昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(3)

四月七日

御教え メシヤ会館ですが、いま出がけに図面ができてきたんです。これはいくども直して、やっと思う通りに画けたんですよ。順繰りにまわして……これは、本当にざっと画いただけで、いずれもっと大きく、彩色にして画かせるつもりですからね。

御伺い 縦の線をずいぶんお使いになっておられますようでございますが。

 縦の線です。根本はコルビュジエですが、それに荘厳味をつけようと思ってね……荘厳にしようと思ってね。この様式はまだ世界にないんですよ。柱が人造石で、縞になって、その間は白壁になる。椅子だけが二一六○ですね。まわりに立つと……まわりの廊下に立つと、ちょうど三〇〇〇人入れるようになっている。専門家のは気に入らないでね。まるっきりこれは違うんですよ。寸法から、全部私がやったんです。高さが、前が四〇尺です。後ろのほうは下がって三四尺にして、柱を二尺にして人造石で縞になる。縞の粗さを定めるわけですがね。柱と柱の間が、白い壁ですね。中の椅子の所から、全部私が設計した。今度は、展望台の図面を引かせますけれどもね。

御伺い 長椅子は五人掛けでございますか。

 いや九人掛けです。ふつうは一〇人になるんですがね。上にテレンプを張ってね。一人一人区切ってやる。肱はないんです。ベンチでは、やっぱり窮屈ですからね。やっぱり一人ずつにやっていくんです。

