四月五日
御教え
ここにある鉱石は見ましたか。これは鉱山の知識がない者が見ると、本当に判りませんが、少しでも鉱山の知識がある人が見ると、驚くべきものなんです。これは、神岡鉱山の技師が、日本一という折り紙をつけたんですからね。おそらくこんな鉱石というものは、いままでに日本になかっただろうと思いますね。いままでに一番良いのは、上野の科学博物館にあるんですがね。あそこのも私は以前たびたび行って見ましたが、これほどの物ではありません。もっとずっと悪いです。ここの山の鉱石は、いままで日本中の鉱山に関係した学校などの標本になっているんです。ところが、そのとき出した物よりも、これはもういっそう良いんですから、たいへんなものです。これは、亜鉛と鉛と銅と、その三種が混っている。いずれメシヤ教も大いに経綸……いろんな金のいることをしなければならない。いま現に、地上天国なんていうのは、金が非常にいるようなことをやっているんですからね。いずれはもっと大規模に、だんだん東洋から世界というようなことに発展しなければならないですね。そうすると金がどのくらいいるか分からないです。そこで神様が、こういう山をちゃんと用意してあったんですね。で、これをいますぐに売っても、そうとう金になりますけれども、これで……売ると割合に安いんです。三種の……亜鉛、鉛、飼と別けて売ると、非常に割が良いんです。それですから急がないで、いまそういったものを別ける選鉱機械を注文して、据えつけることになっている。まあ……来月あたり据えつけることになりますから、それを運転させると、ちゃんと分離して、また品位が上がるんです。品位が上がると言いますと、この石なんか、銅は八%くらいですが、それがその機械にかけると二〇%にも三〇%にもなるんです。そうすると、仮に売るのが、銅一〇〇%ものとして、一トン三五万円くらいになるんです。そこで三分の一の三〇%としても一〇万円になるんです。だから鉛、亜鉛が……たいていこの石で、両方で六、七十%くらいありますから、それを分離するとみんな正確に売れるわけです。で、これだけで売るとごまかされても判らない。それはつまらないんで、たくさん売るとすると、どうしても選鉱機械がなければならないんです。
前にも言う通り、神様は、金がいるだけはちゃんとどこからか集まってくる。箱根の美術館も、建築からすべての設備から、三〇〇〇万円かかりますね。昨年秋の形勢では、とてもそんな金は集まりそうもないと思ったんですが、それを発表すると、信者さんがそれぞれ一生懸命に誠を捧げたために、予定通りたちまち集まる。いままでもそういうことはいろいろありましたが、実に……神様はその時に応じて、経綸の進め方によって、自由自在にやってくれるんです。だからこういう山が手に入る。まあ、いずれは非常に金が入るだろうと思いますが、やはりそういうような経綸が始まるんですよ。お祭りのときにも話した通り、これからもいろいろな計画がありますが、そういうこともドンドンやるようになると思います。そうして、やるようになる時分には、山から金が出ると、こういうことになる。これについては霊的のことも神様のほうでいろいろあるんですが、いずれ時期が来たら話します。
もう一つは私の鉱山学はいままでの鉱山の学理とよほど違うんです。それで、私は鉱山についてもいままでの鉱山学とは違うやり方をやっている。ですから、こういうものが出てくるんですがね。いままでの鉱山学だと、なかなか容易に山というのは出るものじゃないです。簡単にお話すると、いままでの鉱山学では、鉱物というものは、どうしてできるかと言うと、地の下から鉱液といって、つまり鉱物になる液体が噴いていると言うんです。すると、地球の地殻ですね。地殻は岩石ですから、岩石の亀裂に鉱液が噴出して、そこに埋まって、それが鉱物になると言う、そういう学説なんです。ところが、私のほうはそうではない。だいたい地殻というのは、昔は……最初は泥だったんですからね。よく泥海時代と言う……天理教なんかで言っている、あれがそうです。それが硬化作用ですね。だんだん泥海が土になる。それが硬化して石になるんです。石が硬化すると金を胚胎するんですね。で、金属にも硬い柔らかいがあって、鉛はごく柔らかいんですね。それが硬化すると亜鉛ですね。ピカピカ光ってますね。結晶するんです。亜鉛が硬化すると銅が発生する。こういうことになっている。私の説でいくと、山のほうも実に合っていくんですよ。浄霊と自然栽培……あれと同じょうな理屈ですよ。鉱物は硬化してできるんですからね。