昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(5)

五月一五日

御教え 明明後日箱根に移ることになってます。いつもは六月一日ですけれども、早くして一八日ということにしたんです。なにしろ来月の一五日に美術館の開館式をやろうと思ってますから、まあこれから一カ月問大車輪でいろんな飾りつけや、準備をやってしまおうと思ってます。おまけに初めてやることなので、まあ少しは骨も折れることだろうと思ってますが、しかし嫌なことで骨を折るんでなくて、楽しいことで骨を折るんだから結構なわけなんです。つい二、三日前に行ってみたけれども、だいたいできあがって、あと塗るだけで良いわけです。あんがい早くできたですね。いろいろな点において私の思う通りにできまして、非常に気持ちが良いです。おそらくみんなびっくりするだろうと思ってます。すべて新しいやり方をしてありますからね。一つの、美術館としての見本を造ったようなわけですね。だから見た人は、なるほどこうやれば良い、こうするのが本当だというような気持ちが起るだろうと思います。で、これについてやはり神様がやられていることは、いかにも多方面にわたっているんです。それで、こういうものがなくちゃいけない、こういうものはぜび並べなくちゃいけないと思っていると、パッと出てくる。それからもう一つおもしろいことは、私が好きなものは安いんです。そうまでない……まあ、こういうものはと思うのはベラボ―に高い。ああいうところは神様はうまくやられるんです。だから割合に安く手に入ったわけですね。で、並べる品物は、その物の一級品ですね。それから私はあんまり専門的には知らなかったです。ただ、好きですから若い時分から見ているので、漫然とは知っていた。また、道具屋がそういったようなものを持ってきて、いろんな説明をして教育をされたわけですね。だから支那陶器なんか去年から急に研究を始めたんですね。またそうなると不思議に支那陶器ばかり持ってくる。こういうのもおもしろいですね。それから、それに関した本なんかを読んだりして、約一年……去年一年でだいたい分かっちゃったですね。だから道具屋はみんなびっくりしてますがね。あんまり私が分かるんで、いい加減に嵌め込もうと思った奴が、大当て外れなので、つい失望する人たちがあります。そんなわけで美術館に並べる品物も各面にわたってます。みんな二級品。まあ下がっても一級品程度ですね。だから、よくこういうものが集まったということで驚くだろうと思います。

 それからもう一つは、贋物は一つもない。みんな本物ばかりです。これは霊感ですね。こうやってみますと、贋物は厭な霊気が来るんです。それですぐ分かる。それから、本物はとても良い霊気が入ってくるんです。だからその点が一番ですね。いろんな説明がありますね……専門家のほうのね。私はそういうのは参考に聞いてます。なによりも感じですね。要するに霊感ですね。それでやって行きますから、贋物は手に入らなかった。だからほとんど買い損なったというものはないですね。どんな人でもそうとう買い損なっている。どうしても、いまでも月謝を一〇〇〇万円払わなければ駄目だということを言われてますが、私はほとんど月謝なしで稽古したんですね。そうして入り用なものはちゃんと来るんです。どういうわけだというと、霊ですね。霊界で手柄をしたいために、自分が持っていたものとか、愛好したものはメシヤ教の手に入るように、やっぱり霊界でいろいろ働くんです。これは本人に知れちゃ、気持ち悪くするけれども、どうしても俺は手放すものかといっていても、やっぱり金がいって、背に腹は替えられなくて、大事なものでも手放さなければならない、ということもだいぶあります。この人がこういうものを手放すのは不思議だというけれども、そうじゃない。その人の祖先の霊が、霊界で大いに働くわけですね。ですから、そういう点でも不思議にいろいろなものが集まるんです。ちょうど四、五年前から二、三年くらい前ですが、浮世絵なんか私はたいして関心を持ってなかったが、ちょっとしたものを持ってきたのを買っていたんですが、割合にそのころは安かった。いまそれを見ると、浮世絵の最高のものです。いまそういう専門家に見せると、どうして手に入りましたかという。どうしてといって、持ってきたから買ったというんです。これはなかなか手に入るものじゃないということを聞いて、私もびっくりする。だから、そんなような具合でとても値が上がっている。どうしても、平均として買ったときの三倍ないし五倍になってますね。だから私は道具屋としたらずいぶん儲かったが、銭儲けじゃないからですが、そういう点でも奇蹟は非常に多いですね。いまでも始終奇蹟がある。つい最近ですが、これは絶対秘密ということになってますが、日本一というすばらしいものです。ところがそれは財閥ですが、どうしても息子が売らなければならない。それは三人非常に目掛けている。みんな財閥の息子ですが、それを一人に売ろうとしそも、三人のうちのあと二人に対して悪いので、どれに売ることもできない。ところが金がいる。どこかに売らなければならないというので、秘密に私のほうなら当たり障りがないというわけで、非常に安く持ってきたんです。博物館なんかでも、前から言ってきているが、博物館に出すと、国宝にされちゃうんでね。それで、国宝にされると厭だというので出品しなかったのです。それは財閥のごく偉い人でね。それは人に見せなかったんです。これはよほど奇蹟ですね。買い手が三人もあるためにこっちが安く買った。それは一例ですが、そんなことがいろいろある。