 それから、この鉱石はみんな見ましたね。この鉱石は神岡鉱山の技師が日本一だと言いますが、私は世界一じゃないかと思ってますね。おそらくこれほどの鉱石はないだろうと思いますがね。これは、鉱山の知識のない人はちょっと見当つかないが、少しでも知識のある人は、驚かざるを得ないんですね。ずいぶん良い鉱石でも、石の中に金が散らばっているものですがね。私は二〇年前から……このほうは続けてやってないけれども、やったりやらなかったりしていたんです。ずいぶんほうぼうの石を見ましたが、石の中に金が散らばっている。これは金の中に所々石が散らばっている。反対なんです。つまり無垢ですね。最近の報告ですと、これよりもっと良くなった。この倍くらいの幅になったですね。鉱物ももっと良いということを、手紙が釆ましたがね。二、三日中にこっちに来るでしょう。ですから、やはりさすがに神様が準備したということが分かるんですね。それで、埋蔵量ですけれども、それをいま調べてますがね。埋蔵量といっても、上からじゃなかなか分かり悪いものでね。なにしろ土の中に入っているのでね。それで、いま横に掘っているのと、竪坑を入れてますからね。横は延長が分かりますし、竪坑は深さが分かるんですね。たいていこれは、下は銅になるつもりですがね。これは正規脈と言うんです。脈にも……所々固まりがあるのはポケット式。網になっているのは網状脈とか。まっすぐ行っているのは正規脈です。正規脈は銅が多いんです。これは亜鉛と鉛と銅なんです。鉛が一番多いですがね。黒いのは鉛なんです。学名は方鉛鉱と言うんです。ピカピカ光って結晶しているのは、閃亜鉛です。黄色い真鍮の粉をふったようなのは黄銅鉱です。銅が一番多いのが良いんです。というのは銅が一番値段が良いのと、銅が不足しているのと、銅は平和時代にも使える。鉛、亜鉛はどっちかと言うと、戦争に使うだけだからね。いま朝鮮の戦争がだれて、いったん休んでいるようなものだから、鉛、亜鉛がちょっと下がって、景気が悪いですね。だから神岡鉱山でも、いま売るのは損だから、溜めておきなさいというので、溜めているんですがね。銅は始終不足しているんです。値が倍くらい良いですね。そこで、いま銅を取るべく竪坑を入れているんです。で、下に行くほど銅になるんです。というのは、私の学理なんです。神様の学理です。人間の学理は違うんです。やっぱりあべこべですね。医学と同じです。人間の学理は、鉱物というのは、地球の下から鉱液といって、鉱物の液体ですね。それが上昇すると言うんです。そうして岩石の亀裂を埋めて、それが結晶して鉱物になるという学理なんです。ところが、それはでたらめなんですよ。鉱物というものは、硬化作用ですね。土が固まると石になる。それから、石がもういっそう硬化すると金になる。金になると言っても、石の中に所々に結晶ができる。これはちょうど人間の膿と同じなんです。万物は理屈は一つなんですからね。だから、全体に……身体に毒がありますね。それが結晶して所々に固まりができる。それがだんだん固まると、まるで骨みたいになるんですね。私は先の歯の毒が固まって、骨のようです。このごろだんだん溶けて柔らかくなりましたがね。そういうようなものです。だから、よく腎臓結石とか胆嚢に結石ができますがね。人間の膿でさえ石になるんだからね。あの石を取って細工すれば、なにしろ指輪の石やボタンになるんだからね。膿の固まりの結石したものは立派なものですよ。磨いてあるとピカピカ光ってね。驚きましたね。膿の因は薬ですからね。水薬なんてのは、結局人間の身体にやると石になるんですからね。従って土が石になり金になるというのは、なんでもないですね。それで、譬えてみれば粘土が固まって、それが鉛になるんです。だから色が鉛は粘土色してますね。それが固くなると亜鉛になるんです。亜鉛とか、土の性質によって錫になるんですね。錫になる性質のものは、錫から銀になるんです。だから銀は錫が硬化したものです。いっぽういまの粘土の黒いほうは銅になるんですね。粘土にも、黒いのと白っぽいのとありますがね。白っぽいのは、結晶すると亜鉛ですね。亜鉛というのは、四角に結晶するんですね。それが結晶すると銅になる。これは結晶するといっても、胚胎するんですね。部分部分に結晶してくる。銀が結晶すると金になる。それがもっと結晶するとプラチナになる。日本にはプラチナが少ないんですね。というのは日本は新しいからですね。神道なんかで日本は一番古いと書いてあるが、そうじゃない。一番新しいんです。で、新しいのが一番上等なんです。だから宗教でもメシヤ教が上等なんです。一番新しいからね。そういうようなもので、いまこれを掘っている。私が去年の秋に行ったところが、細い脈だった。良い脈ですが、一寸か二寸ですからね。