一番おもしろいのは、熱海の晴々台ですが……晴々台に限らないが、土を掘ると大きな岩石は土が硬化したとすぐに分かるんですが、山のまわりに小石があるんですが、あれは、いつだれが投げ込んだか分からないんですよ。川にある小石ですからね。あれが、土から出てくるんですよ。これは硬化作用だけでも分からないですね。いつの時代か、降ってきたものとしか思えない。また、鉱山の噴火で、熔岩やそういうものが降ったのは、箱根の神仙郷の岩石ですね。あれは熔岩で、そのとき岩石を破砕して……あれは爆裂山と言うんです。つまり地下の岩石が破裂して、岩石を飛ばしたんです。だから、そういうように現われているんです。ところが熱海の丸い小石ですね。それは土が硬化して、土の小さい固まりができるんです。それがだんだん育っていくんです。育っていくというのは、なかなか神秘なものです。というのは、だんだん硬化し、そこに固まっていくんです。層ができるんです。これは、学問でもまだ分かってないですね。晴々台に行って、そう思って見れば分かるんです。これでは、鉱山の講義みたいになったが……その私の学説を覚えて、これから鉱山をやると、発見が容易にできるわけですね。まあそのくらいにしておきましょう。
それから、お蔭話について。
(御論文「御蔭話を読んで」朗読)〔「著述薦」第一〇巻四五二―四五四頁〕
この原稿は『結核信仰療法』の一番終いに医学の欠点を並べてみたんですが、よほど参考になるから、いま読ませます。
(御論文「医療誤点の種々相」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四五九―四六五頁〕
それから、近ごろよく感じることがあるんですがね。私がちょっと、簡単に言ったことでも、非常に重要なことがあるんですよ。ですから、それを聞いた人は……いつの問にか忘れちゃって、うまく行かないことがよくあるんです。よく聞いてみると、こういう点があるんですね。すなわち、宗教の教祖なんていうと、神懸り式です。神懸り式というよりか、神様にお伺いを立てるやり方ですね。神様に伺うとこういう御示があった。そう言うと、たいへんありがたく思うんですよ。そこで聞いた人は、これは神様のお指図だとか、戒めだとか言って、非常に強く印象されるんですね。ところが、私がチョイチョイと軽く言うから、そういうような……なんて言うか、有難味と言いますか、強い刺激を受けないですね。そういう.ことがよくあるんです。
それからたまに、昔からこれは始終あるんですが、信者の中に神懸り的になって、神様はこうおっしゃるとか言って、それを一々信ずる人があるんです。ところがそういうのは、神様と言っても、下……下級の神様だから、いずれボロを出しちゃうんですが、一時迷わされちゃうんです。
そこで、私の神様……と言うのは変ですが、はっきり言ってみると、いままでの教祖とか、そういう人たちと違うんですよ。違うということは、位が違うんです。仮にキリストにしろ、天の父の思し召しによって、自分は生まれたとか、あるいはエホバがこう言われたとか、そういうことをよく言われてますね。それから天理教祖とか大本教祖にしろ、神様はこうおっしゃったとか、ああおっしゃったとか、よく言うんです。そして、そういう神様を始終拝むんですよ。私は拝まないんです。というのは、私の腹におられる神様は……私が言ったりしたりすることは、神様が直接するんですから私が拝むことはない。それから、拝むという必要はないんです。私のお腹の中におられる神様は最高の神様ですから、拝まれるのはあたりまえですが、こっちで拝む神様はないんです。みんな下の神様ですから、私の思うままにやっていれば、それが最高の神様がやられているんですから、そこで私は、神懸り的な……私が御神体に向かって礼拝しないと言うのは、そういう意味なんです。これはいままでの宗教には一つもないんです。それは、釈迦でもキリストでもマホメットでも、やはり神様を拝んで、お指図仰いだり、いろいろするんですが、私はそういう必要はないですから、それだけに力も……まあ字を書いても、その字が働くというようなわけでね。これは本当言うと、字を書く前に羽織、袴で祝詞を奏げて、神様にお願いして、そうしてやるものです。それは、いままでどこの宗教の教祖にしろ、いろいろな……お守りなど作る場合も、そうしているんです。私は、裸でアグラかいて書くこともあるし……それで良いんだから、別に面倒なことを言わなくてもね。そういうことを知ってもらえば良いんですね。だから、他に神懸りなど出ても、問題にはならないわけですね。こういうことは、いままであまり言いたくなかったから言わなかったんですが、そうでないと、他の神懸りをたいそうありがたく思いますから、それでお話するわけです。