昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号(11)

四月三〇日

御教え 今日は信者の方ばかりだそうですから、そのつもりで話をします。今度京都に来たのは、だいたい二つの目的なんです。一つは、奈良の仏教美術……それを視察するためと、それからもう一つは、京都の地上天国を造る候補地……そういう適当な土地があったというので、それを見るため……その二つのためなんです。昨日奈良方面に行きました。法華寺、薬師寺、東大寺、法隆寺。それから奈良の博物館。博物館はちょうど白鳳、天平の仏……それに関した展覧会というのを開催していたので、ちょうど良かったんです。だいたい奈良における主なるものを見たので、たいへん得るところがあったんです。たいてい、有名な品物は写真で見ておりました。国宝の写真帳なんかにたくさんありましたが、今度実物を見まして、とうてい想像もしなかったほど立派なもので、驚いたんです。しかも千二、三百年くらい前に、今日でもできないくらい巧みな彫刻なんです。これはまったく、美術だけは時代逆行ですね。ですから、文化が発達したということは、要するに元気になったというだけですね。で、そういった芸術的、道徳的にはかえって逆行したんじゃないかと思うくらいです。実にその時代の作者の感覚と、技術の秀れたのには驚いたです。特に法隆寺にある品物は、よくもこんな立派なものが集まっていると思うくらいです。そのいずれも実に良いです。あれを美術館にでも並べたいくらいに思ってますが、しかしあそこに行ってみると、ああいった良いものは……やはり法隆寺としての雰囲気ですね。非常に時代的の一つの色ですね。古い、寂た姿ですね。そこにああいう古代芸術の立派なものを並べておくということが、実にふさわしいです。ですから法隆寺なんか、あのままで火事が起らないように気をつけて、大いに保存してもらいたいというように思ったんです。それで、一番驚いたのは薬師寺の観音様ですね。あれが実にすばらしいものですね。形といい、姿、お顔、もうとうていいまのどんな名人が作っても、あのまねはできないです。あれが天平時代にできたということは、どう考えても想像がつかないくらいなものです。それから、その他にも驚嘆するようなものがありました。これは奈良に近い人ばかりだから行ってみれば判ります。そう精しく言う必要はないですから、このくらいにしておきます。

 それで将来京都にも美術館を造りますけれども、そういったような動かすことのできないものはしかたがないが、そうでないものも、そうとうありますから、そういうものを一堂に集めて、日本の仏教美術を外国の人にも紹介したいと思っている。それで、つまり美術館を造るという所は、それは美術館ばかりでなしに、地上天国を造るつもりなんです。今日見た候補地としては、だいたいは良いようですが、まだ値段も聞かないようですから、懐具合にピッタリ合わなくちゃ、急にどうということはできませんが、しかし神様がすべて準備されたに違いないですから、具合良く行くと思ってます。で、それについて、こういうわけなんです。いつも言う通り、箱根の地上天国は五ですね。それで山なんです。それから熱海が六ですね。海です。つまり火と水になる。今度は七ですね。土がなくてはならない。それは平らな土地なんですね。岩石なんかがない……そういう所の条件は、やはり京都より他にないですね。そういう意味で、いつかも話した通り、京都にいずれ造る。それは去年京都に初めて来まして、フッと、そういう……まあ、神様のお知らせがあったわけです。ちょうど、今度で一年目になるわけですね。まあ……そこに一歩前進したわけですね。ですから京都は平らな所で、そうして無論環境ですね。すべてが条件にあっていると思うんです。今日の所は、そういう……だいたい八〇点くらいの条件が合っているようです。しかしやはり、いろいろの……広い所に行くと、農地があるとか、あるいは市の土地だとか、いろんな、なにがありますから、これは神様がだんだん良い具合にされるだろうと思ってます。そこで、特に京都という所は、ちょうど世界でいうとフランスに当たるんです。ですからとにかく、芸術の都ですね。そういう意味があるんで、だいたいいままでもそういうふうになってますが、しかしこれから本当に京都を発展させ、わざわざ外国から京都を目当てに見物するくらい……というくらいに、要するに美術都市にしなければならないんです。で、京都が日本の美術の中心ということにならなければならない。ところが、現在としては、美術の中心は東京になってますが、これは本当ではないですね。将来京都になるんです。それについては、京都に釣り合ったような地上天国的のものをこしらえなければならないと思う。それがメシヤ教のやはり一つの使命になっているんですから、京都は美術都市であり、宗教都市ですね。そういうふうになるわけですね。そこで京都としてもだんだん認識するようになるだろうと思います。いまが第一歩として自然に進んで、思うようになって行くに違いないと思ってます。今度の目的の話は簡単ですけれども、そのくらいにしておきます。

