昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(2)

四月六日

御教え どなたも、ここにある鉱石を見られたでしょう。これも、一通り説明しなくてはならんと思います。これは鉱山の知識のない人はちょっと判らないですけれども、この石は日本一だそうです。神岡鉱山……あれは鉛、亜鉛は日本一の山で、飛び抜けて大きな鉱山です。そこの技師が日本一の折り紙をつけたんですから間違いないです。これは亜鉛と鉛と銅と、その三種なんです。で、いま掘ってますが、鉱量はよほどあるらしいです。ですから、事業的に言うとすばらしいものです。大いに前祝いをして、踊っても良いんですがね。こっちは人類救済にこの金を使うんですから……嬉しいですけれども、金儲けいっぽうの人の嬉しさとは違うんです。それから、なにしろ世界を救うんですから、よほどたいへんな金が今後いるんです。しかも神様は何万年前から仕度されているんですから、このくらい出るのはあたりまえだ……もう少し早く出してくれれば良いと思うくらいです。これをいますぐでも売れば金になりますけれども、しかしたいてい……銅なら銅。鉛、亜鉛なら鉛、亜鉛と、ほとんど別々に処理するふうになっているんです。こういうふうに三つ混合している石というのは、ほとんどないです。ですから、これで売ると、銅専門の会社に売ると、鉛、亜鉛はお供みたいになっちゃう。それから鉛、亜鉛の会社に売ると、銅はお供みたいになっちゃう。非常に損なんです。そこで、こっちで分離することができるので……機械で選鉱する。そうして亜鉛、鉛、銅と三種に区分してやると、そっくり金になるわけですね。それには設備がいる、ですから、いまその設備に取り掛かったんです。どうしても、もう二、三カ月かかると見なければならないですね。いま掘って溜めて、機械の設備がすっかりできてから、売り物ができる。という段取りです。これを掘ったのは先月です。最近の報告によると、もっと良くなっているんです。この倍くらいに太くなっているんです。ですから、まだまだすばらしい鉱山になるわけですがね。で、私は二〇年前から鉱山をやってますが、やっていると言っても続けてやるんでなく、ときどきやったんですね。なにしろ下手に手を出すと金がかかりますからね。ですから、やるときよりやらないときのほうが多かった。しかし怠らずにやっていたんですがね。で、私は最初は知らなかったけれども、ここ数年前から神様から鉱山について、いろいろ教わったわけですね。これなんかも、神様のほうの鉱山学で見当つけたんです。最初、去年拳くらいの石を見本に持ってきたんです。それを見るとすばらしい石なんです。ですからすぐに聞かしたところが売りたいと言うんですね。安かったのですぐ買えと言って買ったわけなんです。で、この山に去年の秋私は行ったんです。水上ですがね。温泉の側です。水上駅の左側は、すぐ温泉場になってますが、駅の手前を右に二、三町行った所です。実に便利な所です。そこで、先に掘ってある所の脈を見ると細いんです。一寸か二寸なんです。ふつうの脈は太いけれども、鉱物がついている脈は細いんです。これは、下に行くと太くなるというので掘らせました。下に行くと太くなるというのも、神様のほうの鉱山学なんですよ。すると、それから一〇間ばかり行くと、昔掘った坑道がある。五、六十間もある。ちょうど良い。この下だから、もう少し掘って行くと良い、と目をつけてやらせたんですよ。で、元掘ってあった所の、すぐ上がっているような所を、もう少し掘れと言って、四、五尺上がったところが、これにぶつかっちゃった。昔それを掘った人が……なんでも二、三十年前なんですがね。もう少し掘らせたら、そこを見つけたんですよ。しかし、そこで力がなくなったんでしょうね。そこで、間違えたとみえて、横っちょのほうに掘ってある。そんなこんなでうまく行かなかった。これは神様がキュッと止めたんですね。たいへんな奇蹟です。だから村人なんかも、あそこであんなに良い脈があるなんて思えない。手伝った人がずいぶんあるんですが、あそこがあんなにあるなんておかしいと、見物に来るそうですがね。村中の評判になっているそうです。その時分に神様が用意してあったんですね。楽なものですよ。また、その大きさに掘ってある。それで四、五尺で当たっちゃったんです。

 また、このくらい便利な所はないんですよ。駅から二、三町ですからね。駅から見えますよ。ですから掘ったものを索道かけて、ずっと運んでしまう。その間運賃なんていらないんです。たいてい、鉱山というのは、駅から何里もあるものなんですよ。その運搬費はたいへんなものです。その運搬費がいらないんですからね。