 また、支那陶器なんかは、私はいろいろ外国のを調べてみると、日本で持っている人は少ないです。これは英国、米国に負けているんです。英、米は明治初年時分から注目して集めたんです。日本人のほうは、それを見て知ったくらいですから、立ち後れになっている。ところが日本は昔からそういうものがあったんです。だから外国にないような良いものもあるんです。いま支那陶器で一番良いものが集まっているのはロンドンの博物館です。これは以前も話したホップレスが集めた。それが第一です。それは、非常に数があるんです。図録が一一冊ありますがね。それに出てます。私のほうの支那陶器と較べてみると、無論数においては負けてます。均窯というんですがね。あとは勝っているものが多いですね。二番目はイギリスの、デイビッドという美術館がありますがね。図録が一冊ですが、厚いのがあります。その本がなかなか手に入らなくて、ようやく手に入れて、見ると私のほうが勝っているんです。デイビッドというと、支那陶器の有名な蒐集家ですが、その品物と私のと較べてみると、デイビッドのほうが負けている。非常に安心しました。私のは一年くらいで集めたものですがね。デイビッドというのは何年もかかって集めている。これが人間力と神力の違いですね。あとイギリスではホブソンというのがいるが、これはたいしたことはない。日本にも来て写真を写したことがありますがね。そこで均窯というものの少し良いものを私が集めたら、世界一ということになりますね。熱海の美術館ができたら、そう思っている。ところが品物があるかどうかが問題です。日本には古い良いものがありますが、茶に関したものが多いです。茶に関係しない鑑賞的なものは昔から日本にあんまりなかった。なお、米国の博物館、美術館。ニューヨーク、ワシントン、ボストンのですね。そういったような美術館、博物館は論ずるに足りないんです。ただ、私のほうでアメリカに負けているのは銅器です。支那の周銅というこれは私のほうがずっと負けてます。銅器ほ、支那から英国、米国がいち早く集めちゃった。日本は昔から銅器は問題にしないで、集めなかった。それで、支那の銅器というのは英、米に買われちゃってます。それを買うべく日本でも骨折ってますが、なかなか難しい。日本でも数を集めたのは住友ですがね。京都に銅器の美術館があります。四百何十点という、これはちょっと歯が立たない。それから、根津美術館。白鶴ですね。この三カ所ほ銅器は立派なものがあります。これはちょっと私のほうは負けます。望みなきにあらずでなくて、望みなしですね。けれども神様がやられることですから、どんなことになるか、いまのところはちょっと分からない。しかし、銅器というのはふつうの人は分からないものですよ。非常に難しいものです。私なんかも、銅器をずいぶん研究してますが分からない。なにしろ周銅というのは三〇〇〇年前ですからね。神武天皇の前ですからね。周の前が商で、その前が殷ですね。殷というと三千四、五百年前ですからね。だから三〇〇〇年前と二五〇〇年前という見分けがなかなか難しい。二〇〇〇年前は漢の時代になり、それは良く分かります。ぜんぜん違ってますからね。それから支那はイミテーションが上手いんです。二〇〇〇年くらい前に上手い物を作っている。それは売らないで、たいていすぐに地に埋めちゃうんですよ。それで孫の代に売る。非常に上手いので、なかなか分からないんですよ。私のほうに少しありますがね。専門の、ある学者は本物だという。ある学者は贋物だという。そういうことがよくある。いまそういうのが一つあるんですよ。京都の大学教授で梅沢という有名な人ですがね。この人は「すばらしい、本物だ」という。それから東京の博物館の、そういうものを書いている田沢という……私のほうの顧問にしてますが、この人は「贋物だ」という。両方の議論があるんです。それでそれを預かっている道具屋が美術館に出してくれという。それで、そういった好事家とか専門家の意見を聞いて判断してくださいというので、私が預かっている。そんなような具合で非常に難しい。まあ、美術の話はそのくらいにしておきます。どうも私は美術の話というと、時間を忘れちゃうんでね。