 いろいろの話をしたいと思うんですが、たいていふだん気のついたことや思ったことは、しやべったり書いたりしてますから、どうもふだん言わないようなことを話したいと思うんですが、そうたくさんはないわけですね。で、そうかといって、ふだん聞いているような話じゃ、せっかく遠くまで出てきて意味がないですから、なるべく珍しい話をしたいと、こう思ってます。で、これからお話するのは、いままであまり言わなかったことで、今度の講和ですね。一昨日から効力を発生したということになっておりますが、これはたいへん神秘なんです。みんなめでたい、めでたいと言って、国中喜んでますが、たしかにこれはそれに違いないけれども、しかしだれも分からないようなもっとめでたいことがあるんです。これはあるいは、人類始まって以来のめでたいことかもしれませんね。というのは、だいたいいま世界は……いつも言う通り、精神文化と物質文化と、離れ離れになって、つまり経の棒と緯の棒が結ばってないですね。ところが、緯の棒は……これもお話したことがありますが、物質文化の中心であり、ほとんど世界の物質文化の親玉みたいになっているのは米国なんです。いま欧州の文明国がありますけれども、とうてい今日は米国のすばらしい物質文化にはかなわないです。ところで東洋文化ですね。精神文化の東洋文化のほうはどうかというと、これもなんと言っても日本ですからね。日本こそ精神文化の中心であり、それからして日本はまた美術……この中心でもあるんですね。そこで経と緯と結ばなければならない。その結ぶ最初の起点ですね。はずみが一昨日の講和記念日になるんです。で、神様のほうではそういう経綸になっているんです。つまり世界が伊都能売になるんですね。そこで、つまり十字に結ばるわけですね。だから、講和を契機として、日本とアメリカはいっそう仲が良くなるんです。非常に密接になる。従って文化も、日本の文化がアメリカにますます入って行くんですね。それはアメリカでも、日本の特に古代文化なんか認めてますから、そこで日本の美術なんて、そういうものが、まだまだずっとアメリカに染み込んで行くんです。それとともにアメリカの文化がもっともっと日本に入ってくるんです。それで非常に……夫婦のように密接になるんです。そんな第一歩が講和記念日からなんです。それで初めて世界が伊都能売の働きになるんです。で、バッジですね。バッジがそれを現わしているんですよ。真ん中の赤が日の丸なんです。まわりの黄色がアメリカになるんですよ。つまりアメリカに日本が抱かれているんですよ。そうして十字に結ばって、真ん中がそういうふうになるわけですね。だからして、その意味からいって、このくらいめでたいことはないわけなんです。で、世界の文化というものは、そうなってからが本当の文化ができるんです。つまり偏らない本当の文化……それができる。まあ、すべて神様の御経綸で着々としてやられているんですから、そういう意味でメシヤ教もこれから非常に世の中に表面的に出てきて、つまり発展するわけです。その結ぶ仕事というものが、やはりメシヤ教がやるんですから、いままであまりそういう大きなことを言うと、山師みたいに見られますから、なるべくそれは言わないようにしてますが、実際においてそういうような時期になってきたんです。そこで最初の結ばる意味から言うと、日本の東と西と、この真ん中が、ちょうど中京になるわけですがね。で、緯のほうは、日本は細長い国ですから、そう著しくないですが、経のほうは長いですから、東と西がはっきりと別れている。その中心が中京になる。それで一昨日中京の教会に寄り道して一席話したんですが、その意味の話をしたんです。それで霊界における経綸を、私が説明したわけですね。だからそのつもりでこれからやられれば良いわけですね。で、なにごとも時期ですからね。こんなに病気が治り、貧乏、争いが解決できる宗教が、もっとどんどん発展しなければならないと、だれでも思うんです。私始めそういうふうに思っているんですが、それはやはり時期ですから、だんだんものが育って行くように、一歩一歩進んで行くんです。神様のほうは、突如としてパッとなるということはないんです。それは、大自然の真理にはずれますからね。どんなことでも、一歩一歩育って行くんです。その代わり確実ですからね。時期さえ来れば、ちゃんとその通りになるわけです。ですから今度の京都に来た意味なんかも、やはり最初チラッとしたくらいのことが、だんだん一歩一歩具体化してくると、こういうわけなんです。