 それに信者の奉仕隊の人を増やしていくんですよ。そうすると、鉱物は日本一だし、運搬費は零みたいなもので、掘る坑夫は……これも零みたいなものです。非常に有利なものですね。さすがに人間のやることとは違うと感心するくらいですね。ですから、この夏あたりからボツポツプラスになるわけですね。

 ちょうど夏あたりから会館の建築にかかったり、それからまた箱根の本山ですね。光明殿と言うんですが、光明殿に来年はぜひかかりたいと思っているんです。ちょうど金のいるときに金が入るようになるわけですね。それから去年も私がここで言った通り、「金のいるときには神様のほうで、どこからか入ってくる」と言いましたが、あのときは私は、そんなに山が良くなるとは思わなかったんですが、なにか入るとは思っていたんです。いま考えると、これかと思うんですね。この間のお祭りのときに、これからのいろいろな経綸のことをお話しましたが、そんな具合で、いま教団で……やはりなんと言っても、金が一番入り用なんです。ですからいよいよ山が始まるようになると、また発展は目覚ましいものがあるだろうと思いますね。いつかも話した通り、京都にも地上天国を造らなければならないんですよ。ですから京都は、熱海、箱根よりかもっと大きな規模になるだろうと思ってますがね。いろいろの……そういう経費が何倍いるか、何十億いるか分からないですからね。やっぱりそれが手に入るようになりますからね。それは心配ないですがね。お祭りのときにその話をしたのは四日目と五日目でした。ですから、最初の三日間というのは、その話をしなかった。ただこれからの経綸の話をしたんです。だから信者に向かって説くのに、資格者としては、こんなに金がたいへんだ。われわれはどうしようかと心配した人もあるらしいが、なるたけ得心の行くように、今日は話したのです。そうかと言ってあまり安心しても困る。まだ二、三カ月、出るまでは金がいりますからね。それともう一つは、みんな……信者の人なんかというのは霊的の借金がうんとあるんですよ。これは自分ばかりでない、祖先以来ですからね。要するにそれが罪穢……メグリですね。それを、病気……いろんな苦しみによって、借金を減らしているんですがね。だから、大本教のお筆先に「皆メグリは沢山あるから、一日も早く借金なしにして下されよ」というのがあるんですよ。そんなわけで、金の御用をするというのは、それだけ罪を減らすんですから、無理をしない限り……できるだけたくさんしたほうが、早くメグリが取れるわけですね。そうすれば、それだけ苦しみが減るのと、あべこべに徳が多くなるですね。私はいままであまり言わなかったですが、神様に上げた金は何倍にもなって帰るんですよ。目覚ましいものです。これは、経験すると分かりますよ。支部で財政が苦しいというのを、よく聞きますが、それは金の御用をしなかったからと、よく言います。他の宗教みたいに……天理教みたいにスッカラカンになって苦しむということは絶対にないですね。そんな気の利かない神様だったら、信仰止めたほうが良い。ですから、いま教団のほうで金がいらなくなると……いまのうちに御用をしたほうが良いということになります。そうすると、なんだかうまく言って、金を出させようと、そういうふうにとられると困るんです。私は正直だから、ありのままを言うんです。いまに、あべこべにこっちのほうで、「支部の家がない」「よしきた」と、こしらえてやるようになります。これも嘘言ったらたいへんですからね。どうしても嘘は言えない。将来は地上天国がほうぼうにできるんですよ。いまは箱根、熱海ですが、いずれは京都に造るし、それから九州に造るし、北海道に造るし、それから小さい天国ですね。それには各町村、小さい州にですね。やっぱり大中小になるんです。それにはやはり本部のほうにうんと金ができなければね。信者さんのほうだけでは、できないことはないが、手早くできないです。そういうことを、大いに楽しみにしていてもらいたいと思いますね。鉱山の話もいろいろありますが、あまり信仰とは関係がなくなりますから、今日はこのくらいにしておきます。

 それから、よくあいつは邪神が憑いているとか、あの人は気をつけろとか、よくいままでも言う人があるんです。それについて書いたのを、いま読ませますからね。

(御論文「人を裁く勿れ」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四九三─四九四頁〕

 それから、これは今度の『結核信仰療法』の一項目ですけれども、非常に参考になると思うから、いま読ませますがね。病気に対して、また信者とか未信者ですね。そういうふうに解らせる……説き方ですね。それについて非常に参考になると思うから、読ませます。