 それからこの間火星が近づいて、あそこに生物がいるとか、いないとか新聞に出てましたが、それについていろいろ書いてみた。それから月の旅行ですね。

(御論文「宇宙は地球以外に生物なし」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五一六―五一七頁〕

(御論文「日本は文明か野蛮か」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五一一―五一三頁〕

 昨日だかの新聞に盲が……女の人で見えなくなったのを手術するやじきに見えた、ということをデカデカと出てましたが、あれほ目の側に肉腫ができていて……肉腫を二つばかり手術でとったところ見えてきたというんです。あれは肉腫じゃないんです。なぜというと、熱が出て痛みがあったというんです。熱が出て痛みがあるなら肉腫じゃないんです。膿の固まりですからね。浄霊をやればすぐ見えるようになるんですがね。たいへんな巧妙な、医学を信じさせるようなうまいやり方ですがね。そういうようなことは始終あります。われわれからみると、屁のようなことを、たいへんな偉いようにデカデカとね。それは医学を偉く見せるような邪神の働きなんです。それをいまちょっと書いてみたんですがね。

(御論文「世界的迷信としての現代医学」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五一四―五一五頁〕

 それからこういうことを知らなくちゃならない。ちょっと気がつかないですがね。つまりここ(後頭部)を浄霊していると、ここ(後頭部)は良くなるんですね。そうすると胸が悪くなる。ごく軽い吐き気が起る。そういうことはよくあるんです。それは、こういう所(後頭部)の毒が溶けたのが、いったん胃に行くんです。胃に行って、胃でそれを自然浄化で溶かす。その間気持ちが悪くなる。ですからほうぼう浄霊して、胸が悪くなったら、溶けた毒が胃に入ったんだから、これはじき治ります。それから溶けた毒が肺に入ると、咳をして痰になります。よく浄霊すると咳をしますが、あれは溶けた毒素が肺に入るんです。そうでなくムカムカする人がありますが、それは溶けた毒が胃に入るんです。それは、多く下痢になりますね。それをよく心得ておくと良い。浄霊して胸がムカムカしておかしくなるということがあるが、そういうわけですから、それを良く心得ておかなければならない。だんだん浄化が強くなりますから、そういうことが著しくなるんです。このごろは、ちょっと悪い人をやると、すぐに咳が出て痰が出ますが、そういうようなわけだから、いま言う毒の溶けたのは、肺から出る場合と、胃に行って胃から排泄されるというのと両方あるということを心得ておけば良いですね。

 それからこのごろ御守護電報なんかが日に何本となく来ますが、重態な場合もあるし、つまらない……こっちから見るとつまらないんだけれども、本人や浄霊している人は、重大だと思って電報打つんでしょうが、病状と苦痛によって分かります。たいしたことでなくて、じきに治るようなことで御守護の電報が来ますが、あれはどうも治し方が違っているんですね。浄霊が違っているんですね。というのは、やはり力が入るんですよ。で、力を抜いてやればなんでもなく治るということが、治らないということは、そういったわけですね。だから浄霊の一番の修行というのは、力を抜く修行ですよ。力を抜いてその霊が向こうに通らなければならない。だから本当いうと難しいんです。やり方は楽なんです。だから楽で難しいと、こう思わなければならない。通そうとすると力が入るんですね。そうでなく力を抜いて霊を向こうに通す。これをやると非常に良く治る。とにかく力が入っちゃいけない。もし治りが悪いと、力が入ったなと気がつかなければならない。私が始終そうです。私が、ちょっとだれか浄霊してやる場合に、力を抜くと非常に良く治る。おかしいなと思うと、知らず知らず力が入っている。ですから力を抜く修行ですね。それができるに従って良く治ると、こういうふうに思っていいですね。

「『御教え集』一〇号、昭和二七年六月一五日」 昭和27年06月15日