 それから、昨日おもしろいことがあったんです。昨日法隆寺に行ったときに、夢殿というんですが、ふつうあまり参詣人に見せないですね。いままでは一年に一回扉を開いて見せるということになっているそうです。昨日は突如として、夢殿が開いていたというわけですね。これは非常に不思議なんですね。やはり神様のほうになにかわけがあるだろうと思って夢殿に行ってみますと、ちゃんと外の扉が開いて、中のお厨子の扉も開いて、そこに観音様の御像があるんです。はっきりは判りませんが、少し暗いですからね。それと遠くですからね。形が、等身大のお観音様です。それに札が書いてある。「救世観世音」としてある。救世観音様とも言いますが、これは昔から文献にないことはないんですが、ただ私はそれに「メシヤ」と仮名をつけたんですね。これは私が初めてやったんです。ですから、私のほうから言えば、救世観音ですね。文献にはありますが、そういった観音様の御姿と私は思うんです。見たことがないですからね。だいたい文献には大きいのは六観音ですね。六つの観音様。それから小さいと言いますか、その中に観音が三十三体あります。救世観世音というのは、その中には一つもないんです。ですからそこに神秘があるわけですね。それで私は観音様の所に向かうと、観音様からスーッと霊気が入ってくる。実になんとも言えない良い気持ちです。そうして涙が流れそうになってきた。まあ、長い間待っていたというわけですね。それで、やはりそういった……神様のほうにも時期があるんです。その時期が来るまでは、どうすることもできない。それで、いままで法隆寺の夢殿において時を待たれていたんです。で、いよいよ時が来て、昨日私が行ったために、これから大いにお働きになりたいんです。それで私に懸られたんです。ですから、実に時なんです。これからまた観音様が大いにお働きになるはずなんです。そんなような具合ですからして、一生懸命にやって結構ですけれども、ただ急って、時期の来ないのに、いろいろの心配したりすることは必要ないわけですね。時を待つということが一番肝腎なことです。そうかといって、ぼんやり時を待っていては……寝ていて果報を待て……式じゃ、これは駄目で、やるだけのことはやる。そうしてただ急ったり無理をしないということを心得ていれば良いわけですね。

 そういうわけで、京都のほうぼうのお寺にあるいろんな仏様ですねや結局はメシヤ教が現われるのを、みんな待たれたんです。それで今度私が来たことについても、いろんな仏様は霊界でたいへんな喜びなんですよ。そういうわけですから、その仏様たちが、自分の宗旨の人をだんだん分からせるんですね。そういう時期が非常に近寄ってきている。この間私は日比谷の公会堂のときの話に、釈迦、キリストは私の弟子に相応するということを言ったわけですが、ずいぶん大きなことなんで、知らない人は驚きます。信者の人は別に驚く人はないんですが、そうすると仏教のほうで、法然、親鸞、伝教、日蓮、弘法……ああいう人たちが、私の孫弟子になるわけですね。だからいよいよ親父が出てきた。これはなんでも働いて、いろいろ手功をしなければならんということになるんです。そういうことについても、これからだんだん京都に地上天国でも造るようになりますと、そういう仏様たちがみんな寄ってきて、大いに私の言う通りに働くようになりますから、そうするとこっちのほうも大発展をするということですね。だから非常に期待した時期が近寄ったわけです。        

 そうしてもう一つのお話は、昨日もお寺をまわってみても、実にお寺が疲弊してますね。だからいずれは美術館ができたら、仏教美術を主なるものにしたいと思っているんで、ほうぼうのお寺から……本尊様はしかたがないが、本尊様は馬鹿に大きいが、まあ出せる限りのものを一堂に集めて、そうして日本人はもとより、観光外客にも見せるようにして、入場料を取って、収入を多くして、それをお寺に分配するというような方法をとったら、非常に良いと思う。そうするとお寺のほうでも、修繕とか……ずいぶん普請をしかけて手をつけないという所があるようですから、お寺救済にもなると思います。メシヤ教は社会事業はしませんが……養老院だとか、そういうことはしませんが、いま言ったようなことは一種の社会事業です。しかし私のやることは、人のやらないことをしたいと思う。他の人ができるようなことは、する必要がないと思います。他の者がやれないようなことをやろうと思ってますから、いま言ったお寺救済と、それから日本の良いもの、良い古いものを、傷まないように保存する仕事をしなければならんと、そう思っている。これは本当は政府がやるべきですが、政府が予算が足りないために思うようにいかないので、その欠陥を補うわけです。だいたい……今度の旅行についてのいろいろなお話はそのくらいのことと思います。

「昭和二十七年五月十五日 『御教え集』九号」 昭和27年05月15日