だから、これから下に行けば太くなるというので、下に行こうとしたところが、昔すでに掘ってあって、五、六十間坑道を作ってある。やはり見込みをつけてやったが、途中で迷って横っちょに行ったりしたために、みんなうんと金かけたでしょうが、力尽きて止めちゃったんですよ。だから止めて落盤したりして埋まっていたのを、すっかり掘って、進んで行って、突き当たりからちょっと掘ったんですね。わずか四、五尺で当たっちゃったんです。ですから、神様が準備したということが良く分かる。そのときにもう四、五尺掘られたら、そのときにやられたんです。今度山の中心部……中央に向かって進んでいるんです。すると、進むにつれて鉱物も良くなっている。と言うのは、山の中央が圧力が強いですから、金属を胚胎することになるからね。これは私の学理なんです。それから、下に行くほど金属が胚胎しているから、銅が胚胎している。だから下のほうは銅が多いんですよ。だから圧力によって鉱物を発生するということは、実際上良く合っているわけですね。ですから、山の中央を目掛けて行けば、鉱物はだんだん良くなる。ところが学理はそうじゃない、鉱液とか、でたらめなことを言っているから駄目なんです。ですから私の学理で行くと、鉱物を見つけるのは、割合に簡単にいくんですね。これは鉱量もよほどあるに違いないですね。だいたい分かってますけれどもね。そうして、不思議なことには、この山は駅から二、三町きりしかないんです。水上の駅を降りて、左に行くと温泉場になってます。やっぱり二、三町くらいで温泉場になっている。右に行けば良いんですからね。だからおそらく、駅の近くにこんな山があるなんて珍しいです。ふつう鉱山というのは、駅から県道を何里行って、それから山に何里入るというんですね。こんな駅の側にあるなんでのはほとんどないです。だから、今度駅に索道掛けると、すぐです。なにほども運賃なんていらない。そこにもっていって、だんだん信者の奉仕隊が増えていきますから、そういった労賃も零みたいなものですね。だから、これも日本一ですね。だから日本一が三つあるんです。いま売れば売れますが、これで売ると非常に損なんです。と言うのは、こういう石はめったにないんです。銅とか鉛とか決まっている。鉛、亜鉛は一緒ですがね。そんなわけだから、銅専門、鉛、亜鉛専門と、鉱山が別れてますからね。どっちかが犠牲になっちゃうんです。それで、選鉱機という分離する機械ができているので、それを注文して据えつける予定になってます。それが動くと、みんな分離して、専門専門の会社に売ることになる。非常に得なんです。だからなんだかんだと、プラスになるのは、この夏あたりだろうと思ってますがね。それから人間もいりますしね。人間を寝かす所がなくちゃいけない。飯場ですね。それを作ってますが、一軒はできました。一軒で二〇人くらい泊まれます。これは至急一〇〇人くらいにしようと思っている。五カ所くらいにね。これが不思議なんです。坑道のすぐ側に一〇〇〇坪ばかり平らになっている。やはり神様が準備したんだから、違いますよ。だからそこに簡単に建てられる。一カ月に一軒建ちますからね。だから、秋までにはできます。だから信者さんも、鉱山のほうの勤労者を集めでもらいたいと思いますね。そうして、金が儲かるようになると、やはり神様はそれだけの仕事をなさるんですからね。この間のお祭りのときにいろんな話をしましたが、あんなことを始めると、信者は金を奉納しなければならない。と、心配するような話もありますが、それは大丈夫です。いま言った通り、そういうような必要だけの金は出るし、また、金が出るということは、そういう仕事をしなければならないことになりますからね。で、この間話したようなことが、ちゃんとできて行くわけですね。これは、去年私が話した、いろいろな造営なんかやっても、必要だけのものは必ず神様が、、来るようにするからということを言いましたがね。あのときは、私は山はそうなると思わないが、そうなるようになっているんだから、神様がなんとかするだろうと思ってました。で、やはり先月……あれから鉱物は出だしたわけですね。そんなようなわけで、細かく話したらたいへんですから、このくらいにしておきますが、そんなわけですから、いよいよ今年から規模も非常に大きくなりますし、世の中に大いに知れ始めるわけですね。いまでもなかなか知れてきてますが、けれども断然ふつうの宗教と違うという……メシヤ教の本当のことですね。それを認識されるように、いずれはドンドンなっていくと思いますね。そうして、美術館も予定通りできますからね。で、すっかり中のケースなんかも、品物にひとつひとつ合わして、見良いように、この一三日に注文して、ケースの設計というものもできました。箱根の本山なんかも……光明殿なんかも割合早くできるだろうと思います。まあ、鉱山の話はそのくらいにして。