(御論文「医療誤点の種々相」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四五九─四六五頁〕

 それから、もう一つ注意することがあるんです。よく邪神が憑いてるか憑いてないか、あるいは邪神か邪神でないかを見る、一つの方法があるんです。それは、一番分かりやすいのは、邪神というものはしつこいんです。で、神様ほどあっさりしているんです。ですからクドクドしく一つ事を言ったりするのは、これは邪神と見て良いですね。で、高級な神様ほどあっさりしている。ですから、あっさり言う人は身魂が高級と思って良いですね。それからクドクドしく言うのは、邪神でなければ、神様では低い……低級とは言えないが、低いんですね。一番低いのは狐ですよ。まくし立てますが、あれはたいてい狐です。そういうのでなく、本当に身魂が良い人は穏やかに……議論したりまくし立てたりすることはないですね。それから女でペラぺラしゃべるのは狐が多いです。男で、いばったりするのは天狗ですよ。こう見ていれば間違いない。議会なんかで、いろいろ議論したりしますが、あれは天狗ですからね。天狗というのは、負けるのが嫌ですからね。言い出したら通そうとする。議員だとか学者や弁護士だとか、ああいうのは天狗が多いんです。横車を押したり、人に議論したりするのは、天狗に限るんです。なにしろ天狗というのは問答が好きでして、天狗は問答して勝ったのが、位が上がっていくんですから、議論して勝とうとしますね。みんな天狗ですよ。それは天狗も良い働きをしますよ。だから悪くはとれないんですが、しかしよけいな手数をかけるだけのもので、天狗でも智慧のあるのは良いですが、あまり智慧のないのは困るんですよ。年中争ったり……口争いですがね。人の感情を害したり、物事を捗らせなかったり、そういうことがありますからね。こういう、天狗の憑いている人でも、だんだん神様のことが分かれば、自分の欠点が分かってきますから良いわけですが、そういうように、だいたい参考にすれば良いですね。

 それから神懸りについて昨日私は話したが、たいへん良い話だったと言う人がありましたがね。それと、私は神様は拝まないんですよ。どの宗教でも、いままでどんな教祖でも、必ず神様を拝んだものです。それを、私は拝まない。と言うのは、私に憑いている神様は、一番高級だから拝むものがないんです。みんな下ですからね。それからもう一つは、よく神様にお伺いを立てるとか、あるいは神様にお知らせをいただくとかして言うんですが……たいへんありがたく思うんですが、私は簡単に、ふつうのことのように言うんです。うっかりして軽く見るんですね。そのために忘れちゃったり、うっかりして、なにかあったとき、これは先に明主様に御注意いただいたことがある。お言葉にある。と、気がつくことが、どなたもあるんですがね。私は神様にお伺いして、それをお取り次ぎするんでなくて、私の口から出ることは、神様自身が言う……こういうことになるんですね。最高の神様ですからね。だから、私が神様にお願いするとかお伺いするとか、そういうことはないんですよ。そこで、御守りなんか書くときに、ふつうならどの宗教の教祖でも、そういうときには、羽織袴で祝詞を奏げるものですがね。私なんかそうでない。夏なんか裸でアグラかいてやりますからね。見る人はありがたく思いませんよ。私はそれで良いんですよ。神様自体が書くんだから、どうしようもない。こういうことはいままで言わなかった。そういうことも心得て良いですね。

 もう一つ譬えて言えば、信者の人でいろんな奇蹟をやりますが、奇蹟も、やっぱりキリストがやったくらいの奇蹟は毎日やってますからね。これは、時間があったら読もうと思ったが、時間がないから止したんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。これはぜんぜん理屈がつかないほどの奇蹟です。

 それから、原子爆弾で助かったお蔭話ですね。これも、七つばかり来ましたからね。私は、それを発表するように言ってあるんです。これも、今度良く説明をつけて、この次あたりに読ませますがね。そんなわけで、私の弟子がキリストくらいの奇蹟をすれば、やはりキリストも私の弟子になるんです。それをはっきり分かっていなければ、キリスト教信者なんか誤解します。というのは、もう一つ言っておくことは、キリストは贖罪主なんです。贖罪主というのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。もし会社でいろんな過ちがあったりしますと、専務が代表者になって、許してくれと言って社長にお詫びします。贖罪主というのは、そういうものです。万民の罪を御自分が負って、万民になり代わって十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長……すなわち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。ですから、そういう点は非常に……主人と家来ほど違うんですね。こういうことも、いままでも言いたかったんですが、あまりかけ離れているから、誤解されますので言わなかった。明主様は、誇大妄想的な脱線だ。と、未信者は言いますから、言わなかったんですが、もうソロソロ言っても良い時期になったので、言ったんですがね。そういうことも知ると、よけいいろんなことがはっきり分かるわけですね。そのくらいにしておきます。

「昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号」 昭和27年05月15日