこが苦しいとか、どこが痛いとかですね。浄霊すれば、他の信者の人がやってもわけなく治るような程度です。それを、どうしても治らないからよこすんですが、浄霊の仕方がまだ間違っているんですね。力が入るんです。たいていの痛みは本当に力を抜いてやれば、割合に早く治るんですよ。力が入ると治らない。ですから力を抜くことを、いっそう骨折ってもらいたいですね。それで、力を抜いてその霊ができるだけ向こうに通るようにね。そうすると非常に治るんです。ですから、つまり力を抜く稽古をするんですね。ところが、苦しがったり痛がったりすると、かえって一生懸命になるんですね。一生懸命になると力が入るんです。だからむしろ一生懸命にならないようにするほうが良いですね。苦しがって七転八倒すると、かえってボンヤリして、なにを苦しんでやがるんだというつもりでね。ですから、自分の力とか、治そうとする熱意とか、そういうものは出さないんです。なんだこんなもの、といったような、要するに一生懸命にならないことです。そうすると良く効くんです。だからそれには力を抜くことですね。そこのところが、一つの修行ですね。

 それからもう一つ注意しておくことは、浄霊すると痰が出ますね。咳が出て痰が出ますが、これは肺から出るんです。溶けたものがね。ところが胃から出る場合もある。胃から出る場合は、胸がムカムカしてきて吐きそうになる。よく頭が痛いとかで、浄霊をやると頭はたいへん良くなって、胸がなんだか具合が悪いということがよくあります。それは溶けたのが肺のほうに行かないで胃のほうに行くんです。それで胸がムカムカする。そういうときには胃のほうをやるんです。そうするとじき良くなります。これはいままで私は注意しなかったですが、そういう点がよくありますから、いま注意します。そういうときには鳩尾の辺を目掛けて霊を放射するんです。それから場合によると背中のほうですね。そうすると胸の悪いのは割合に早く治ります。

「『御教え集』一〇号、昭和二七年六月一五日」 昭和27年06月15日