 『結核信仰療法』のおしまいのほうに、医学に関する間違いですね。それをあらゆる角度から見て、説明した原稿ですけれども、これは信者に説明する場合に……信者でない、患者に説明する場合に、非常に解り良いと思いますから、これをいま読ませますからね。良く……要するに急所ですね。それを書いてありますから、そのつもりで聞いてもらいたいと思います。

(御論文「医療誤点の種々相」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四五九―四六五頁〕

 この理屈で、いま……これからはやろうとしているヒドラジドというやつですね。あれなんかも医学上の調査は、昨日なんかの新聞に出てましたがね。ストレプトマイシンより毒性は強いとしてます。ですから、その毒性のために効いたんですからね。なにしろ結核菌はみんな死んじゃうと言うんですからね。これは人間じゃないんですよ。二十日鼠ですよ。結核の二十日鼠に注射すると、結核菌はみんな死んじゃう。いま言うように副作用をできるだけ起らないようにして注射すると効くんです。そうするとあとが恐いんです。まだ、あとが恐いというまでに、行ってないから、安心してますが、あとが恐いんです。ですから、いまの医学は困るんですよ。

 それからこういうことを知らなければならないんですがね。それは、昔から宗教の教祖とかいう人が、なんでも一々神様にお伺いするんですね。そうすると御託宣が出て、神様がこうおっしゃった、とか言うんですがね。そうすると、それを聞いた人はたいへんありがたがるんです。ありがたく思うんですね。ところが私はそんなことはしないですね。ただ、その場その場で簡単に言ってのけるので、有難味がないんですね。だから、ともすればそれを軽く思って聞き逃しちゃうわけですね。で、なにかあると、こういうことを以前にお聞きした。これだということに気がつくんですが、初めはなかなかそう思わないんです。それですから私の言う通りやらない人もずいぶんあるんですよ。それはどういうわけだと言うと、私は神様に聞く必要はないんです。私のお腹におられる神様は最高の神様です。自分が言うことやることが、そのまま神様がやっていることと同じですからね。つまり直接なのですね。ところが、いままでの宗教の教祖というのは間接なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命によって生まれたとか、天の父だとか、なんとか言いますが、あれはやっぱり間接的なんです。で、私におられる神様は、エホバと同じなんですからね。そこで、私は神様を拝んだことがないですね。どこのどの宗教でも、お祭りだなんていうと、やっぱり神様に、教祖が恭しく礼拝するものなんですがね。私はやらないんです。というのは、私が拝む神様はないんですよ。もし神様があるとすれば、私よりみんな下だからね。だから、神様のほうで私を拝んで良いんですよ。それですから、御守りを一つ書くにも、ふつうは斎戒沐浴して、羽織袴で恭しく書くんですが、私は夏なんか裸でアグラかいて書く。だから知らない人は有難味はないんですがね。私はなんでも無造作にやってのけるんです。難しくする必要がないからですよ。ですから、かえってその点を逆に考えられるんですね。逆に思われるんですね。誤解されるんですね。しかしそれは、だんだん分かってくれば良いと思っている。だから一時的誤解は私はなんとも思わないですがね。こういうこともあまり生神様らしく思わせることになるので、私は好かないのであまり言わなかったんですが、そのために私の言うことを軽くみる場合がよくあって、そのために間違いがよくありますから、そのために言っておいたほうが良いと思ってお話しするんです。だから、その点を良く心得ていて、他の宗教や、教祖と較べればはっきり分かるんですよ。一番分かるのは、キリストの奇蹟なんかは、非常に有名になってますが、私の弟子で、キリストと同じような奇蹟はさかんにやっているんですからね。それ以上の奇蹟さえあるんです。時間があったら読もうと思ったんですがね。奇蹟以上の奇蹟というんですがね。今度新聞に出しますが、読むのは時間がないから略しますが、百姓夫婦で、最初田んぼに入って、電線が切れて落ちたのを、うっかりつかんだんです。六〇ボルトで……感電してびっくり返って倒れたんです。それを見て、亭主が、これはたいへんだと入ってつかんだところが、またひっくり返ったんです。電気のほうでは、水に入ると五倍の電流が流れると言うんですね。ですから、その電流を食って、身体が仮死状態になった。ところが良いあんばいに助かったと、本人が書いたものなのです。これは、ぜんせん学理で理屈のつけようがないんです。精しく書いてありますが、新聞に出てみれば解ります。

 それから原子爆弾のお蔭話も、そういったので七つばかり集まりました。これも、新聞に出しますがね。これなんかも、ずいぶん奇蹟がありました。ほとんど、信者で……御守りを受けたのは、一人も被害がなかったんですからね。だから原子爆弾も恐るるに足らずですよ。必ず助かります。また、原子爆弾で半分死んだような人でもなんでもない。やっぱり浄霊で治っちゃうんですからね。だから、この奇蹟なんていうのは、キリストでも……あの時分には電気やなにかなかったからしかたがないが、それはキリストの奇蹟以上ですよ。いま話した、キリストやなんかも間接的の力であって、私は直接だということは、これだけを見ても証拠づけられるんです。時間が来ましたから寸鉄を。

「昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(1)」